【研究不正×懲戒解雇の有効性|実験者・共著者】

1 一般的な懲戒解雇の有効性判断
2 研究不正|『懲戒事由=客観的に合理的な理由』の判断
3 研究不正|懲戒解雇の『相当性』判断
4 研究不正|懲戒解雇の『相当性』を欠く→解雇無効|判例
5 論文の不正→『共著者』が懲戒解雇とされることもある|判例

1 一般的な懲戒解雇の有効性判断

懲戒解雇の有効性が争われることは多いです。
一般的に解雇については,有効性の判断基準があります。
別項目;解雇権濫用の法理;まとめ

懲戒解雇についても,解雇権濫用法理と本質的には同じです。
懲戒解雇の有効性判断について,基準を示します。

<一般的な懲戒解雇の有効性判断基準>

※労働契約法15条,16条,裁判例3

あ 根拠規定

就業規則における懲戒解雇の形式的な規定という意味である
実際には,就業規則とは別に『懲戒規程』などとして作成されることもある

い 懲戒事由

客観的に合理的な理由が必要とされる

う 処分の相当性

一般的に解雇は,対象者にとって不利益が大きい
そのため『相当性』が必要とされる(後述)

処分の『相当性』の判断要素をまとめます。

<懲戒解雇の『相当性』判断要素>

・原因となる行為の重大性
・原因発生に至る経緯,他の者の関与の程度
・頻度,期間
・過去の処分歴
・行為者の事後的対応,反省の有無
・他の事例,関与した他の研究者についての処分内容との整合性
・適切な解雇の手続の履行
 反論,弁解の機会が与えられたかどうか,というものがメインです。
※後記文献1,文献2

次に,研究不正における懲戒解雇の場合について,各要件を当てはめます。

<研究不正における懲戒解雇の有効性判断>

あ 根拠規定

通常の研究機関であれば研究不正については懲戒解雇の対象として規定されている
通常,『研究不正』の定義も規定されている

い 懲戒事由=客観的に合理的な理由

研究に関する論文の内容の『不正』の程度を判断する
『再現性を裏付ける記録し,保管すること』が履行されているかどうか,が重要なところである

う 処分の相当性

以下,『い』懲戒事由,と,『う』処分の相当性,について順に説明します。

2 研究不正|『懲戒事由=客観的に合理的な理由』の判断

上記『1』の『い』の要件について説明します。
一般的に『研究不正』として規定類において定義されています。
『誤った認識を生じさせる目的』というのが重要になります。
MCコラム|理系弁護士による『悪意』の説明(STAP論争)
MCコラム;理研vs小保方さんの対立を公式資料から分かりやすく整理(STAP論争)

(1)研究不正に関わる懲戒解雇の有効性判断基準

ここでは,具体的な裁判例において,どのような方法で判断しているか,について説明します。
一言で言うと再現性がない場合に懲戒解雇の事由として客観的に合理的である,と認められます。
詳しく言い換えると再現性を裏付ける記録し,保管することが履行されているかが判断基準ということです。

法的な解釈論の全体像を順にまとめます(東京高裁平成22年11月24日;判例1)。

<研究不正が懲戒解雇の『合理的な理由』該当性判断の理論>

あ 科学学術論文を発表する研究者の負う義務

論文に再現性があることを説明ないし証明できるようにしておく義務がある。

い 『再現性』の内容

論文作成の過程において実施されたのと同一のプロセスで再度実験を行った場合に,実験結果として同一のデータが得られること。

う 再現性の説明ないし証明の具体的内容

前記「あ」の再現性の説明証明の具体的内容は次のとおりです。
《再現性の説明,証明の具体的内容》
・実験ノート等の実験記録(実験の手順,条件,材料,結果等の記載)
・実験試料(現物)
・プロトコル(実験の手順,条件)についての記述
 リアルタイム(実験ノート)ではない場合,これだけでは不十分となります。

(2)研究不正→懲戒解雇という紛争における立証方法

実際の立証面では,問題発覚後に,調査委員会が組成され,公式な調査が行なわれます。
そして,調査結果が調査報告書として作成されます。
これが重要な証拠(書証)となります。
調査委員会による調査内容の一環として,研究者が研究機関から期間を設定され,再実験を求められることもあります。
そして,再現が実現しない場合に再現性なしという判断の重要な要素とされる実例もあります。

3 研究不正|懲戒解雇の『相当性』判断

懲戒解雇という結果と,対象行為のバランスがあるかどうかの判断,ということです。
『2』とも重複する概念です。

一般的な懲戒解雇の有効性判断における『相当性』のうち,研究不正のケースで重要な点を説明します。

(1)再現性のない論文の発表

裁判例では『再現性のない論文の発表』自体が非常に重く判断されています。
考え方をまとめておきます。

<不正研究による論文発表の重さ;東京地裁平成21年1月29日;判例2>

あ 科学の発展の基板は学術研究成果の蓄積である

 →再現性のない論文の発表は,その後取り下げた場合でも,科学の発展の基盤を根底から覆すものである

い 研究者が再現性のない論文を作成、発表することの意義

・社会的な評価,信用の低下を招く
・他のあらゆる不祥事,非違行為とも比較にならないくらいの程度である

う 『懲戒解雇』を選択することに相当性は肯定できる

このように,原則的に研究不正として認められた場合,懲戒解雇が有効とされる可能性が非常に高いです。

(2)『反省』

一般的な懲戒解雇の『相当性』判断要素として『反省』があります(上記『1』)。
しかし,研究不正があったことを前提とすると,重さを解消するものとしては弱いでしょう。

(3)他の研究メンバーの関与の程度

「研究不正」に,他の研究者も一定の関与をしていることが多いです。
その程度によっては,例えば,監督者の責任が増加メイン研究者の責任が減少という評価につながります。
当然ですが,他のメンバーの適切な行為により研究不正が防止できたという場合は,このような評価がなされます。
結局,研究全体における役割分担,権限,責任の分配という具体的事情により評価,判断されます。

一方,実務上,類型的に他の関与者の責任を過剰に主張する傾向があります。
刑事手続では『引っ張り込み(の危険)』と専門用語が当てられているくらいです。

いずれにしてもほぼメインは1人という場合は,他の者の関与相当性を軽減させる効果も小さいでしょう。

4 研究不正|懲戒解雇の『相当性』を欠く→解雇無効|判例

研究不正に関する『懲戒解雇』の実例で,『相当性』を欠くものとして解雇が無効とされた判例があります。

<岡山大学教授懲戒解雇事件の概要>

あ 判決

広島高裁岡山支部平成14年4月11日

い 事案

岡山大学の(元)教授が科学研究費補助金の不正流用などを行った
大学は,これを含む5つの処分事由により『免職処分』(懲戒解雇)を行った
大学が特に重視したのは『学位取得に係る研究の指導の対価を得た』というものであった
→元教授が,不当であるとして『処分取消』を求めて提訴した

次に,裁判所の判断内容をまとめます。

<岡山大学教授懲戒解雇事件|裁判所の判断>

あ 認定できる処分事由

ア 科研費謝金の執行における不正・隠蔽工作イ 医員手当の寄付強要ウ 助手給与の寄付強要 ※『学位取得の対価を得た』は認定されなかった

い 『相当性』に関して斟酌すべき事情

ア 科研費謝金に関する不正 不正に得た金銭を私的に費消する意図はなかった
・講座の研究費の不足を補った
・その背景に大学における研究費の不足という実態があった
大学事務局の返還要求に応じて一部を返還した
イ 医員手当・助手給与の寄付強要 態様が『脅迫行為』に当たるとまではいえない
ウ 認定落ち 『学位取得の対価取得』は認定から外された
訴訟前に大学の懲戒処分委員会の決定として『学位取得の対価取得』以外の処分事由は『訓告』相当であると判断されていた
→裁判所の認定事実を前提とすると『訓告』が相当,ということになる
エ 反省+社会的制裁 歯学部教授会の辞職勧告決議を受けて辞職を申し出ている
→反省の姿勢を示している+社会的制裁を受けている

う 結論|懲戒解雇の相当性

懲戒解雇(免職)を選ぶことは,大学の裁量権の範囲を逸脱している
→懲戒処分は違法
→懲戒処分を取り消す

この判例の内容を大雑把に要約します。

<岡山大学教授懲戒解雇判例|要約>

『金銭的な不正』があっても,返還に応じた+『辞職』しているので,それ以上の追い打ちは容赦する

個別的な事情が考慮された判断(判例)です。
とは言っても,研究機関で生じることがある事情の組み合わせ,とも言えます。
同様の事例の扱いに関して参考となる事例です。

5 論文の不正→『共著者』が懲戒解雇とされることもある|判例

学術論文において研究不正が発覚する場合,実験担当者の不正を他の共著者が気付かなかった,ということが多いです。
共著者である以上,一定の責任を生じます。
懲戒解雇の責任に関する裁判例を示します。

<研究不正の論文の共著者の責任に関する裁判例の概要>

※裁判例4;東京高裁平成22年11月24日
※裁判例5;東京地裁平成21年1月29日;原審

あ 事例概要

『責任著者』が『別の著者の行った不正』によって→懲戒解雇となった

い 争点

懲戒解雇の有効性

う 結論

懲戒解雇は有効である

<研究不正の論文の共著者の責任を認めたポイント>

あ 重要な前提事実

・責任著者が実験者に,実験ノートを見せるよう要求しなかった
・定期ミーティング(マンスリーミーティング)の内容として『実験ノート,実験方法,経過の確認』がしっかりと行なわれなかった
・責任著者は,助手を介した『監督』をしていた

い 評価

・責任著者の責任は大きい
 『科学的信頼性や再現性について最終責任を負う』
・観測結果,実験方法,経過について,実験ノート確認,ミーティングにより把握すべきだった
・『助手を介した監督』では不十分である

もともと,常識論,一般論として,共著者は『名前を貸しただけだから責任はない』とは言えません。
『実験を担当していない』だけで監督責任が否定されるわけではありません。
そして,上記の裁判例では,共著者の中でも『責任著者』の責任について,『重い』と評価,判断しています。
共著者間の責任の分担割合については別に説明します。
別項目;研究不正における共著者の責任割合→相互の損害賠償請求

条文

[労働契約法]
(懲戒)
第十五条  使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。

(解雇)
第十六条  解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

判例・参考情報

(判例1)
[平成22年11月24日 東京高裁 平21(ネ)1254号 地位確認等請求控訴事件]
本件のような科学学術論文に再現性があるかどうかの点は,厳密な意味で科学的真実に合致するかどうかの点を問題とするものではなく,懲戒事由該当性の判断の観点から検討すべき問題である。そして,科学的知見が,科学学術論文に発表された実験結果の追試やそれを踏まえた発展研究により蓄積されていくことにかんがみると,科学学術論文を発表する研究者は,論文に再現性があることを説明ないし証明できるようにしておく義務を負うものである。そして,ここでの再現性とは,論文中に示された実験について,論文作成の過程において実施されたのと同一のプロセスで再度実験を行った場合に,実験結果として同一のデータが得られることであると解するのが相当であるところ,研究者がこのような義務を怠ったという場合には,懲戒事由該当性を判断する前提として当該論文に再現性がないと判断することが許されるというべきである(被控訴人による本件解雇の処分理由も本件各論文がそのような意味での再現性を有しない点を問題としたものであることは処分理由から明らかである。)。ところが,本件各論文については,工学系調査委員会が本件各論文の再現性を検証するための実験ノート等の実験記録,実験試料,プロトコル(実験の手順・条件についての記述)等の提出を求めたが,結局,控訴人からは,プロトコルを記載した新たに整理されたメモやプリントアウトされた生データしか提出されず,再現性を担保するために必要不可欠ともいうべき実験の条件・材料・手順・結果等を記載した実験ノート等は提出されなかったのであり,そのため,再実験を求められたが,指定された期間内に再実験により本件各論文に示された実験結果の再現性を示せなかったのである。そうすると,懲戒事由該当性の判断の前提としては,本件各論文には再現性が欠如しているというほかない。

