1 賃貸建物内で自然死(病死)があった後の原状回復義務
2 賃貸建物内での自然死による責任(基本)
3 典型的な事案と判断(裁判例)
4 自然死の後の腐乱死体発覚事件の事案
5 腐乱死体事件の責任の有無の判断
6 腐乱死体事件の損害賠償責任の内容
7 実質的な原状回復義務を否定する指摘
8 自然死・病死のリスクの分配論(裁判例引用)
9 自然死・病死に至る経緯による責任の違い
10 亡くなる要因による責任の違い(参考)

1 賃貸建物内で自然死(病死)があった後の原状回復義務

賃貸の建物の中で人が亡くなると,心理的に貸しにくく(借りにくく)なることにつながります。また,発覚した状況によっては遺体が腐乱して悪臭や汚損が激しいということもあります。そうすると,清掃の費用が高額になる傾向があります。
このようなケースでは,主に原状回復義務の内容が問題となります。
本記事では,自然死の後の原状回復義務について,説明します。

2 賃貸建物内での自然死による責任(基本)

賃貸建物で賃借人が自然死となったことが義務違反であるとか過失であるとはいえません。そこで,賃借人の相続人が賠償責任を負うことにはなりません。連帯保証人についても同様に責任を負いません。
賃貸役契約が終了することになれば,一般的な原状回復義務は生じます。しかし,死亡によって汚損した部分の修理やリフォームは含まないのが原則です。

<賃貸建物内での自然死による責任(基本)>

賃貸住宅における自然死(孤独死や腐乱事件)について
→賃借人の善管注意義務違反過失はない
賃借人(の相続人)の債務不履行責任不法行為責任は生じない
連帯保証人の賠償責任も生じない
(死亡したことによる)原状回復義務も認められない
※太田秀也著『賃貸住宅管理の法的課題2』大成出版社2014年p125

3 典型的な事案と判断(裁判例)

以上のような基本的な考え方どおりに判断された裁判例を紹介します。社宅として会社が借りていた建物の中で,居住していた社員が病死したケースです。
賃借人であった会社(雇用主)は賠償責任を負いませんでした。原状回復義務も否定されています。

<典型的な事案と判断(裁判例)>

あ 事案

借上社宅において社員が脳溢血死した
8月25日に死亡した
8月29日に発見された

い 過失の判断(否定)

健康上の問題はなかった
突然の発症で救急車を呼ぶこともできずに死亡した
→入居者や賃借人(雇用主)に過失はなかった

う 債務不履行・使用者責任(否定)

債務不履行責任・使用者責任は発生しない

え 現状回復義務(否定)

建物,設備などについて,借主側の故意過失による経年変化とはいえない損傷が発生していることは立証されていない
→借主の原状回復義務は認めない
※東京地裁平成19年3月9日

4 自然死の後の腐乱死体発覚事件の事案

次に,別の裁判例を紹介します。
心臓病であった賃借人が,建物の中で亡くなりました。発見された時は,夏場で死後1週間が経っていたので,腐乱が進んでいました。

<自然死の後の腐乱死体発覚事件の事案>

あ 賃借人の死亡

賃借人は心臓病疾患により入院した
その後病状が軽快したため退院した
賃借人は7月30日頃,建物内において死亡した

い 腐乱死体による汚損

8月9日(約10日後)に室内に放置された状態で発見された
腐乱死体から床面に流出した悪臭に満ちた汚物・体液が床コンクリートまで浸みこんだ
これによって,屍臭が室内の天井・畳・建具その他に浸透すると同時に,隣接する部屋にまで悪臭がただよった

う 賃貸借契約の終了

賃貸人と賃借人の相続人は賃貸借契約を合意解除した
※東京地裁昭和58年6月27日

5 腐乱死体事件の責任の有無の判断

法的には,賃借人の地位を相続人が承継しました。賃借人の相続人がどのような責任を負うかということについて,裁判所は判断しました。
まず前提として,賃借人自身は入院後退院できたので,その後亡くなることを自身で予想できなかったと,裁判所は判断しました。
そのため,債務不履行責任や不法行為責任は認められませんでした。
唯一,原状回復義務だけが認められました。訴訟の段階では,損害賠償責任となっていましたが,実質的に原状回復義務とほぼ同じ内容です。

<腐乱死体事件の責任の有無の判断>

あ 予見可能性

当時,賃借人は自分が病気で死亡することを認識していたとは考えられない
また,このことを予見することはできなかった

い 債務不履行責任(否定)

賃借人としての善管注意義務違反はない
→債務不履行責任は生じない

う 不法行為責任(否定)

賃借人に過失はない
→不法行為責任は生じない

え 原状回復義務(肯定)

