【放置された犬の所有権放棄と返還請求の権利濫用(東京地判平成29年10月5日)】

1 放置された犬の所有権放棄と返還請求の権利濫用(東京地判平成29年10月5日)

本記事では、東京地判平成29年10月5日を紹介、説明します。この裁判例は、飼い主の交際男性が犬を公園に2度にわたり放置した後、善意の第三者が保護・飼養していた事案において、3か月後に遺失届を提出した飼い主からの返還請求について、東京地方裁判所は所有権の放棄を否定し、権利濫用も認めず、犬の引渡しを命じたものです。なお、控訴審である東京高判平成30年4月11日もこの判断を維持しています。

2 裁判例の基本情報

<裁判例の基本情報>

裁判所:東京地方裁判所
裁判年月日:平成29年10月5日
事件番号:平成27年(ワ)第30736号
事件名:動産引渡等請求事件
裁判結果:一部認容(引渡請求認容、損害賠償請求棄却)
控訴審:東京高等裁判所平成30年4月11日判決(原判決支持)
主要法令:民法1条3項・240条・709条、遺失物法3条、動物愛護法2条・7条・44条

3 事案の概要

(1)当事者

原告X(飼い主)は平成15年10月16日に雌のゴールデンレトリバー(本件犬)を購入しました。被告Y及びその夫Cが本件犬を保護・飼養することとなりました。

(2)第1回放置事件(平成25年6月7日)

XとA(交際男性)が散歩中に口論となり、Xが先に帰宅しました。Aが本件犬のリードを公園内の柵に結び付けて放置しました。Xは6月9日に保護者から「二度と同じことをしない」旨約束して引渡しを受けました。

(3)第2回放置事件(平成25年6月20日)

再びXとAが散歩中、AがXを先に帰宅させた後、本件犬を別の公園の柵にリードを結びつけて放置しました。Xは事実を認識しましたが、Aを怒らせることを恐れて何も言わずに帰宅しました。

(4)保護開始

平成25年6月21日(放置の翌日)朝、被告らが公園で本件犬を発見しました。本件犬は短いリードで柵に繋がれ、黒い口輪をされたままで体温調整もできず、前日夜からの雨で腹や脚が濡れて泥まみれの状態でした。被告らは連絡先を記載した紙を残して本件犬を連れ帰り、飼養を開始しました。

(5)遺失届提出と返還請求

被告らは6月27日に警察署に拾得届を提出しました。Xは3か月の期限直前の9月18日になって遺失届を提出し、その後返還請求をしましたが、被告らは引渡しを拒絶しました。

4 規範(適用基準)

(1)動物の所有権放棄の判断基準

あ 規範

「愛護動物が放置された場合において、その場所や態様等に照らし、その飼い主が当該動物の生命、身体について重大な危険があることを認識しながらあえてこれを放置した等の事情が認められる場合には、その飼い主の所有権放棄の意思が推認される場合がある」

い 適用例

本件では所有権放棄を否定しました。理由として、置き去りをしたのは交際男性であり飼い主自身ではないこと、危険な態様を飼い主が明確に認識していた証拠はないことを挙げました。また、飼い主は恐れから積極的行動を取れなかったものの、公園での捜索、インターネット検索、法定期間内の遺失届提出等の「それなりの行動」を取っており、所有者としての態度を示していたと認定しました。さらに、人通りの予想される公園内への放置で、実際に第三者による保護がなされたことも考慮されました。

(2)動物返還請求における権利濫用の判断基準

あ 規範

「所有者による引渡請求の対象が愛護動物である場合には、その対象が命あるものであることに鑑みると、当該動物の占有が所有者から占有者に移転するまでの経緯、当該動物の年齢や体調等、引渡しが当該動物に与える影響その他の事情に照らし、当該動物を引き渡すことが社会通念上著しく不当であると認められる場合には、その引渡請求権の行使は権利濫用として許されない」

い 適用例

本件では権利濫用を否定しました。
経緯については、置き去り自体は飼い主がしたものではなく特に悪性が強いものとまで評価することはできない」と判断しました。
動物への影響については、高齢で環境変化による負担は懸念されるものの、健康への悪影響を認める証拠はないとしました。
将来については、交際男性との関係は解消済みで、飼い主には愛情をもった飼育意思と準備があることから「今後、原告の下において、再び本件犬が過酷な状況に置かれる危険性があるとはいえない」と結論づけました。

5 控訴審での判断→原審維持

控訴審(東京高判平成30年4月11日)は、控訴人から動物愛護法7条を根拠とした新たな主張がなされたものの、「動物愛護法7条の規定は、動物の所有権の帰属に関する規範を定めたものとは解し難い」として退け、一審で示された両規範および適用について全面的に支持し、控訴を棄却しました。これにより本判決の判断基準が確定しています。

6 関連する法令や制度

(1)遺失物法の適用

犬猫は家畜として準遺失物に該当し(遺失物法2条1項・3項)、民法240条の準用により3か月の公告期間経過後に拾得者が所有権を取得します。本件では飼い主が期限直前に(期限を経過しないように)遺失届を提出したため、被告らはこの規定による所有権取得はできませんでした。