(判例2;確定せず→控訴審=判例1において内容は肯定されている)
[平成21年 1月29日 東京地裁 平19(ワ)5281号 地位確認等請求事件]
原告は本件各論文の責任著者として、論文全体の内容について、最終的な責任を負うにもかかわらず、Bが行った実験について、データや実験ノートのチェック等の基本的な確認を行わず、研究室内でも実験の過程を含めた内容について十分な議論をせず、この結果、再現性のない論文を複数作成、発表したものであって、非難されるべき程度は重く、加えて、Bの実験については、多くの疑問があり、具体的な指摘までされていたにもかかわらず、論文の作成、発表を続けたのであり、大学の教育者、研究者としてあり得ない行為と評価されても仕方がなく、懲戒処分として極めて重い処分を受けても、不当とはいえない。
 このような原告の行為が、研究機関としてまた大学という教育機関としての被告の名誉と信用を著しく傷つけたことは、研究者及び大学等の研究機関の評価が引用論文数によって測られる場面があること(乙9の13)に鑑みても明らかである。再現性の認められない実験研究に関する論文を繰り返し発表し、取り下げるに至ることは、学術研究成果の蓄積という科学の発展の基盤を根底から覆しかねない行為である。被告は、教育機関、研究機関として、的確で優れた学術研究成果を発信することが求められ、そのことに被告の存在の意義もある。被告に属する教授が再現性のない論文を作成、発表することは、このような被告に対して、他のあらゆる不祥事、非違行為とも比較にならないくらいに、教育、研究の両面で社会的な評価、信用の低下を招くものであることは想像に難くない。前記(5)に説示のとおり、原告の研究室に所属していた大学院生等に対する影響という結果も重大である。被告が原告を被告教職員就業規則39条に規定する懲戒処分の中でも、懲戒解雇に値すると判断したことには、合理性や相当性がないとはいえない。
 原告は被告の教授であった者であり、原告に対し、懲戒解雇をして被告の従業員としての地位を終了させることは、被告における教育者、研究者として地位を失わせる意味を持つ。そして、本件解雇の懲戒事由は、再現性のない論文を作成、発表したことであり、被告の教育機関、研究機関としての本質的行為と深く関係する。こうした行為に対する処分については、教育や研究という性格上、被告の自律性を尊重すべき部分があることを否定できない。その反面として、被告が懲戒処分を行うに当たっては、慎重な手続により、かつ専門的な検討を踏まえて行うことが求められ、本件解雇についても、前提事実(4)、(5)のとおり、専門調査委員を含む工学系調査委員会等の複数の調査委員会が詳細な調査をした上で、慎重な判断をしていることが認められる。
 以上を総合して考えると、本件解雇は懲戒権、解雇権を濫用したものとはいえない。

(判例3)
[平成22年 9月10日 東京地裁 平21(ワ)12202号 地位確認請求事件]
 本件訴訟の主たる争点は,上記のとおり「本件各懲戒解雇の有効性」にあるところ,労契法15条は,「使用者が労働者を懲戒することができる場合において,当該懲戒が,当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められない場合は,その権利を濫用したものとして,当該懲戒は無効とする。」と規定している。
 同条は,これまでの学説と裁判例によって形成され,近時の最高裁判例によって要約された懲戒権濫用法理が法文化されたものであって,その内容は,①懲戒処分の根拠規定が存在していること(以下「有効要件①」という。)を前提に,②懲戒事由への該当性(懲戒事由該当性。以下「有効要件②」という。),③相当性(狭義の懲戒権濫用。以下「有効要件③」という。)の3つの有効要件から構成されているものと解される(菅野和夫「労働法第九版」431頁以下,土田道夫「労働契約法」423頁以下参照)。
 本件各懲戒解雇は,本件教員規則20条,21条5号を根拠としており有効要件①を満たす。問題は上記有効要件②及び③である。この②及び③の各有効要件の有無は,それぞれ「労働者の行為の性質及び態様その他の事情(以下「性質・態様等」と略記する。)」,すなわち当該労働者の態度・動機,業務に及ぼした影響,損害の程度のほか,労働者の情状・処分歴などに照らし判断する必要がある(前掲土田448頁)。

(文献1)
[浅井隆 最新労働紛争予防の実務と書式 新日本法規253頁]
(15条の相当性)の判断は,行為の内容,結果の重大性,頻度,期間,業務内容,過去の処分歴,行為者の反省の有無などを総合してなされますが,懲戒事由毎に考慮する要素や重視する要素が異なります(略)

(文献2)
[浅井隆 最新労働紛争予防の実務と書式 新日本法規 350頁]
(16条の)相当性の要件の判断にあたっては,解雇原因の重大性,解雇原因の発生に至る経緯,本人の従前の勤務成績,解雇原因についての本人の対応,本人の反省の有無,他の事例との比較,他に取りうべき手段の存否や内容などが考慮されると考えられています(荒木尚志・菅野和夫・山川隆一『詳説 労働契約法』150頁(弘文堂,初版,平成20年))。

(判例4)
[平成22年11月24日 東京高裁 平21(ネ)1254号 地位確認等請求控訴事件]
控訴人は,本件は,共著論文で自ら実験を行っておらず,筆頭著者らが実験を行っていた場合であり,責任著者が他の研究者の実験結果の確認にどの程度関与して,監督するべきかという問題であり,監督者的立場にある控訴人の責任等の及ぶ範囲は,自ずと一定の範囲に限られると主張する。
 しかし,原判決も説示するとおり,自然科学の学術論文の責任著者とは,編集者との間で論文掲載の調整を行い,また,掲載論文に対する問合せ先となるなど対外的窓口の役割を担うだけではなく,論文の内容,すなわち論文の科学的信頼性や再現性について最終的な責任を負う者である(この点は,控訴人も原審における本人尋問で認めるところである。)から,共著論文において実験を担当していないからと言って,監督責任だけを負うものではない。控訴人は,本件各論文の発表前においては,責任著者でありながら,実験担当者であるAが提示した最終的な実験結果について,Aの実験ノートにより実験プロセスを系統的・時系列的に確認することにより,当該最終的な実験結果が科学的信頼性・再現性を保持していることを確認・検証することを怠ったまま当該最終的な実験結果を控訴人自らの研究実績(責任著者)として国際的学術誌に公表するという行為を行い,また,論文3の発表後,Aの実験については疑問点が相当に明確になり,複数の研究者から具体的な指摘までされていたにもかかわらず,その後もAの実験結果についてそれまでと同様の対応を続け,再現性の認められない論文12を責任著者として発表するに至り,工学系調査委員会からの提出要請を受けるまでの間,Aが実験ノートを保持していないことすら知らなかったのであるから,責任著者としての責任は著しく重いとされてもやむを得ない。
 また,控訴人は,責任著者の過ちは意図的なものでない,実験担当者の意図的で巧妙な過ちを事前に発見するのは不可能である,責任著者に実験担当者と同等の責任を認めることは科学研究を萎縮させるから,科学界では,実験担当者の実験部分に問題があった場合,実験担当者とそうでない責任著者は,同等の責任を負うものとは解されていないとも主張するところ,甲64ないし77号証の意見書には,「海外でも,責任著者が実験担当者と同様の重い責任を問われて処分された例は聞かれない。」と記載されており,同旨の陳述書(甲89,94,97,100等)や証言(原審証人I)もある。
 しかし,本件は,控訴人が本件各論文の作成の過程において,実験ノートや実験の生データに基づいてAとの間で議論をしていれば,実験記録や実験試料がほとんど存在しないことを容易に認識し得たのであるから,控訴人の過失は大きいものといわざるを得ないし,本件各論文が再現性を有しないことを事前に発見することが不可能であったなどといえないことも明らかである。また,責任著者に実験ノート等に基づいて議論することを要求することが科学研究を萎縮させることになるとも解されない。そして,控訴人の責任の程度はAの責任より軽いことはないという趣旨の研究者の陳述書(乙12の7,8,10ないし12,乙15の5等)があることも考慮すると,科学界において,実験担当者とそうでない責任著者が同等の責任を負うものとは解されていないとは直ちに認められない。