賃貸人と賃借人は原状回復の合意をしていた
合意解除により原状回復義務が発生した
賃借人の相続人は原状回復義務を負う

お 損害賠償責任への変化

賃借人の相続人は原状回復義務を履行しなかった
→債務不履行による損害賠償責任が生じる(後記※1)
※東京地裁昭和58年6月27日

6 腐乱死体事件の損害賠償責任の内容

賃借人の相続人は,(原状回復義務に代わる)損害賠償責任を負うことになりました(前記)。この賠償する範囲についてまとめます。
まず,賃借人が居住していた部屋に関する修理工事の費用は認められました。なお,隣や周囲の部屋にも悪臭が達していましたが,居住していた部屋以外の修理の費用は認められていません。
逸失利益としては,悪臭が消えるまでの1か月間を基準として,1か月間の賃料の金額が認められました。実際には次の入居者が現れるまでにもっと期間を要しましたが,補償範囲は悪臭が消えるまでと判断されたのです。
弁護士費用(の一部)も認められました。債務不履行の賠償責任で弁護士費用を含むという判断はレアです。
詳しくはこちら|相手に弁護士費用を請求|不法行為ではOKだが債務不履行ではNGの方向性

<腐乱死体事件の損害賠償責任の内容(※1)>

あ 建物部分の修理工事費用

180万5000円
建物部分の悪臭や汚損を修復するためには単なる清掃だけでは足りない
天井板,壁板,床板,ふすまなどを取り替える必要がある
浴槽,便器などの住宅機器も次の借主に対して嫌悪感を与えないために交換する必要がある
→これらの工事はやむを得ないものである

い 事後処理費用

10万円
建物部分の修復に関する事後処理に要した費用

う 逸失利益

3万3000円
修理工事が完了した後1か月程度は悪臭が続いていた
1か月分の賃料相当額を逸失利益として認める

え 弁護士費用

20万円
原状回復義務そのものには含まれない
現状回復義務の不履行により生じたものである

お 合計

213万8000円
※東京地裁昭和58年6月27日

7 実質的な原状回復義務を否定する指摘

前記の腐乱死体事件の裁判例では原状回復義務(に代わる損害賠償責任)が認められました。
しかし,建物の賃貸借では,原状回復義務の範囲は厳しく制限される傾向があります。現在の解釈を前提とすると,原状回復義務は否定される傾向が強いはずです。逆に,この裁判例はその時代(昭和58年)だからあり得た判断であるといえるでしょう。

<実質的な原状回復義務を否定する指摘>

あ 原状回復義務の発生(前提)

東京地裁昭和58年6月27日(腐乱死体事件)は
実質的な原状回復義務を認めている

い 現在の一般的解釈

現在の一般的な裁判例や国土交通省の『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』の内容では
経年劣化以外の賃借人の故意・過失による損傷に限定される傾向がある
詳しくはこちら|原状回復義務|基本|通常損耗は含まない・特別損耗・契約違反による損傷は含む

う 現在の解釈とのずれ

『あ』の結論は現在の一般的な解釈と異なっている
→現在も維持されるかどうかは疑問である
※太田秀也著『賃貸住宅管理の法的課題2』大成出版社2014年p126

8 自然死・病死のリスクの分配論(裁判例引用)

自然死や病死があった場合の責任を考える際には,その背景にあるリスク分配を意識すると分かりやすいです。
人に建物を貸して使用対価をもらう,という構造である以上,中で人が亡くなるということは想定内であるといえます。これによるリスクやコストは想定できる以上は賃貸人が負担すべきであると考えられます。通常生じるコストとして賃料に織り込んでおくべきであるともいえます。
最近の(平成19年)裁判例で,このような背景を指摘している部分を引用しておきます。

<自然死・病死のリスクの分配論(裁判例引用)>

そもそも住居内において人が重篤な病気に罹患して死亡したり,ガス中毒などの事故で死亡したりすることは,経験則上,ある程度の割合で発生しうることである。
そして,失火やガス器具の整備に落度があるなどの場合には,居住者に責任があるといえるとしても,(略)
突然に心筋梗塞が発症して死亡したり,あるいは,自宅療養中に死に至ることなどは,そこが借家であるとしても,人間の生活の本拠である以上,そのような死が発生しうることは,当然に予想されるところである。
したがって,老衰や病気等による借家での自然死について,当然に借家人に債務不履行責任や不法行為責任を問うことはできないというべきである。
※東京地裁平成19年3月9日

9 自然死・病死に至る経緯による責任の違い

前記の裁判例では,債務不履行責任と不法行為責任は否定されました。これは死亡することを想定(予見)できなかったためです。
逆に,死亡することが想定できた場合には,債務不履行責任や不法行為責任が認められる可能性が出てきます。
自然死・病死だからといって,すべての事案で前記のような原則的な判断があてはまるわけではないのです。

10 亡くなる要因による責任の違い(参考)

以上で紹介した裁判例は自然死(病死)があったケースについてでした。
一方,これ以外にも,他殺(殺害)や事故死(転落死など)というケースでも同じように賠償責任が問題となります。自然死とは責任の範囲は異なってきます。
このようなバリエーションについては別の記事で説明しています。
詳しくはこちら|不動産賃貸と『人の死』|賃借人の相続人・保証人の損害賠償責任

本記事では,賃貸の建物内で自然死があったケースでの原状回復について説明しました。
実際には個別的事情や主張・立証のやり方次第で結論が違ってきます。
実際に賃貸建物で人が亡くなったという問題に直面されている方は,みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。