(2)動物愛護法の観点

環境省は遺棄を「愛護動物を移転又は置き去りにして場所的に離隔することにより、当該愛護動物の生命・身体を危険にさらす行為」と定義しています(環境省『愛護動物の遺棄の考え方に係る通知について』平成26年1月14日環自総発第1401141号)。
吉井啓子教授は「動物愛護法の精神から見れば所有権放棄の意思が推認されてもおかしくない」と批判的に評価しています(吉井啓子『放置された犬の飼養者に対する飼い主からの犬の返還請求が認められた事例』新・判例解説Watch23号109頁)。
牧野高志教授は、より詳細な理論的分析を行い、動物の所有権放棄について「『命ある物』という特殊性に鑑みて、その意義・内容に修正を加えることが可能」と提案し、イギリスの動物所有権剥奪制度との比較検討も行っています(牧野高志『放置された犬を保護した者に対する所有権に基づく返還請求の可否』平成法政研究24巻2号281頁)。

7 実務への影響

(1)ペット関連紛争での判断基準明確化

動物の所有権放棄や返還請求の権利濫用について具体的な判断基準が示され、動物保護団体や獣医師、ペット業界における所有権紛争の解決指針として機能します。

(2)動物保護活動への法的安定性提供

善意でペットを保護した第三者が元飼い主に対してどの程度まで占有を継続できるかの判断基準が明確になり、動物保護ボランティアや動物愛護団体の活動に法的予測可能性を与えます。

(3)遺失届提出実務の重要性確認

飼い主側には遺失物法の手続的要件(3か月以内の遺失届提出)の重要性が再確認され、一方で手続きを履行すれば所有権の推定を受けられることも明確になりました。

(4)動物福祉を考慮した総合判断の展開

従来の物権法的判断に動物愛護法の価値観を組み込んだ判断枠組みが示され、今後の動物関連紛争では単純な所有権論ではなく動物福祉を考慮した総合判断が求められる可能性があります。

8 岡口裁判官分限裁判への影響(参考)

本裁判例(1審判決)は、以上のように、法解釈が興味深く、実務への影響がある有用なものです。同時に、岡口基一(元)裁判官(いわゆる白ブリーフ判事)の分限裁判および最終的な罷免に至る一連の懲戒処分の直接的なきっかけとなった裁判例でもあります。

(1)ツイッター投稿とその内容

岡口裁判官は平成30年5月、本判例を紹介するインターネット記事のURLとともに「公園に放置された犬を保護したら、元の飼い主が名乗り出て『返して下さい』 え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3か月も放置しながら…… 裁判の結果は……」とTwitter(現在のX)に投稿しました。この投稿は、記事中の保護者側の主張を一般の注意を引くようにまとめたものでした。

(2)飼い主の抗議と懲戒申し立て

勝訴した元の飼い主が東京高等裁判所に抗議し、岡口裁判官のツイートの削除を求めました。平成30年7月24日、東京高等裁判所は岡口裁判官がTwitterへの投稿によって裁判の当事者の感情を傷つけたとして、裁判官分限法に基づき最高裁判所に懲戒を申し立てました。

(3)最高裁判所の判断

平成30年10月17日、最高裁判所大法廷(裁判長・大谷直人長官)は「投稿は裁判の公正を疑わせる内容で、表現の自由として許容される限度を逸脱した」として岡口裁判官を戒告とする決定をしました。インターネット交流サイト(SNS)での発信を理由に裁判官が懲戒される初めての事例となりました。

(4)最終的な帰結

岡口裁判官はその後も複数の懲戒処分を受け、令和6年4月に裁判官弾劾裁判において罷免判決を受けて元裁判官となり、同時に法曹資格を喪失しました。本件は、裁判官の表現の自由と職務上の制約のバランス、SNS時代における裁判官の行動規範について重要な問題を提起し、司法の独立と透明性をめぐる議論のきっかけとなりました。

9 関連テーマ(法令・判例・記事)

(1)主要条文

民法240条(遺失物の拾得)、遺失物法2条(準遺失物の定義)、動物愛護法7条(動物の所有者の責務)、動物愛護法44条(愛護動物の遺棄・虐待の禁止)
詳しくはこちら|即時取得(善意取得)の基本(要件・回復請求・代価請求)
詳しくはこちら|動物・ペット×法的責任|基本|被害・法的責任の種類
詳しくはこちら|動物愛護法の罰則(動物の殺傷・苦痛を与えることや捨て猫は犯罪となる)

(2)関連判例

東京地判平成27年6月24日(原発避難ペット保護事案)、大判昭和7年2月16日(九官鳥の家畜性判断)
詳しくはこちら|動物×占有による取得|脱走→捕獲|ペットの種類の分類・『家畜』判断

(3)関連記事

詳しくはこちら|無主の不動産→国庫帰属|不動産の所有権放棄は現実的にはできない傾向

本記事では、放置された犬の所有権放棄と返還請求の権利濫用について説明しました。
実際には、個別的事情により法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。
実際に所有権放棄や所有権に基づく返還請求に関する問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。

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