(判例5;判例4の原審)
[平成21年 1月29日 東京地裁 平19(ワ)5281号 地位確認等請求事件]
第2 事案の概要
 本件は、被告の大学院教授として雇用され、RNA(リボ核酸)研究の分野でその研究成果が注目されていた原告が、自らが責任著者となって科学学術論文を発表するに際して、研究の実験担当者である助手の提示した実験結果について慎重な検討を加えることなく、同助手と共同で再三にわたり信憑性と再現性の認められない論文を作成して国際的な学術誌に発表したことが被告の名誉又は信用を著しく傷つけたとして、被告から懲戒解雇されたため、その懲戒解雇の無効を主張して、雇用契約上の地位の確認及び懲戒解雇された日以降の賃金の支払を求めた事案である。
 1 前提事実(争いがない、又は各項記載の証拠により容易に認定できる。)
  (1) 被告は、平成16年4月1日、国立大学法人法の施行により、東京大学、東京大学大学院及び諸研究所等の機関を前身として設立され、教育・研究等の活動を行っている国立大学法人である(以下、国立大学法人法の施行の前後を問わず、単に「被告」という。)。
  (2) 原告(昭和○年○月○日生まれ)は、RNAの研究者・教育者であり、平成11年から被告大学院工学系研究科化学生命工学専攻教授として被告に勤務していた者である。なお、原告は、平成18年まで独立行政法人産業技術総合研究所(以下「産総研」という。)ジーンファンクション研究センターセンター長を併任していた。
  (3) B助手(以下「B」という。)は、平成12年10月に被告の職員となり、平成13年4月からは被告大学院工学系研究科助手として、原告の研究室に所属し、勤務していた者である。(乙8の16)
  (4) 平成17年4月1日、日本RNA学会から、被告大学院工学系研究科長C教授(以下「C工学系研究科長」という。)に対し、原告が関与した論文等12編の文書について、原告の研究内容の再現性と信憑性に関し、国内外から疑義が提出されているとして、事実関係の調査依頼がされた。
 C工学系研究科長は、同月11日、上記調査依頼につき科学的立場から調査することを目的として、工学系研究科内に調査委員会(以下「工学系調査委員会」という。)を設置し、工学系調査委員会は、日本RNA学会から調査依頼があった論文等のうち、実験結果の再現性の検証が比較的容易であると判断された別紙記載の論文3、7、8、12(以下、各論文を「論文3」のようにいい、これら4編の論文を併せて「本件各論文」という。)を選び、調査の対象とした。本件各論文は、いずれも、筆頭著者がB、責任著者が原告又は原告及びBとされている論文で、原告が被告に赴任してから発表されたものである。本件各論文で述べられている実験を担当したのはいずれもBであった。
 工学系調査委員会は、平成18年3月29日、C工学系研究科長に対し、本件各論文すべてについて、再現性、信頼性はないものと判断されるという内容の最終報告書を提出した。(乙6の27)
 工学系調査委員会と並行して、平成18年1月25日に設置された「RNA関連論文の疑惑問題についてX教授等の責任に関する調査委員会」(以下「工学系責任委員会」という。)は、平成18年5月2日、B及び原告の行為は、被告教職員就業規則38条5項に規定する懲戒事由に当たり、懲戒処分の類型中で最も厳しい処分が妥当するという内容の調査報告をした。(乙7の19)
 工学系責任委員会の報告を受けて、被告総長は、被告教員懲戒委員会(被告教員懲戒手続規程4条所定の常置機関)に対し、同規程3条2項に基づき、懲戒処分の要否及び懲戒処分を要する場合のその内容についての審査を付議した。教員懲戒委員会は、平成18年5月16日、同規程5条1項に基づき調査委員会(以下「懲戒委員会調査委員会」という。)を設置した。
 懲戒委員会調査委員会は、関係者からの事情聴取を行うとともに、B及び原告の弁明等の内容に関する審議を経て、平成18年12月26日、B及び原告について懲戒解雇とすることを相当とする報告書を教員懲戒委員会に報告した。(乙8の1ないし16)
 教員懲戒委員会は、同日、教員懲戒手続規程8条に基づき、B及び原告に対する懲戒処分案を決定し、これを被告総長に報告した。
  (5) 被告総長は、原告を平成18年12月27日付け懲戒処分書をもって同日付けで被告教職員就業規則38条5号の規定により、懲戒解雇処分(以下「本件解雇」という。)を発令し、同処分書は原告に同月28日に到達した。
 同懲戒処分書に記載された処分理由は次のとおりである。
 「1.原告は、責任著者として論文の科学的な信頼性について最も重い責任を負い、論文の発表に関する最大の権限を有する立場にありながら、Bの提示した実験結果について慎重な検討を加えることなく、Bと共同で再三にわたり信ぴょう性と再現性の認められない論文を作成し、国際的な学術誌に発表した。
 2.原告は、責任著者の立場にありながら、問題とされた論文の対象領域である分子生物学の細胞実験について、その妥当性を的確に評価し得るだけの識見を有しておらず、Bが行ったと主張する一連の実験の具体的な企画立案や進行管理にもほとんど関与していなかった。また、Bによって提示された実験の結果について、その生データを系統的にチェックすることもなかった。
 3.Bが実験ノートを記録していなかったことについて、原告は長年にわたりこれを把握していなかった。また、検証の対象とされた論文にかかわる実験試料や生データの多くが保存されていないことも、工学系調査委員会(委員長は工学系研究科副研究科長(当時)D教授)による提出要請があるまで認識していなかった。
 4.原告に対しては、日本RNA学会の調査依頼が行われる前から、Bの実験に注意を喚起する指摘が、研究室のスタッフの一部や日本RNA学会のメンバーらから寄せられていた。その中には具体的な論文についての疑義の指摘も含まれていた。にもかかわらず、原告がこれらの指摘を真しに受け止めて適切に対処したとはいい難い。
 5.研究室においては、日ごろからサブグループ間で情報交換や研究討議が行われることはなく、他のサブグループの仕事に対して率直な意見を述べることができない雰囲気が醸成されていた。Bと原告によって信ぴょう性と再現性の認められない論文が繰り返し作成され続けたことの背景として、このような研究室の環境の下でBがいわば密室の状態で実験を続けたことや、研究のプロセスや結果を巡る構成員相互のチェック機能がほとんど働いていなかったことを指摘できる。しかるに、原告にはこのような研究室の状態がさまざまな問題の温床になり得るとの自覚は希薄であり、したがって、原告が研究室の運営改善に力を注いだ形跡もほとんどない。
 6.本件が工学系研究科における教育活動に与えた影響も小さくない。特に当該研究室に所属していた大学院生らにとって、勉学・研究に専念すべき環境が著しく損なわれたばかりでなく、最終的に所属の変更を余儀なくされるなど、その影響は甚大であった。
 以上を要するに、責任著者としての原告の論文の作成・発表に関する行為と、研究室の最高責任者としての原告の助手等の指導監督や研究室の運営を巡る種々の怠慢は、直接・間接に本学における研究活動と科学の健全な発展をその本質において脅かす深刻な結果を招いた。
 以上により、原告の行為は被告教職員就業規則38条5号に定める「大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合」に該当すると判断した。」
  (6) 被告教員就業規則には、懲戒に関して、次の規定が存在する。(甲1)
 (懲戒の事由)
   第38条 教職員が次の各号の一に該当する場合には、懲戒に処する。
 (5) 大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合
 (懲戒)
   第39条 懲戒は、戒告、減給、出勤停止、停職、諭旨解雇又は懲戒解雇の区分によるものとする。
 (1) 戒告 将来を戒める。
 (2) 減給 1回の額が労基法第12条に規定する平均賃金の1日分の2分の1を超えず、その総額が一給与計算期間の給与総額の10分の1を超えない額を給与から減ずる。
 (3) 出勤停止 1日以上10日以内を限度として勤務を停止し、職務に従事させず、その間の給与を支給しない。
 (4) 停職 2月以内を限度として勤務を停止し、職務に従事させず、その間の給与を支給しない。
 (5) 諭旨解雇 退職願の提出を勧告し、これに応じない場合には、30日前に予告して、若しくは30日以上の平均賃金を支払って解雇し、又は予告期間を設けないで即時に解雇する。
 (6) 懲戒解雇 予告期間を設けないで即時に解雇する。
  (7) 被告は、原告に対する本件解雇の発令に際して、中央労働基準監督署長に対し、解雇予告除外認定申請をしたが、その後、上記申請を取り下げ、平成19年1月31日、原告に対し、解雇予告手当の支給をするため原告に手続を依頼したが、原告はこれに応じず、解雇予告手当を受領していない。(甲3、4の1・2、弁論の全趣旨)
  (8) 原告は、本件解雇時まで、教育職(一)5級57号俸の俸給を毎月末日締め当月17日支払で受けており、平成18年7月から12月までの間に支払を受けた月額給与は、俸給支給額56万4200円、扶養手当4万5000円、地域手当7万9196円の合計68万8396円及び通勤手当であり、その平均は月額72万8222円である。(甲9の1ないし6、23)
 また、被告においては、毎年6月30日及び12月10日にそれぞれ夏季及び冬季の期末手当及び勤勉手当が支給されることとされており、原告は、平成18年6月30日に合計161万8192円、同年12月8日(10日が日曜日だったため)に合計171万6344円の支払を受けた。(甲9の7・8)
 2 争点
 原告が責任著者として本件各論文を作成、発表したことは、被告教員就業規則が定める懲戒事由「大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合」に該当するか。懲戒事由に該当するとしても、本件解雇は、懲戒権、解雇権の濫用に当たらないか。
 また、本件解雇に手続上の違法はないか。
 懲戒事由該当性、懲戒権、解雇権の濫用を判断するに当たって、検討すべき主要な点は、次のとおりである。
  (1) 本件各論文は、記載されている実験結果に再現性がないかどうか。(前記1(5)の処分理由1に関する事項)
  (2) 本件各論文の作成、発表において、原告は責任著者として、どのような役割、責任を負うのか。本件各論文が複数著者による学際的研究の論文であることはどのような影響があるか。(同)
  (3) 原告は、本件各論文を作成するに当たり、どのような検討をしたのか。その検討は十分なものであったか。(同)
 具体的には、原告は、Bが行った実験に対して、どのような関与、チェックをしたか。その関与、チェックは十分なものであったか。原告は実験をチェックする識見を有していたか。(以上は、同処分理由2に関する事項)
 実験ノートやデータの保存管理はどうだったか。(同処分理由3に関する事項)。
 本件各論文作成に当たり、原告は研究室の中で十分な情報交換や研究討議を行ったか。(同処分理由5に関する事項)
  (4) Bの行った実験に信頼性があったか。Bが行う実験について疑義が寄せられていた事実があるか。Bの実験に疑義があったとすれば、原告の関与、チェックは十分といえるか。(同処分理由4に関する事項)
  (5) 本件各論文の発表が被告に与えた影響はどうか。とくに教育活動に与えた影響はどうか。(同処分理由6に関する事項)
  (6) 他の事例との比較や、その他の事情に照らして、懲戒解雇としたことに相当性があるか。
 3 争点に関する当事者の主張
  (1) 論文の再現性について
 (原告の主張)
 一部論文の再現性に疑義が生じたが、再現実験の条件が十分でなく、また、再現性を得るには十分な期間ではなかったから、「再現性がない」とは断定できない。
 (被告の主張)
 実験結果の再現性の調査については、平成17年9月8日に被告工学系研究科長から原告に対して要請し、平成18年2月にかけて行われた再実験の結果を受けて、工学系調査委員会は、再現性、信頼性はないと判断した。
  (2) 責任著者の義務について
 (原告の主張)
 科学分野における学術論文の「責任著者」とは、当該論文の発表に関する対外的窓口を担い、学術論文を発表する際に、論文掲載予定の科学専門雑誌の編集者との間で、論文掲載の調整を行い、掲載論文に対する問い合わせ先となるなどの役割を受け持つものである。責任著者は、論文の発表に関して、科学倫理的な責任を負担する。
 (被告の主張)
 責任著者の役割は、論文の科学的な信頼性について最終的な責任(最も重い責任)を負い、論文の論理の流れなどだけではなく、論文の基礎となった実験の妥当性について確認・検証を行い、当該論文の再現性が確保されていることを確認した上で論文を発表することである。
  (3) 原告が行った実験結果の確認等について
 (原告の主張)
   ア 原告は、本件各論文に関して、論文作成にかかわったBとの間で、論文の対象研究分野、当該論文の具体的内容、原告とBの専門研究分野の違い、Bの研究実績・研究能力、論文作成上の役割分担等に照らして、責任著者として、必要な役割を誠実に果たし、論文内容の事前確認等を行った。博士号を持つ一人前の研究者であるBの実験経験や研究実績を前提として、原告は、必要な範囲で、実験データを確認しながら十分な議論を行って論文作成を進めた。
   イ 学際的論文の責任著者に求められる識見は、論文のテーマ全般にわたって科学の視点で理解する総合的な識見と研究全体を総合的に論文にまとめ上げる力量であり、原告はこれを有していた。
   ウ 研究者であるBが行う実験に信頼すべき合理的基盤があり、原告が進行管理に関与しなかったことは問題視すべきことではない。生データのほとんどは保存ができないものであったので、「生データに準じるデータ」を検討した。原告は、実験担当者であるBの分子生物学での研究実績等を踏まえた上で、自らの識見を生かして、責任著者として必要な役割を果たしている。仮に、Bが悪意によりデータの加工を巧妙な方法で行っていたとするならば、原告のみならずとも、責任著者や研究室責任者において阻止することが非常に難しいものであった。
   エ 実験担当者が実験ノートを作成・保管することは常識であり、Bが実験ノートを作成・保管していなかったことを疑う余地はなかったから、そのことに原告が気がつかなかったとしても落ち度はない。また、実験試料や実験データについても、実験担当者において一定の期間保存・管理しておくものであり、原告がBの実験試料や実験データの保存に特段の関与をしていなかったことについても落ち度はない。
   オ 被告学内において、実験ノート、実験試料及び実験データの保管・保存に関して規定した規則等は存在せず、教授等の研究室責任者に対して、その定期的な確認の励行や集合的な保管体制の確立に関する指導はされていなかった。
   カ 原告の研究室においては、マンスリーミーティングなどを通じ、グループを超えた情報交換や研究討議が自由闊達に行われ、研究者間、グループ間での競争関係はあったものの、グループを超えた議論により、研究のプロセスや結果に対してメンバー相互のチェック機能が実現していた。また、原告は、研究室の雰囲気やミーティングのさらなる向上のために様々な努力をしており、他の研究室と比較して、特に問題視されるような雰囲気ではなかった。
 (被告の主張)
   ア 原告は実験データのチェックをしていない。特にBについては、Nature誌にも掲載されるような新規性の高い実験結果を、学会の常識からは異例のスピードで発表しており、更に、Bは夜間に1人で実験を行うことを常態としており、Bがどのような実験をしているのか、他の研究室構成員は全く認識できない、という極めて特殊な状況にあったから、本来原告としては、Bの実験結果についてはとりわけ慎重な検討・精査を加えるべきであったにもかかわらず、客観的事実として、原告はBの実験結果について必要最小限の検討すら加えていなかった。
   イ 原告は、論文の科学的な信頼性について責任を持ちうるだけの識見、すなわち論文の対象領域である分子生物学の細胞実験について、その妥当性・信頼性・再現性を的確に判断しうるだけの識見を有していなかった。
   ウ 責任著者としては、論文の論理の流れなどだけでなく、論文の基礎となる実験のデータ等についても、とりわけ慎重な検討・精査を行うべきであった。特にBについては夜間に1人で実験を行う特殊な状況が常態化していたことや、一連の論文については原告の業績として学会や専門家に認知されることとなっていたから、原告においてはより一層、慎重な精査を要した。しかしながら、実際には、原告は、Bが実験で得たとする生データ(ゲルの写真、電気泳動のデータ、分析データ等、論文に記載された実験が行われたことの裏付けになる一次データ)をチェックしておらず、B作成のパワーポイントの資料を見ることしか行わなかった。原告のいう「生データに準じるデータ」も、原告はチェックしていない。
   エ Bについては、Nature誌に掲載されるような新規性の高い実験結果を、しかも研究者の常識からは考え難いスピードで発表していた。特にBが、夜間に1人で実験を行うことを常態としており、Bがどのような実験をしているのか、他の研究室構成員は全く認識していなかったという特殊な事情が存在した。また、日本RNA学会からの調査依頼(平成17年4月)以前にも原告の研究室の内外から信憑性に疑問を呈するコメントが複数原告に寄せられていた。
 このような特殊事情の下においては、原告が助手を科学者倫理・行動規範の側面において指導教育すべき教授職の基本的職責及び責任著者の責務として、Bの実験ノートの作成・保管状況についても確認し、Bによる実験試料や生データの管理状況にも意を払うべきであった。
   オ 研究者において、論文の正しさを客観的に説明する責任を履行するために、実験ノートを記録し、実験試料や実験データを保管すべきこと、この説明責任を果たすための体制が取られているか指導・確認を行うことが、研究室の最高責任者としての教授の基本的職責であり、論文に責任著者として名を連ねた者の基本的責任であり、改めて規定化するまでもない。
   カ 原告の研究室におけるマンスリーミーティングの実態は、日常的に科学的なコミュニケーションを行う機会のほとんどない原告に対する月1回の御報告会であり、あらかじめ指名されたコメンテーターによるコメントも形式的なものであり、研究室メンバーにおいて発表内容に関する実質的な議論がなされていたものではない。Bと他の構成員との間でもコミュニケーションがほとんどなく、不協和音が存在した。原告が研究室の現状の問題性を自覚した上、率直な議論を交わすことのできる研究環境を構築するべく改善努力した形跡はない。
  (4) Bの実験結果の信頼性について
 (原告の主張)
   ア RNA学会からの指摘よりも前に、原告に対し、Bに関する肯定的でないコメントを複数受領していたが、それらは抽象的なものであり、いずれも既に取り下げられた論文3に関連して述べられたものにすぎなかったから、これらのコメントを受けてBの実験について特別に解明や検証の作業をすべきであったとまではいえない。
   イ 本件では、原告は、調査の初期段階から速やかな対応をしていた。RNA学会からの調査依頼の事実を知らされた6日後には、回答書面を作成し、被告に渡したし、その過程で、原告は、Bの実験試料と実験方法を用いた研究者や指摘された内容について共同研究を行っていた外部の研究者に、実験成果とBの実験に対する評価を確認するなど、原告なりの確認調査を行った。Bが、実験ノートや実験試料や実験データを保存していないなどということは、想像すらできないことであり、調査依頼があるまで、確認しなかったことは責められるべきことではない。
 (被告の主張)
   ア 論文の取下げをすること自体、研究者生命を脅かしかねない深刻な事態となりうる上、論文3について、その理由が遺伝子名の取り違えという生命科学に携わる研究者としてはあり得ないことであり、E京都大学教授(以下「E教授」という。)からのコメントは具体的にBの実験方法について疑義を提示するものであった。Bが夜間に1人で実験を行うことを常態としていたという事情の下では、責任著者である原告は、再度Bの実験試料や生データの管理状況等を確認するなどの適切な対応をするべきであった。
   イ 責任著者である原告が直ちに自ら検証作業に取りかかることは当然のことであるにもかかわらず、実験ノートや実験試料・生データの存在の確認すら要求されるまで行わなかったものであり、進んで事実を解明しようとする姿勢に欠けていたものである。
  (5) 本件が工学系研究科における教育活動に与えた影響について
 (原告の主張)
 本件事件が原告の研究室所属の大学院生へ影響したのは事実であるが、再現性の実験結果が出る以前の段階で被告が原告に対して研究室所属大学院生の所属変更を求めてきており、その変更が既定事実であるという前提で説明していたために、原告はさらなる混乱を避けるためにやむを得ず同意したものである。教育活動に影響を最も大きな影響を与えたのは、被告が不当に行った原告に対する本件解雇そのものである。被告自身の不適切な情報管理、情報発信により、その影響は拡大した。
 (被告の主張)
 被告が記者会見等に至ったことも、原告が本件解雇をされたことも、すべての発端は、原告が再現性と信憑性の認められない論文を繰り返し発表したことにある。
  (6) 本件処分の相当性について
 (原告の主張)
   ア 被告は、本件に関して原告に一切の結果責任を負わせるものであり、相当性を欠く。原告については、過失による監督責任のみが問題となる余地があるのであって、Bが問われるべき実験者としての行為者責任ではない。また、科学倫理的な基準からの逸脱に関する倫理的な批判と雇用契約上の法的な懲戒責任は明確に区別すべきものである。これを区別しない、本件解雇は相当性を欠く。
   イ 「東京大学憲章」、「東京大学の科学研究における行動規範」、「科学者の行動規範」は、いずれも問題論文の発表後、ないしは問題論文に関する実験がほとんど終了した後に施行されたものであるので、規範的判断の時限性の観点から、これらは、本件での原告の責任を論じるに当たって、具体的な評価根拠規範とならない。
   ウ 被告工学系研究室において、共同研究論文が実質的に実験の再現性が確認されないとの理由で取り下げられた前例がある。この例は、本件と同じく、助手の実験結果自体に問題があったため、ミスコンダクトという疑いが非常に強いと判断された、専門学会内では著名な例である。しかし、被告では、この論文発表に関する懲戒問題が正式に取り上げられたり、責任著者であった教授らに何らかの懲戒処分が問擬されたことがない。同種の事案において著しい不均衡がある。
   エ 人事院の「懲戒処分の指針」や被告の「東京大学教職員に係る懲戒処分の指針(案)」においては、指導監督不適正については、減給又は戒告ないし出勤停止、減給又は戒告とする旨定められている。
   オ よって、原告について懲戒事由が存在するとしても、懲戒解雇処分は、相当性を欠き、平等取扱いの原則に反するから、懲戒権、解雇権の濫用に当たり無効である。
 (被告の主張)
   ア 被告が問題としているのは、あくまで責任著者及び被告の教授職として、そして、科学者・研究者としての行動規範・行動準則に違反したこと、すなわち、責任著者、被告教授職及び科学者・研究者として、行うべき行為を行っていなかったという行為責任を問責しているものである。原告のいう行為者責任と監督責任の区別は無意味である。
   イ 懲戒処分の相当性の判断においては、懲戒処分の対象となる非違行為がもたらした結果の重大性についても重大な考慮要素になるものである。再現性を担保した形で論文を発表し、他の研究者の疑義の提示に対して直ちに説明責任を尽くすべきことが、科学技術の分野における研究者の基本的責務・行動規範であり、被告教職員としての基本的責任である。東京大学憲章等からもこの基本的行動規範は明らかであるが、被告としては、明文化された規定やガイドラインを適用して本件解雇を行ったものではない。あくまで、原告が当然に認識し、遵守していて然るべき最低限の基本的責務・基本的行動規範に背馳する行為を繰り返したことをもって、原告を本件解雇としたものである。
   ウ 共同研究論文が取り下げられた前例において責任著者であった教授が、論文について生じた疑義に対して、直ちに再実験・検証実験を行い、短期間で論文を撤回し、その混乱の影響を最小限にとどめる努力をし、科学者・研究者としてできうる限り誠実に対応したことと原告の対応とでは大きな差があり、内容、性質が異なるから、平等取扱いの原則に反しない。
   エ 人事院の指針が、国立大学法人とその教職員との間の雇用契約関係を規律するものではないし、指針は、処分量定をするに当たっての参考にすぎず、個別の事案の内容によっては、標準例に掲げる量定以外とすることがありうる。また、本件は指針においても全く予定していないものである。
   オ よって、原告に対する懲戒処分の程度として、懲戒解雇以外の選択肢はなく、本件解雇は相当であって、有効である。
  (7) 懲戒解雇の手続違法について
 (原告の主張)
 本件解雇は、平成18年12月27日に、30日前の解雇予告又は30日分以上の解雇予告手当の支払なく行われており、かつ、労働基準監督署長の解雇予告除外認定が存在しないから、労働基準法20条1項本文に違反して無効である。
 さらに、被告の就業規則上、懲戒解雇は「予告期間を設けないで即時に解雇する」場合に限定されるから、労働基準監督署長から解雇予告除外認定を受けていない本件解雇は、懲戒解雇に該当せず、本件解雇は就業規則に反し、無効である。
 (被告の主張)
 争う。労働基準法20条1項ただし書にいう「労働者の責めに帰すべき事由」が存在する場合とは、およそ使用者による懲戒解雇処分が有効とされるよりも一層強度の重大性・悪質性が認められる場合に限定されることが解雇予告除外認定の実務であり、解雇予告除外認定がないことから本件解雇が無効になるものではない。
第3 争点に対する判断
 1 認定事実
 前提事実に各項記載の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
  (1) 原告及びBの経歴等
   ア 原告は、昭和52年南イリノイ大学理学部化学生化学科卒業後、南イリノイ大学大学院理学研究科化学生化学専攻に入学し、昭和54年にイリノイ大学大学院理学研究科化学専攻に編入し、昭和59年に同大学院にて博士号を取得し、ペンシルバニア州立大学博士研究員となった。昭和62年に帰国し、産総研の前身である通産省工業技術院に入所し、主任研究官等を経て、平成18年当時は、産総研のジーンファンクション研究センターセンター長であった。また、原告は、上記と併せて、平成6年から平成11年には、筑波大学応用生物化学系教授を務め、平成11年から平成18年まで被告大学院工学系研究科化学生命工学専攻教授の職にあった。
 原告は、平成6年から筑波大学に所属し研究室を有し、平成11年9月に被告大学院工学系研究科教授として被告に移籍してからは、被告大学院工学系研究科担当を命じられて、研究室を持っていたが、平成18年1月、同担当を免ぜられた。(甲5、乙8の16)
   イ Bは、平成5年3月に埼玉工業大学工学部を卒業後、平成7年3月に北陸先端科学技術大学院大学大学院材料科学研究科機能科学科専攻博士前期課程(修士課程)を終了し、同年4月から筑波大学大学院農学研究科応用生物化学専攻博士課程に進学し、原告の研究室に所属し、平成10年3月に同博士課程を修了し、博士号を取得した。同年4月から原告が所属していた通産省工業技術院特別技術補助職員となり、平成12年10月、被告工学部工学系研究科教務職員となり、平成13年4月から被告大学院工学系研究科助手を務め、原告の研究室に所属していた。(乙8の16、13の1・4)
 Bは、北陸先端科学技術大学院では、環境ホルモンの研究をしており、分子生物学の分野に入ったのは、筑波大学大学院で原告の下で研究するようになってからであった。B自身は、工学系調査委員会(後記(4)イ)による事情聴取において、分子生物学の実験技術は、筑波大学大学院博士課程の1年次に、夏休みもなしで必至に覚え、同年の12月ころには、大学4年生に教えられるレベルになったと述べている。(乙7の5、13の4)
  (2) 原告の研究室の運営及びBの実験、研究の方法
   ア 被告における原告の研究室では、助手や博士研究員など博士号を有し、研究実績のある者をサブリーダーに指名し、サブリーダーを責任者とするグループ研究を行っていた。サブリーダー3ないし5名と学生を合わせて総勢約30名の研究室であった。サブグループは、それぞれ別の部屋を使用して、実験研究を行っていた。学生の指導は、それぞれのサブグループのサブリーダーが行っていた。(甲25、28、乙7の4、証人F)
   イ 原告の研究室においては、原告以外に分子生物学の分野に通じている博士研究員なども参加して、月に1回程度の頻度で、研究室の全員が参加するマンスリーミーティングが行われ、そこで、各自研究発表を行い、ディスカッションが行われていた。マンスリーミーティングにおける報告時間は1名当たり15分から長くても1時間程度であった。報告の中での実験データの示し方については、当初から、資料を作成して個々の参加者に配付したり、直接データを見せるという形式ではなく、機械を使って実験ノートをスクリーンに映す等をしていたが、平成12年又は13年ころから、パワーポイントを使用してスクリーンに映すことが多くなっていた。(甲21、25、28、乙7の4、証人G)
   ウ Bは、原告の研究室において、夜間に単独で実験、研究をしていた。研究の対象や、実験の内容を原告の研究室内で前もって話すことはなく、テーマを自ら決め、実験結果のデータをいきなり持ってくることが少なくなかった。Bが、どのような実験をしているかということが研究室の構成員に分かるのは、マンスリーミーティングにおける報告を通してであった。(乙7の7・19、乙8の2、証人G)
  (3) 本件各論文の発表
   ア 論文8
 (ア) 論文8(筆頭著者:B、責任著者:原告、他に共著者2名)は、平成14(2002)年4月、Nat Biotechnol誌に発表された。
 論文8の概要は、mRNA(メッセンジャーRNA)に対するランダムな基質結合アームを持つハイブリッド・リボザイムのライブラリーを導入したMCF-7細胞の中で、アポトーシスを誘導する腫瘍壊死因子TNF-αを加えても生き残ったクローンから回収したハイブリッド・リボザイムの塩基配列を解析し、DNAデータベースを探索することにより、TNF-αを介したアポトーシス経路に関与する多くの前アポトーシス遺伝子を同定したというものであった。なお、mRNAに対するランダム化した基質結合アームを持つハイブリッド・リボザイムを用いて遺伝子を同定する方法をジーンディスカバリー(Gene Discovery)という。(甲55、乙6の27)
 (イ) 原告は、平成10年ころ、ハイブリッド・リボザイムを作ることに成功し、ハイブリッド・リボザイムを使って特定の遺伝子を探す技術を開発できるのではないかと発案し、Bにこのテーマを伝えて、実験を指示していた。Bは、実験をして、ハイブリッド・リボザイムを使用してアポトーシスという現象を起こす遺伝子を同定することができたとして、生データから作成したとするデータを原告に見せるなどし、原告とディスカッションを行い、マンスリーミーティングで発表をした後、論文を作成した。原告は、論文の論理展開などについて指導し、論文8が完成した。なお、ジーンディスカバリーによる遺伝子同定については、HとIがこれを使用した遺伝子同定の論文を発表し、議論に参加していたので、原告は両名を共著者に加えた。(甲5)
   イ 論文7
 (ア) 論文7(筆頭著者:B、責任著者:原告、他に共著者2名)は、平成15(2003)年2月1日、Nucleic Acid Res誌に発表された。
 論文7の概要は、活性型組み換えヒトダイサー(re-hDicer)を大腸菌で発現させ、活性させることに成功したというものである。このダイサーを用いて作製したsiRNA(short interfering RNA)のRNA干渉活性によって、それぞれの遺伝子の発現を特異的に抑制できることになるというものであった。(乙6の27)
 (イ) 原告は、平成13年ころ、研究室の構成員に、siRNAを効率的に作る技術が必要になるという話をしていた。Bは、ダイサーを使って長いRNAを切断してsiRNAを作ることはできないかと発案し、Bから指示を受けた博士課程のIがダイサーの遺伝子を構築することに着手した。これをIから引き継いだBは、ダイサーの構築に成功し、活性化させ、長いRNAを切断することに成功したとして、生データから作成したとするデータを原告に見せるなどし、原告とディスカッションを行い、マンスリーミーティングで発表をした後、論文を作成した。原告は、この論文の構成や論理展開などについて指導をして、論文7が完成した。原告は、論文作成の際には、論文に掲載した最終的な結果以外のデータは見なかった。なお、原告は、当初ダイサー構築を行っていたIとダイサーの役割を調べるためのリボザイム構築等に協力したJを共著者に加えた。(甲5、乙7の3)
   ウ 論文3
 (ア) 論文3(筆頭著者:B、責任著者:原告及びB)は、平成15(2003)年6月19日、Nature誌に発表された。
 同論文の概要は、マイクロRNA-23が転写リプレッサーHes1(Hairy enhance of split)由来のmRNAを標的として結合し、Hes1の発現を抑制していることを実験により、明らかにしたというものである。マイクロRNA-23は、Hes1由来のmRNAの一部と77%の相補的な配列を持っている(ホモロジー解析から導かれる。)。レチノイン酸誘導によりニューロン細胞に分化するNT2細胞にマイクロRNA-23を発現させると、Hes1のmRNA量は変化しないもののHes1の発現量は抑制されること、また、マイクロRNA-23に対するsiRNAを同時に細胞内に導入するとHes1の発現量が増加してレチノイン酸誘導によるNT2細胞の神経分化を阻害したことが確認されたことから、マイクロRNA-23がHes1のmRNAを標的として転写後レベルでHes1の発現を制御し、NT2細胞のレチノイン酸誘導神経分化にかかわっていることを明らかにしたというものであった。(乙6の27、16)
 (イ) Bは、単独で、独自に、マイクロRNA-23とHes1の関係に関する実験を行い、成功したとして、生データから作成したとするデータを原告に見せるなどし、原告とディスカッションを行い、マンスリーミーティングで発表した後、論文を作成した。原告は、この論文を読み、出来がよいと評価し、2、3時間かけてチェックをし、論文3を完成させた。(甲5、乙8の13)
 (ウ) 論文3がNature誌オンライン版に掲載された2日後、海外の専門家から、論文3においてHes1の遺伝子配列として記載されているものは、Hes1ではなく、ヒトESホモログ(HES1)遺伝子の配列であると、遺伝子の取り違えが指摘された。(乙16)
 (エ) Hes1について研究していたE教授は、論文3を読み、同僚であった博士ともに、Nature誌の編集者に対し、平成15年7月17日付けで、(ウ)と同じ指摘を行った。
 その後、原告と話す機会を得たE教授は、論文3について、Hes1タンパク量が特異的に変化したことを証明するためには、論文3に記載されている市販のHes1抗体を用いたエリザ法では不十分であり、ウェスタン・ブロッティング法を行う必要がある旨をアドバイスした。(甲55、乙18の1、原告本人)
 (オ) 原告は、遺伝子を取り違えていることを伝えられ、Bに確認した。Bの話から、Bが遺伝子のデータベースを調べた際、Hes1を検索するつもりで、HES1を検索してしまったが、これをHes1と思って実験を進め、HES1のmRNA量を調べるなどしていたことがわかった。そこで、改めて、Hes1のタンパク量の変化やHes1由来のmRNA量の変化を実験して調べることになった。この実験もBが単独で行った。原告は、Bから、実験結果はHES1を調べたときと同じであり、論文3の内容は間違っていないとの報告を受け、実験結果として電気泳動のゲル写真を見せられた。(甲80、乙7の3、8の4、13の2、16、証人G、原告本人)
 (カ) そこで、原告は、Nature誌の編集者に、論文3でHes1としていたのはHES1の取り違えであったが、同論文に記載したHes1でも同じ結果が得られるデータを持っている旨を伝えた。
 また、原告は、平成15年10月に開催された第76回日本生化学会大会の期間中に行われたセミナーで、講師として、「論文3で遺伝子を間違えはしたが、マイクロRNA-23はHES1のmRNAと同様、Hes1のmRNAとも結合し、Hes1タンパク量の発現を抑制しているというデータを得ている」という趣旨の発言をした。これに対し、セミナーを聴講していたE教授は、原告が論文3に記載したのと同じ市販のHes1抗体を用いたことを確認した上で、上記(エ)同様に、ウェスタン・ブロッティング法を行う必要がある旨を改めて指摘し、論文3の結果自体はさも正しいかのように発表するのはおかしいと指摘した。(甲55、乙16、18の1、原告本人)(なお、K教授は、原告がE教授のアドバイスにしたがって同年9月までにウェスタン・ブロッティング法による追加実験データを得ていた旨を陳述書に記載している(甲79)が、前記のとおり、E教授の指摘に対して原告はウェスタン・ブロッティング法によるデータを得ている旨の回答をしなかったものであり、原告が同データを得ていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。仮にBから同データを得ていたとすると、原告が回答をしなかったことから原告が追加実験にそれほど関心を持っていなかったあるいは理解をしていなかったことが窺われる。)
 (キ) 被告のL教授は、論文3の内容に疑義があるという話を聞き及び、原告に対して直接電話をかけて、ことの経緯を聞き、Bの生データを確認したかを尋ねたが、原告は「生データは確認していません。彼は嘘をつくような人間ではなく、100%信用していますから。」と答え、L教授が、「生データは確認したほうが良いですよ。重要な問題ですからきちんと対応してください。」と言って通話を終えたことがあった。(乙18の3)
 (ク) 原告及びBは、論文3について、平成15年11月6日、ホモロジー解析によって同定した遺伝子は、Hes1ではなく、HES1であったとして、遺伝子の同定を間違えたことを理由に取り下げた。
 原告らは、取下げ理由として、「遺伝子の命名法が混乱していたため、遺伝子の同定を間違えた。NT2細胞における我々の実験は、転写リプレッサーHes1のタンパク量がマイクロRNA-23によって減少することを明らかにした。マイクロRNA-23は、転写リプレッサーHes1のmRNAとも結合する可能性を示唆する未発表データを我々は持っているが、転写リプレッサーHes1のタンパク量がマイクロRNA-23に応じて減少するという発見に対する説明は、その機構と特異性に関して、まだ明らかではない」旨の記載をした。(乙6の27)
 (ケ) RNA干渉の研究者で原告と親交のあったM教授は、上記(カ)の日本生化学会におけるE教授の指摘を聞き、また、論文3の取下げがあったことから、同月24日から同月27日にかけて開催された日本RNA学会の「RNA 2003 KYOTO」で原告に会った際、「Bは危ないのでラボから出した方がよい」と忠告し、さらに、翌平成16年5月、日本生化学会中国・四国支部例会で原告に会った際にも、同旨の忠告をした。(乙18の2)
 (コ) そのころ、サブリーダーとして原告の研究室に所属していたG(被告医学系研究科特任助教授。)も、論文3に関してそのような偶然があるのか気になり、原告に対して、Bを留学に出してはどうかと勧めた。原告も、Bに対して、絶対に間違いないよね、作っていることはないよね、と話したことがあった。(乙7の7、13の6)
 (サ) 原告は、平成16年に、Differentiation誌及びNucleic Acids Symposium Series誌に小論文を発表し、新たな実験データを示すことなく、マイクロRNA-23はHes1由来のmRNAとも、HES1由来のmRNAとも結合するという趣旨の記載をした。(乙18の1)
   エ 論文12
 (ア) 論文12(筆頭著者:B、責任著者:原告及びB)は、平成16(2004)年9月9日、Nature誌に発表された。
 同論文の概要は、ある種の合成siRNAは、ヒト細胞のDNAのメチル化とヒストンH3のメチル化を引き起こし、このDNAのメチル化は転写レベルで遺伝子発現抑制を誘導できることを明らかにしたというものである。(乙6の27)
 (イ) 平成14年ころ、siRNAが植物細胞のDNAをメチル化することが発表されたことから、Bは、単独で、独自に、同じ現象が哺乳動物でも起こるのではないかと発案し、実験で確認ができたとして、生データから作成したとするデータを原告に見せるなどし、原告とディスカッションを行い、マンスリーミーティングで発表した後、論文を作成した。原告は、この論文は出来がよいと評価し、2、3時間のチェックをして、論文12を完成させた。この論文をNature誌に投稿したのは平成14年か15年であったが、実験方法について、投稿した論文に記載されている方法は感度が高くないと査読者から指摘され、やり取りがあり、同年11月当時、Bが再実験のデータを追加するなどしていた。(Bは、工学系責任委員会の事情聴取に対して、査読者からDNAメチル化部位を検出するために必要と指摘されたバイサルファイト法によるシーケンスデータをとるなどの実験を追加して平成16年3月に論文を再投稿し、同年4月末又は5月初めころにアクセプトされたと説明している。)(甲5、乙7の6、8の13、13の2)
 (ウ) ところが、オンライン公表の当日、Nature誌のオフィスに、論文12に掲載されているDNAのプライマー配列は間違いであるという指摘が寄せられ、バイサルファイト法によりDNAメチル化部位を検出するためのDNAプライマーの配列は後に「検出不能」であることが判明したため、後日、その訂正記事がNature誌に掲載されている。(乙6の27、18の2)
   オ 原告は、平成18(2006)年3月26日付けで、既に取下げ済みの論文3を除く本件各論文及び論文6の各掲載誌編集者に対して、本件各論文(論文3を除く。)及び論文6を取り下げる旨の連絡をした。(乙6の29、9の14)
  (4) 工学系調査委員会の調査
   ア 平成17年4月1日、日本RNA学会から、C工学系研究科長に対し、本件各論文を含む論文等別紙記載の12編の文書について、国内外から疑義が提出されているとして、事実関係の調査依頼がされた。(前提事実(4))
   イ 平成17年4月11日、工学系調査委員会が発足し、専門調査委員として、いずれもRNA研究を専門とする研究者4名が選任された。調査が終了するまで、専門調査委員の名前は、原告及びBには知らされなかった。いずれも日本RNA学会学会のメンバーであった。(甲30、31、乙6の27、弁論の全趣旨)
   ウ 工学系調査委員会は、日本RNA学会から調査依頼があったことを原告に伝え疑惑の解明に協力するとの回答を得ていた。そこで、日本RNA学会から指摘を受けた論文等のうち、実験結果の再現性の検証が比較的容易であると判断された本件各論文を選び、専門調査委員の意見を聴取して、平成17年7月7日、原告に対し、以下のとおり、本件各論文ごとに疑問とされる点を指摘して、その再現性を検証するために実験記録(実験データ(生データ。ゲルやその写真等)、実験ノート等)、実験試料、プロトコル(実験の手順・条件についての記述)等の提出を求めた。(乙6の2)
 (ア) 論文8について
 1012の多様性をもつランダム化した基質結合アームを持つハイブリッド・リボザイムを107個の細胞に導入した場合に同定したという前アポトーシス遺伝子8個をヒットする確率は10-14程度であり、このような奇跡的なことが本当に起こりうるのか。
 (イ) 論文7について
 論文に記載された方法では、大腸菌内で活性型組み換えヒトダイサー(re-hDicer)を得ることはできないはずである。
 (ウ) 論文3について
 マイクロRNA-23と77%程度の部分的に相補的な配列を持つ遺伝子の数は2000以上あるが、その遺伝子群の中からHes1のmRNAをマイクロRNA-23の標的候補として取り上げた根拠が不明確である。また、使用された市販のHes1抗体を利用したエリザ法では、Hes1タンパク量を正確に測定できないと指摘されている。
 (エ) 論文12について
 論文に記載された遺伝子で、用いられたsiRNAにより発現抑制がおこるか。配列特異的な遺伝子発現抑制が見られる場合、それは、siRNAの核移行を促進させるような処理や方法も全く行わなくても起こるのか。配列特異的な遺伝子発現抑制が見られる場合、それは、DNAメチル化によるものであるのか。
   エ 原告は、このころ、Bに対して、本件各論文に関係する実験ノートを見せるように求めたが、Bは、実験ノートはないなどと述べて、実験ノートを見せなかった(この時の前には、原告は、Bに対して実験ノートを見せるように求めたことはなく、実際にBの実験ノートを見て確認したことがなかった。)。原告は、平成17年7月19日、Bから聴取した説明や、Bから提供を受けたデータ等に基づいて、工学系調査委員会に対し、「調査に関わる実験試料、プロトコル、記録の提出依頼についての返答」を提出し、配列情報や一部のプロトコルを記載したほか、実験記録や実験材料等について次のように回答した。(乙6の3、13の1)
 (ア) 論文8について
 コンピュータの処分等により記録が残っていない、又は、古い実験記録やデータは論文発表後に処分した。
 (イ) 論文7について
 ベクター及びホスト株の提供は可能だが、プロジェクトを引き継いだ大学院生のサンプルと判別がつかなくなっているので、配列確認の必要がある。
 タンパク質のサンプルは、被告での停電で冷凍庫の温度が上がったため古いものは処分した。ダイサー検出に用いた試薬は、提供可能であるが、停電で冷凍庫の温度が上がった影響があるので、再実験には新しい試薬を購入する必要がある。
 論文を発表するまでメモの走り書きと生データを集めているので、整理された実験ノートは存在しない。
 ダイサー検出の生写真を添付
 (ウ) 論文3について
 市販のHES1抗体を利用したエリザ法の生データ等を提出する。
 マイクロRNA-23の検出については、コンピュータの処分により記録がない。
 マイクロRNA-23に関するその標的配列とルシフェラーゼとの融合遺伝子を用いた実験についての生データを提出する。
 (エ) 論文12について
 機械の処分によりsiRNA合成、DNAプライマーの合成、ノーザン・ブロッティング法による実験の記録はない。
 遺伝子配列のシーケンスデータのプリントアウトを添付
   オ 上記エの原告回答に記載されていたプロトコルは、論文作成の時の実験の際に作成されたものではなく、新たに整理されたメモであり、通常当然保管しているべき核心的な記録や生データが処分したとして、生データとして提出されたのは、エリザ法の吸光度測定結果のプリントアウト(上記(ウ)論文3)やシーケンスデータ(上記(エ)論文12)等、絵に描いたような見事な結果を示すものだけであって、作為性が疑われ、本当の実験結果である可能性が極めて低いものなどであった。
 そこで、C工学系研究科長は、平成17年8月22日、原告に対し、本件各論文に関する実験試料並びに関連する実験ノートなどを提出するよう要請した。
 これに対して原告は、同年9月5日、回答文書及び添付資料を提出したが、同回答文書には、Bがウェスタン・ブロッティングやノーザン・ブロッティングなどのデータをコンピュータ上に取り込み、整理された実験ノートとして記録を残していなかったことを知ったと述べられており、実験データやプロトコルが記載された実験ノートが存在しないことが工学系調査委員会にも明らかとなった。また、唯一生データと称して提出された添付資料は、論文8中の図そのものであった。(乙6の4ないし7)
   カ C工学系研究科長は、実験結果を裏付ける生データの存在を確認することができず、実験結果の信頼性を確認するには至らないため、直ちに再実験を行い、その結果を提出するよう要請する必要があるとの工学系調査委員会の指摘に基づき、原告に対し、平成17年9月8日、本件各論文について、その再現性を確認するための再実験を行い、論文で示された実験結果を提出するよう要請した。
 原告は、上記要請を受け、論文7についてはBが、論文12についてはGが、それぞれ再実験を担当し、論文7、論文12、論文3の順で再実験を行うことにした。その後、原告は、論文7については、第三者であるa社にも実験を依頼した。(乙6の10・11・13・16・17)
   キ 原告は、平成18年1月12日付けで工学系調査委員会に対し、再実験報告書を提出し、論文7については、Bが行った再実験は、同人から実験結果の再現に成功し、大腸菌でダイサーの発現と活性が確認されたとしてそのデータの提出があったが、a社の再実験では、ダイサーの発現は確認されたものの、発現したダイサーの活性は認められなかったこと、論文12については、Gの再実験では論文に記載されている発現抑制は確認できず、再実験そのものがうまくいっていない可能性があること、論文3及び8については、いまだ再実験を行っていないことを報告した。(乙6の20)
   ク 専門調査委員が、原告から工学系調査委員会に報告された論文7に関するBの再実験を精査したところ、実験材料として論文7記載のものとは異なる発現ベクターが用いられていること、宿主大腸菌についてもBが再実験について作成した研究ノートの記載とは異なるものが用いられていることが判明した。そこで、工学系調査委員会は、平成18年1月21日、Bに対して事情聴取を行ったところ、Bは、論文7にある発現ベクターは記載ミスである、再実験には研究ノート記載の宿主大腸菌を使用した等と答えた。
 工学系調査委員会は、同年2月3日付けの文書で、原告に対し、論文7の記載ミスしたという発現ベクターの構築方法の詳細なプロトコル及び同構築に用いられたすべてのDNAプライマーの発注、納品、塩基配列記録等の提出と、再実験結果、実験記録、実験試料の提出を求めた。(乙6の24・27)
   ケ これに対して、原告は、追加資料として、平成14年10月時点でBが再実験に使用した発現ベクターが存在したことを裏付けるとする三熊研究員の実験ノートを、また、Bは、「提出資料並びに再実験報告書」のほか、論文7の記載ミスであったという発現ベクターの構築方法のプロトコル、同構築に用いられたとされる6種類のDNAプライマーのうち、3種類の合成・納入記録等を提出した。
 工学系調査委員会は、平成18年2月21日、追加資料等を検討した結果、以下の事実等を確認し、論文7の発現ベクターの構築に関しては捏造の可能性が極めて高いと結論づけた。
 ① a社による論文7の再実験結果は、Bの実験結果と異なり、ダイサーの発現は認められたが、その活性は認められなかった。
 ② Bが提出した発現ベクターの構築方法のプロトコルは、論文7記載のプロトコルとは似ても似つかぬものであり、単純な記載ミスというのには余りに異なる。
 ③ 論文7及び再実験で発現ベクターの構築に用いたとする6種類のDNAプライマーのうち、3種類の納入記録を提出したが、残る3種類は、具体的な塩基配列情報は示されず、合成記録も残されていない。また、業者から納入されたとするDNAプライマーを用いたプロトコルでは、論文7及び再実験で用いたという発現ベクターを構築することは科学的に不可能である。
 ④ 三熊研究員の実験ノートは、平成16年1月7日時点のものである。(甲47、乙6の27)
   コ さらに、工学系調査委員会及び工学系責任委員会の調査の過程において、Bが論文7の再実験を行っている期間中に同再実験においてその発現と活性を確認すべき現物にほかならないダイサーを個人的に購入していた事実及び、Bが論文12に関して平成15年11月に得た生データとして提出した遺伝子配列のシーケンスデータは、平成16年9月にバージョンアップされた解析ソフトを用いて作られたものであり、論文12作成時より後に捏造されていた事実が判明した。(乙6の27)
   サ 工学系調査委員会は、平成18年3月29日、C工学系研究科長に対し、最終報告書「日本RNA学会から再現性に疑惑が指摘された論文に関する調査最終報告」を提出した。同最終報告書は、本件各論文に関しては、再現性、信頼性はないものと判断されるという内容のものであった。
 C工学系研究科長は、同月30日、日本RNA学会に対し、本件各論文に関し、再現性・信頼性はないものと判断した旨を報告した。(乙6の27、30)
  (5) その後の調査と本件解雇の通知
   ア C工学系研究科長は、平成18年1月25日、工学系調査委員会の同月18日付け中間報告(第3回)を受け、被告総長に対し、「RNA学会から再現性に疑惑が指摘された論文の著者の責任に関する予備調査報告」を行った。
 同報告は、本件各論文について実験結果の再現には至っておらず、これらの論文の著者である原告及びBが、研究者として当然求められる客観的資料・データ等の管理保存を怠り、論文の正しさを客観的に証明する責任を果たしていないことは、大学法人たる被告の名誉又は信用を著しく傷つけたと判断せざるを得ず、懲戒処分を下すことが妥当であると思料されるというものであった。(乙7の1)
   イ その後、被告工学系責任委員会は、原告やBら関係者の事情聴取を行い、その結果も踏まえて、平成18年5月2日、被告総長に対して、調査報告書を提出した。その結論は、原告に対して懲戒処分の中で最も厳しい処分を下すのが相当とするものであった。(前提事実(4)、乙7の19)
   ウ 上記を受け、懲戒委員会調査委員会が設置された。懲戒委員会調査委員会は、原告やBら関係者から事情聴取を行い、その結果も踏まえて、同委員会が認定した事実と原告に懲戒事由がある旨を記載した文書を作成し、これを原告に示した上で、原告やBから弁明書(補充書を含む。)の提出及び口頭による弁明(原告の代理人である弁護士も立ち会った。)を受け、平成18年12月26日付けで、教員懲戒委員会に対して、報告書を提出した。その結論は、原告を懲戒解雇とすることが相当とするものであった。(前提事実(4)、乙8の1ないし16)
   エ 上記報告を受け、被告総長は、原告に対し、平成18年12月27日、懲戒解雇する旨通知した。(前提事実(5))
 2 懲戒事由該当性、とくに論文の再現性について
  (1) 前提事実及び1の事実経過に照らすと、第2の冒頭に述べたとおり、被告は、原告が再現性のない本件各論文を筆頭著者として作成、発表したことによって被告の名誉と信用が著しく傷つけられたとし、これを懲戒事由に該当する事実として、本件解雇をしたことは明らかである。このことは、被告が挙げる処分理由(前提事実(5))の要約部分(「以上要するに」で始まる段落」)の記載からも明白である。
  (2) 上記に示した懲戒事由該当事実「原告が再現性のない論文を筆頭著者として作成、発表したこと」のうち、原告が責任著者として本件各論文を作成、発表したことは争いがない(前提事実(4))。責任著者はどのような役割を果たすべきであるか、原告が本件各論文の作成に当たって現実にはどのようなことを行ったかという点はともかく(この点は、原告の責任の重さに関係し、本件解雇の相当性の判断に影響するものであり、後述する。)、責任著者も対外的には論文作成者であり、論文の発表者であることは明らかである。
  (3) そこで、本件各論文で述べられている実験に再現性がないのかどうか(争点(1))を検討する。
 前記認定事実(4)エないしケによれば、工学系調査委員会の調査過程で、本件各論文のいずれについてもほとんどの実験記録や実験試料の存在が認められず、実験結果として生データも提出されず、その後、平成17年10月から平成18年2月にかけて、本件各論文について再実験が行われたが、論文7及び論文12については再実験が成功せず(論文7について、成功したとするBの再実験も、論文に記載されたとおりの結果が出たとは確認されなかった。)、論文3及び論文8については再実験が終了しなかったことが認められ、本件各論文は、いずれも再現性がないことが認められる。
 これに対し、原告は、再現実験の条件が十分でなく、Bが精神疾患を発症したり、被告の判断によって原告の研究室が事実上閉鎖されるなどした状況があり、再現性を得るには十分な期間ではなかったから、「再現性がない」とは断定できないと主張する。
 しかし、再実験が行われた期間は、平成17年10月から平成18年2月にかけてであり、短い期間とはいえないし、論文作成時に実験を行い結果を出したはずのB自身が行った論文7にかかる実験も再現ができなかったのであるから、再現性がないという評価に誤りはない。むしろ、認定事実(4)エないしケのとおり、実験を行ったはずのBが正確なプロトコルを示すことができないこと、実験を行ったのであればその経過や結果を記載したはずの記録(実験ノート等)がないはずはないのに、Bは実験ノートその他実験経過を記載した書面を全く提出しないこと、認定事実(4)ウ、エのとおり、本件各論文の実験結果には、理論的にも多くの疑問があること、Bはこれらの疑問を解消する明確な回答ができないこと、Bは論文作成の際に行ったとする実験をすべて単独で行い、この実験に参加したり補助したりした者がいないこと、後記3(4)アのとおり、Bが実験結果を出す速度は通常信じがたいほど速く、かつ、各実験は全く異なる内容のものであったこと、認定事実(4)コのとおり、Bは再実験を行っている間に実験により発現と活性を確認すべきダイサーを密かに購入し、また、後に作成したデータを論文作成前に作成したかのようにして提出するなど不審な行動をしていること等の事情を総合すると、Bは、本件各論文に記載されている実験の結果を出していないにもかかわらず、実験結果が出たとして論文を作成したと強く疑われる。
 よって、本件各論文は、いずれも再現性がないと認められる。
  (4) 以上のとおり、本件各論文は、いずれも再現性がないものであり、これらは科学学術論文であるから、これらを被告の教授である原告が責任著者として作成、発表をしたことによって、被告の名誉や信用が著しく傷つけられたことは明らかである(その程度は、本件解雇の相当性の判断に影響するものであり、この点も後述する。)。
 したがって、原告は再現性のない論文を筆頭著者として作成、発表したことにより被告の名誉と信用が著しく傷つけたものであり、原告には懲戒事由があると認められる。(原告は、懲戒解雇の場合の懲戒事由は、重大かつ顕著な場合に限定的に解すべきであると主張するけれども、後記3(1)のとおり、この点は、懲戒権、解雇権の濫用において検討すべきものである。)
 3 懲戒権、解雇権の濫用について
  (1) 被告教員就業規則は、前提事実(6)のとおり、38条において懲戒の事由を定め、39条において懲戒解雇を含む懲戒の種類を定めている。懲戒の種類のうち懲戒解雇は最も厳しい処分であり、また、解雇は労働者の雇用契約上の地位を完全に奪うものである(とくに、原告の場合には、被告の教授としての地位も失うことになる。)から、懲戒事由に該当する場合であっても、秩序違反や非違行為の程度が著しく大きい場合でなければ懲戒解雇をするのは相当でなく、その程度が著しく大きいとはいえない場合に行われた懲戒解雇は、懲戒権・解雇権を濫用したものとして無効となる。
 ところで、前提事実(5)のとおり、被告は、懲戒処分書に処分理由として1から6までを挙げているが、これは、前記2で示した懲戒事由該当事実を、その要因や事情に沿って詳しく記述したものと解される。すなわち、被告が主張する懲戒事由は、処分理由1ないし6に即していえば、原告は、論文の発表に当たり、責任著者であるにもかかわらず、Bの実験結果を十分に検討、確認しないで(実験の企画立案、進行管理に関与せず、実験結果を系統的にチェックせず、実験ノートや生データを確認せず、研究室で情報交換や研究討議をして相互のチェックをすることもなかった。また、実験を評価する識見も有していなかった。)、とくに、Bの実験については疑義があったのに、十分なチェックをせず、再現性のない論文を作成、発表し、被告の名誉や信用を著しく傷つけたということになる。
 以上のような懲戒事由該当事実の要因、事情は、原告の責任の重さ、非難されるべき程度に関係する事実であり、本件解雇の相当性(懲戒権、解雇権の濫用)の判断に結びつくものである。以下、1の認定事実を前提として、争点(2)ないし(6)(被告が主張する処分理由との対応関係は、第2の2「争点」記載のとおりである。)に従って、被告が主張する事実の有無及び原告の非難される程度の大きさを検討した上で、最後に総合的して、懲戒権・解雇権の濫用がないかを検討する。
  (2) 責任著者としての原告の役割、責任について(争点(2))
   ア 原告は、責任著者として、本件各論文を発表したものであるが、前提事実(4)、認定事実(3)のとおり、論文作成の前提である実験を行い、現実に論文を執筆したのは、いずれも筆頭著者であるBである。再現性のない論文を発表したという懲戒事由に該当する行為に関して、Bの責任は極めて重大であることは明らかであるが、実験や現実の論文執筆を担当していない原告の責任、非難されるべき程度が、Bと同等であるかどうが問題となる。
 まず、責任著者は本件各論文のような科学学術論文において、一般的にどのような役割を果たしているのか、どのような責任を負うのかをみることにする。
   イ 責任著者が、論文の発表に関して、科学倫理的な責任を負担することについて、当事者間に争いはない。また、証拠(乙9の3ないし5)によれば、コレスポンディング・オーサーといわれる科学分野の共同執筆論文における責任著者が、一般には、英語(corresponding auther)の字義どおり、対外的窓口を担い、論文掲載の調整や問い合わせの役割を担っていることが認められる。
 もっとも、証拠(乙9の3ないし5)によれば、一方で、論文を掲載する雑誌によっては、雑誌との連絡を責任著者以外の指名された共著者が担当させる場合も想定されていること、責任著者とシニア著者が異なる場合には当該シニア著者の連絡先も知らせるように求めている雑誌が存在すること、共同執筆論文の共著者のうち、ある者はその論文全体が正確かつ立証可能な研究報告であることについて責任を負うべきであり、責任著者は論文のすべて又は主要部分について保証人でなければならないとする雑誌編集者がいることが認められるから、責任著者は、単に対外的窓口としての連絡役を担っているだけではなく、論文の各部分の科学的信頼性を吟味し、論文全体の科学的な信頼性について最終的な責任を負うことを本質的な役割としているというべきである。責任著者が対外的窓口を担っているのは、論文全体について最終的な責任を負っているからであると考えられる。
 このような責任著者の一般的な責任は、論文の内容や性格によって変わるべきものではないから、本件各論文が学際的な研究であったとしても、異なるものではないというべきである。また、責任著者は、論文執筆者の一員であり、原告が主張するような監督責任だけを負うものでもない。
   ウ したがって、責任著者として再現性のない本件各論文の作成、発表をした原告の責任は、科学倫理的な責任に止まるものではなく、相当に重いものといわねればならない。
  (3) 原告が現実に行った実験の関与、チェックについて(争点(3))
   ア 以上のとおり、原告が責任著者として再現性のない本件各論文を作成、発表したことは、一般的に相当に重い責任がある。
 もっとも、(2)アで述べたとおり、原告は実験や現実の論文執筆を担当していないのであるから、原告が非難されるべき程度については、さらに検討する必要がある。
   イ 前記のとおり、責任著者も著者の一員であり、かつ、論文全体の最終的な責任を負うことを本質的な役割としていると解されるのであるから、実験担当者でないことだけから、実験については、結果の合理性や論理性を確認すれば足り、実験経過については、実験担当者を信頼すればよいというものではないと解される。とくに、本件各論文の内容が正確性を有するためには、記載されている実験結果に信頼性があることが不可欠であるから、責任著者としては、プロトコルを把握し、現実に行われた実験経過を確認し、できるだけ加工されていないデータを確認し、実験結果の処理が適正かどうかを検証するなどして、実験の内容に関与し、実験結果をチェックをすることが求められるというべきである。
 この点に関し、証拠(乙8の1・2、証人G)によれば、原告は、もともと化学分野の研究者であり、本件各論文の対象領域である分子生物学のうち、実際の細胞実験の遂行について、自ら行った経験はほとんどないといってよいほど乏しく、実験データの解析は別として、例えばヒト細胞の培養条件や実験にかかる期間、実験技術について、本質的にこれを見極める識見が十分ではなかったことが認められる。しかし、そのことによって、直ちに責任著者としての責任を果たせないということを意味するものではないし、責任著者としての責任が軽減されるというものでもない。実験技術の詳細について十分な識見がないのであれば、実験担当者のほかに、実験技術について詳しい者を共著者に加えて、実験結果を検証させたり、複数の者が実験結果を見てディスカッションをする場を設けるなどして、実験の内容に関与し、実験結果をチェックすることが求められるというべきである。この点は、科学分野における多数の研究者が同旨の意見を述べていること(乙12の1ないし12)からも裏付けられる。
 以下、実験データのチェック、実験経過の確認、複数の者による確認等について、原告が十分に検討をしたといえるか、十分でないとすると原告の責任はどの程度かをみていくこととする。
   ウ まず、認定事実(3)に証拠(乙7の3・4)を総合すると、原告は、本件各論文の作成に当たり、基本的には、Bから実験が成功したとして示された生データから作成したデータ(加工したデータ)を見るのが中心であり、目標とする結果が出ていない実験途中のデータは見ていないし、成果が現れたとする実験についても、生データ自体の確認はほとんどしていないことが認められる。
 原告は、Bが、月に数回、多いときには週に数回、実験データを持参することがあり、個別にディスカッションをしていたと主張し、その旨供述している。しかし、証拠(乙7の3・4、証人G)によれば、論文7についてみれば原告は最終的に論文に載せる実験データしか見ていないこと、Bが見せていた実験データはうまくいったデータばかりであったこと、Gが、原告との個別的なディスカッションなどで、実験ノートや生データを前に議論をしたことがあっても、原告から実験の条件や手順について聞くことはなかったことなどの事実が認められ、そうすると、原告が、Bと行ったと主張する実験データを前にした個別ディスカッションにおいて、実験データを系統的にチェックしていたとは考えがたい。
 原告が、Bが行ったと主張する一連の実験の具体的な企画立案や進行管理に関与していなかったこと自体は必ずしも科学研究の実際に照らして懲戒責任を問われるべき怠慢であるとは解されないが、そのような実験の企画立案や進行管理への関与がない分、原告は、Bによって提示された実験結果について慎重な検討をすべきであったにもかかわらず、実験結果について系統的なチェックを怠っていたことは、責任著者として、また大学の教育者としての怠慢な態度であるといわざるを得ず、非難されるべき程度は軽くない。
   エ 次に、原告が実験経過の確認等を行ったかどうかを検討する。
 自然科学の分野で実験に携わる者において、実験の経過や結果の処理方法等を実験ノートに記録することは、余りにも当然のことであり、実験試料や生データの保存も当然のことである。
 実験ノートの保管について、証拠(甲5、25、35、証人F、原告本人)によれば、産総研においては、平成14年8月に研究ノートの導入についての方針が示され、産総研研究ノート(以下「産総研ノート」という。)の使用が奨励されるようになり、原告は、産総研において産総研ノートを使用するように指導を行ったこと、また、原告の研究室においても、平成14年又は平成15年ころから、使用する実験ノートを産総研の登録番号がある産総研ノートと指定し、かつ産総研におけるノートチェック制度での第三者のチェックを受けるよう指導していたこと、原告において産総研ノートチェックを各人が受けたかどうかについての確認はしていなかったものの、Bを除く研究室所属の者は実験ノートを保管していたことが認められる。実験ノートを記載しているかの確認を原告自ら行うことはしていなかったものの、このように、原告の研究室における実験ノートの記録方法等の指導が他の研究室に比べて特別に劣っていたとは認められない。
 また、実験試料の保存保管方法についても、証拠(甲5、20、21、27、28、証人G、証人F)によれば、冷蔵庫の使用するスペースを定めて研究室所属の各人に委ねられていたことが認められるが、この方法が、他の研究室に比べて著しく劣っていたものとは認められない。
 しかし、認定事実(4)エ、オのとおり、原告は、工学系調査委員会の調査が始まるまで、Bの実験ノートを確認したことがなく、実験試料の保管も確認したことがなかった。実験の経過や実験結果の処理の確認は、実験ノートを見ることによって容易に行うことができ、これを全く行っていなかったことは、最も基本的な実験経過の確認を怠ったといわざるを得ない。結果的に再現性のない論文を作成、発表したことになった根本原因の一つはこの点にあるというべきであり、論文3や論文12について明らかな誤りが発表後短時間のうちに指摘を受けるようなことが複数回あったことに照らしても、非難されるべき程度は非常に大きい。実験試料の保存について、全く確認をしていなかったことについても、責任は重い。
   オ 複数の者による実験結果のチェックについては、原告は、Bの論文については、原告において最終チェックをするが、分子生物学的なところは、マンスリーミーティング等で行っており、論理的な流れの短時間のチェックで終わると述べ、実験結果に関する検討のプロセスとして、マンスリーミーティングを行っていたことを強調する。
 前記認定事実(2)イ、ウ及び証拠(乙7の7・8、8の1、21、証人G)によれば、マンスリーミーティングは、総勢30名以上の参加者があり、博士研究員も参加していたが、1名当たりの持ち時間は15分から長くても1時間程度にとどまり、資料などの配付がされることなく、パワーポイントを使用して報告がされていたものであり、実験手順はほとんど聞かれず、また、実験過程について検証を求めるような議論をすることができるような場ではなかったこと、特に、Bの実験については、原告の研究室の構成員でも、マンスリーミーティングでの発表の際に実験結果のブロットなどの写真等が示されて初めてその内容を知ることができるという実態があったことが認められるから、実験結果について、実験の過程を含めた内容について十分な議論ができたとは考えられない。
 また、原告は、新規性の高い実験結果などの場合には分子生物の分野で強い人物にコメントをもらうセミナーなどを行っていたとも述べている(乙13の2)。しかし、論文3及び論文12については、Bと原告以外に共著者がおらず、その論文7及び論文8についてもこのディスカッションに加わったという分子生物の分野で強い人物が共著者にはなっていない。後述のとおり、Bの実験は多くの疑問があったにもかかわらず、マンスリーミーティング等において、分子生物学に強い研究者から疑問が出されたり、実験経過の詳しい検討が求められた事実も認められないのであり、分子生物学や実際の実験に強い研究者が加わって、論文作成に際しての実験結果に対する慎重な議論がされたとは認められない。
 証拠(甲21、25、28、証人F、証人G、証人N、原告本人)によれば、原告の研究室におけるサブリーダー同士が不仲であるなど、他のサブグループの仕事に対して率直な意見を述べることができない雰囲気が一部にあったことは否定できないものの、研究室の運営方法は研究室ごとに個性があり、原告の研究室の運営方法に、他の研究室に比べて明らかな問題があったとは認めらず、研究のプロセスや結果を巡る構成員相互のチェック機能がほとんど働いていなかったと断定することはできない。
 しかし、原告の研究室のマンスリーミーティングが、国際的な学術誌に投稿する論文のBの実験結果検証のためのプロセスとしては十分なものではなかったことは上記のとおりであり、原告の責任は軽微とはいえない。
   カ 以上のとおり、原告は責任著者として実験内容に関与し、実験結果をチェックすべきであるのに、生データを確認することがほとんどなく、Bとの個別のディスカッションは十分でなく、実験経過が記載された実験ノートの確認を全くせず、複数の者が参加するマンスリーミーティングでは慎重かつ十分な議論がされたとはいえず、原告が論文作成に際して行ったことは、Bが作成した論文について、論理的な構成という面から短時間にチェックをするというのが中心であったと認められるから、実験結果について慎重な検討を加えたとは到底評価できない。その結果、再現性のない本件各論文を作成、発表したものであるから、原告に対して非難されるべき程度は相当重いといわなければならず、懲戒として相当に重い処分を受けてもやむを得ないといえる。
 もっとも、前記のとおり、本件各論文について、実験を行ったのはBであり、原告はBが行ったと主張する一連の実験の具体的な企画立案や進行管理にほとんど関与していなかったところ、証拠(甲20ないし22、64ないし77、乙8の13、13の1、原告本人)によれば、教授が実験の計画・管理・実行を、助手や博士研究員などの若手研究員に任せ、教授自身は実験結果を見て合理性、論理性等をチェックするということが、全部の場合ではないにせよ、一般的に行われることがあると認められる。本件各論文の実験を担当したのは、大学院生や学部生ではなく、研究者として認められている助手の地位にあったものである。そして、原告は、実験結果について十分かつ慎重な確認をしたとはいえないにしても、生データから加工されたデータは確認し、不十分ながら複数の者が加わって論文内容を検討する機会も持ち、実験結果について論理的な面からのチェックは行っているのであって、実験過程や実験結果について、全く確認をしていないのではない。
 そうすると、原告が実験過程や実験結果について十分に確認しなかったことは相当に重い責任があるというべきであり、原告は懲戒の中でも相当に重い処分を受けてもやむを得ないというべきであるが、実験の再現性がないことを認識しながら再現性のない論文を作成した者と同程度の重い処分が相当な程度に責任が重大であるとまでいえるかどうかは疑問がないではない。しかし、教授が助手などの若手研究者に信頼して実験を全面的に委ねることが許されるのは、助手等による実験について、その信頼性が疑われる事情がない場合に限られる。実験自体の信頼性に明らかな疑問があるにもかかわらず、不十分な確認しかせず、その結果、再現性のない論文を作成、発表した場合は、さらに検討が必要である。
  (4) Bの実験結果の信頼性について(争点(4))
   ア そこで、進んで、本件各論文自体に問題がなかったのか、すなわち、Bの実験結果は信用できるものであったかどうかを検討する。
 認定事実(4)ウのとおり、本件各論文においてBが成功し結果を出したとする実験については、工学系調査委員会の専門調査委員から、論文に記載されているような結果が発生するのは奇跡的である、論文に記載されている方法によって本当に結果が出るのかなど、その内容自体に重大な疑問が出されている。こうした疑問は、論文作成の段階においても、研究者として当然に考えるべきことである。しかも、Bは、本件各論文の実験がそれぞれ別の内容であるにもかかわらず、数年の間に、次々に成功したとしている(乙12の6・9、18の2、証人N、証人G)。原告自身、Bのデータは綺麗すぎるという話を聞いていた事実もある(乙13の2)。さらに、Bは、夜間、全く単独で実験を行っていたものであり、実験が成功するに至るまでの経過を見ている者はいない(認定事実(2)ウ)。このことも複数著者により重要な内容を含む論文を作成する過程としては異例である。Bが実験に成功したとして示すデータは、成果が出たものに限られ、かつ、生データを加工したものが大半である(認定事実(3)ア(イ)、イ(イ)、ウ(イ)、エ(イ)、乙11、13の2)。
 以上のとおり、Bの実験は、内容、実行、結論等多くの点から、捏造が疑われるとまではいえないとしても、実験結果をそのまま信頼できるものとはいい難い。したがって、実験結果に対しては、極めて慎重な対応が求められたというべきである。
   イ 認定事実(3)ウ(ク)のとおり、論文3については、遺伝子の同定の誤ったという理由で取り下げられた。
 遺伝子を誤ったのは、Bがデータベースを検索する際に取り違えたことが原因であり(認定事実(3)ウ(オ))、このこと自体は、K教授が陳述書(甲79)で述べるとおり、論文記載の実験が捏造かどうかと直接関係するものではない。しかし、成果が出るまで実験を繰り返し行っていたのであれば、その間、間違いに全く気づかないということがあるかどうかは疑問であるし、遺伝子の取り違えをすることは、通常の研究者として考られないミスであり(乙15の1・3)、実験全体に対する信頼性を失わせる。
 さらに、認定事実(3)ウ(オ)のとおり、論文3で遺伝子の取り違えを指摘された後、Bは追加実験を行い、論文に記載した「マイクロRNA-23はHes1のmRNAを標的としている」ことを実験結果で得たとしている。しかし、マイクロRNA-23が標的とするmRNAを、標的の候補となり得る遺伝子配列を持つ多くのmRNA(認定事実(4)ウ(ウ)によれば2000以上あるとされている。)の中からHes1由来のmRNAであると推測し(Hes1であると推測した根拠は示されず、直感によるものとしか説明できないようである(乙16)。)、これを取り違えてHES1由来のmRNAで実験したところ、これがまさにマイクロRNA-23が標的とするものであることが確かめられたというのであって、このこと自体容易に信じることができないものである。その上、追加実験を行いHes1由来のmRNAで実験すると、これもマイクロRNA-23が標的とするものであることが確かめられたというのは、極めてまれな偶然が二度重なって成果を出したというに等しく(O教授は「高額の宝くじを2回連続で当てるようなもの」と述べる(乙15の3))、こうしたことが現実にあり得るとは考えがたい。(なお、K教授は、陳述書(甲79)において、極めてまれな事態が実際に起こっているのだから、「高額の宝くじを2回連続で当てるようなもの」とのO教授の主張は無意味な指摘であると述べるが、極めてまれな事態、すなわち、論文の記載されたような実験の成果が現実に出ているのかが問題なのであるから、K教授の指摘は正当でない。)
 それでも、実験結果が出たというのであれば、そのようなことがあり得るのかを慎重に確認するため、実験の経過や結果を詳細に調べるのが、研究者としては当然である。そのためには、実験ノートを確認するだけでも、実験の経過がわかったはずであるが、原告は、Bの話と電気泳動のゲル写真だけを見て、実験ノートを確認することもなかったのであり、研究者あるいは論文の責任著者として、一般には考えられない態度というべきである。
   ウ さらに、認定事実(3)ウ(カ)、(キ)、(ケ)、(コ)のとおり、原告は、平成15年10月以降、E教授、L教授などの研究者、同じ研究室のGから、論文3の実験結果に対する疑問等を提起され、「Bは危ない」とまで指摘されている。このような指摘がされることは、相当に異例のことと思われ、それだけ多数の研究者が原告とBが著者となっている論文に対して疑問を有していたことが推測される。原告自身もBの実験に対して不安を持っていなかったわけではないことが窺われる(認定事実(3)ウ(コ))。ところが、これに対して、原告がBを信用し、これらの指摘をさほど重く受け止めていなかったことは原告が自らも認めているとおりである(甲55)。
 原告は、Bが実績と力量を備えたものであったから、その提出する実験データ自体の科学的信頼性は一般的に高いと主張し、その根拠として、Bが博士号を持つ一人前の研究者であったこと、被告大学院工学系研究科の助手採用基準にもかなった立場にあり、他大学からも招聘されるほどに力量が評価されていたこと、分子生物学分野で過去に高い研究業績を積んでいたこと、原告の研究室でのマンスリーミーティングや原告とのレベルの高い議論を挙げている。
 しかし、前記のとおり、Bの行った実験には数多くの疑問点があった上、論文3に関する実験においては、容易に起こりえないような結果が出ているなど疑問を持って当然な点があり、その上で、複数の研究者からBの実験に対して具体的な指摘を受けたというのであるから、原告としては、これを真摯に受け止めて、適切な対処をするのが当然である。ところが、原告は、実験ノートを見るなど容易な対応すら行わず、むしろ、論文3の実験に関して、遺伝子の取り違えをしたが論文の内容は追加実験で確認されたとして、雑誌に発表などを続けている(認定事実(3)ウ(サ))。その上、原告は、平成15年秋ころにBが査読者からの指摘に基づいて続けていた論文12に関する実験についても、Bが単独で行うに任せて、関与をせず、Bの実験ノートを確認することなく、結果として、再現性の認められない論文(論文12)を、またもや発表するに至った。
 以上のとおり、論文3の発表後、Bの実験については、疑問点が相当に明確になり、複数の研究者から具体的な指摘までされていたにもかかわらず、原告は、その後もBの実験結果について、それまでと同様の対応を続け、再現性の認められない論文12の発表に至ったのであり、研究者として通常あってはならない対応というべきであり、責任は著しく重いとされてもやむを得ない
  (5) 本件各論文の発表が被告に与えた影響について(争点(5))
 原告が再現性のない本件各論文を作成、発表したことは、教育機関、研究機関である被告の名誉、信用に対して著しい影響を与えたことは明らかである(この点は、(6)において、さらに触れることにする。)。
 また、証拠(甲7、乙6の8・9、18の4)及び弁論の全趣旨によれば、工学系調査委員会及びC工学系研究科長が、平成17年9月13日に、工学系調査委員会の中間報告(第2回)を受けて、日本RNA学会に対し、本件各論文の実験結果の再現性を確認できていない旨の中間報告を行うとともに、記者会見を行って同中間報告が一般にも公開されたこと、これが原告の研究室に所属していた大学院生らに動揺を与えたこと、最終的に、原告が、平成18年1月19日、被告大学院工学系研究科の担当を免ぜられたことにより、原告の研究室に所属していた大学院生や、同年4月から原告の研究室に進学する予定であった学部学生が所属の変更をしなければならなかったことが認められ、影響が甚大であったことは明らかであり、このことも、原告に対する本件解雇の相当性の判断において考慮すべき重要な要素である。
  (6) 以上を総合して、懲戒権、解雇権の濫用について判断する(争点(6))。
 原告は本件各論文の責任著者として、論文全体の内容について、最終的な責任を負うにもかかわらず、Bが行った実験について、データや実験ノートのチェック等の基本的な確認を行わず、研究室内でも実験の過程を含めた内容について十分な議論をせず、この結果、再現性のない論文を複数作成、発表したものであって、非難されるべき程度は重く、加えて、Bの実験については、多くの疑問があり、具体的な指摘までされていたにもかかわらず、論文の作成、発表を続けたのであり、大学の教育者、研究者としてあり得ない行為と評価されても仕方がなく、懲戒処分として極めて重い処分を受けても、不当とはいえない。
 このような原告の行為が、研究機関としてまた大学という教育機関としての被告の名誉と信用を著しく傷つけたことは、研究者及び大学等の研究機関の評価が引用論文数によって測られる場面があること(乙9の13)に鑑みても明らかである。再現性の認められない実験研究に関する論文を繰り返し発表し、取り下げるに至ることは、学術研究成果の蓄積という科学の発展の基盤を根底から覆しかねない行為である。被告は、教育機関、研究機関として、的確で優れた学術研究成果を発信することが求められ、そのことに被告の存在の意義もある。被告に属する教授が再現性のない論文を作成、発表することは、このような被告に対して、他のあらゆる不祥事、非違行為とも比較にならないくらいに、教育、研究の両面で社会的な評価、信用の低下を招くものであることは想像に難くない。前記(5)に説示のとおり、原告の研究室に所属していた大学院生等に対する影響という結果も重大である。被告が原告を被告教職員就業規則39条に規定する懲戒処分の中でも、懲戒解雇に値すると判断したことには、合理性や相当性がないとはいえない。
 原告は被告の教授であった者であり、原告に対し、懲戒解雇をして被告の従業員としての地位を終了させることは、被告における教育者、研究者として地位を失わせる意味を持つ。そして、本件解雇の懲戒事由は、再現性のない論文を作成、発表したことであり、被告の教育機関、研究機関としての本質的行為と深く関係する。こうした行為に対する処分については、教育や研究という性格上、被告の自律性を尊重すべき部分があることを否定できない。その反面として、被告が懲戒処分を行うに当たっては、慎重な手続により、かつ専門的な検討を踏まえて行うことが求められ、本件解雇についても、前提事実(4)、(5)のとおり、専門調査委員を含む工学系調査委員会等の複数の調査委員会が詳細な調査をした上で、慎重な判断をしていることが認められる。
 以上を総合して考えると、本件解雇は懲戒権、解雇権を濫用したものとはいえない。
 原告は、被告工学系研究室において、共同研究論文が実質的に実験の再現性が確認されないとの理由で取り下げられた前例において、責任著者であった教授らに懲戒処分が問擬されなかったこととの不均衡があるなどと主張するが、証拠(乙15の1・2)によれば、当該論文の責任著者であった教授及び共著者は、当該論文について生じた疑義に対して、実験担当者の実験ノートを元に実験の過程を再検討し、原因を論文の基礎となる測定手法が不適切であったのではないかとの仮説を立てて、直ちに再実験を行い、約3週間という短期間で論文を撤回するなどのできうる限りの対応をした事実が認められる等、本件とは事案を異にするものである。原告に対する本件解雇の理由において問題とされているのは、責任著者の役割を果たしていないという義務違反行為を中心としているのであって、指導責任又は監督責任の問題であることを前提として平等取扱いの原則の違反をいう原告の主張はいずれも採用できない。
 4 懲戒解雇手続の違法について
 前提事実(7)のとおり、被告が原告に対し、平成18年12月27日に本件解雇を発令した時点では、30日分以上の解雇予告手当の支払をすることなく、労働基準監督署長へ解雇予告除外認定を申請したものの、その後、平成19年1月30日に申請を取り下げ、翌31日に、原告に対し解雇予告手当を支給する手続をしようとしたが、原告が応じていないことが認められる。
 本件解雇は、被告教職員就業規則の規定に基づき行われたものであり、解雇予告除外認定がないことのみによって無効となるということはできない。また、解雇予告手当の支払がない解雇自体が当然に無効となるということはできず、解雇予告手当の支払のない解雇は即時解雇としては効力を有しないが、使用者が即時解雇に固執する趣旨でないときは、解雇通知から30日の期間を経過するか、あるいは通知後に予告手当の支払をしたときは、そのいずれかの時から解雇の効力が発生すると解される。
 本件において、上記経過及び弁論の全趣旨によれば、被告は必ずしも即時解雇に固執する趣旨ではないと認められるから、本件解雇は無効ではなく、原告に本件解雇の意思表示が到達した平成18年12月28日(前提事実(5))から30日を経過した平成19年1月27日に懲戒解雇としての効力が発生するものと解すべきである。
 そうすると、原告は、平成18年12月31日までの給与の支給を受けている(前提事実(8))から、平成19年1月1日から同月27日までの給与の支払を受けることができるところ、通勤手当は実費補償的な性質を有すると認められる(甲23)から、通勤手当を除く月額給与68万8396円を日割り計算した27日分の59万9571円を請求することができるというべきである。

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