裁判官の判断に影響しうるもの→報道・当事者の言動・裁判官自身の内面
1 裁判官の判断に影響しうるもの→報道・当事者の言動・裁判官自身の内面
裁判官の判断が誤りうることは、元裁判官や在官中の裁判官が書き残しています。そうすると次に出てくるのは、何がその判断を動かしうるのかという問いです。
本記事では、裁判官の判断に影響しうるものとして語られてきた3つ——報道、当事者の言動、裁判官自身の内面——を、それぞれの出典から説明します。
2 結論——報道は裁判所を汚染しうる・当事者の言動・内面も当人が語る
はじめに、本記事で引く文献が述べていることをまとめます。
<判断に影響しうるものとして語られていること>
あ 報道(世論は判断に届くのか)
捜査機関の一方的情報による「犯人視報道」は、時に裁判所を汚染する
い 当事者の言動(態度で扱いが変わるのか)
信頼を決定的に損なう言動があると、裁判官の関与が最低限にとどまることはある→ただし通常の範囲の言動で区別するのは偏頗
う 裁判官自身の内面(人の側の事情は働くのか)
内面のもろさと精神的自己規制が、在官中の裁判官自身によって語られている
3 報道の影響=捜査機関の一方的情報による「犯人視報道」
まず報道です。元裁判官の木谷明氏は、冤罪となった事件の国家賠償請求訴訟の判決を論じるなかで、報道が裁判所に及ぶことを次のように述べています。
犯人視報道=時に裁判所を汚染する
本件の報道は、比較的控え目であったようであるが、マスコミは、時に、検挙された被疑者につき捜査機関からの一方的情報に基づく「犯人視報道」をすることがある。
これは、世情を騒がせる大事件が発生し容疑者が逮捕されるとよく生ずる現象であるが、このような報道は、時に裁判所を汚染する(23)。
※木谷明稿『氷見国家賠償等請求事件判決について』/『判例時報2261号』判例時報社2015年8月p18
4 ロス疑惑事件の裁判長の発言→「日本中が有罪と信じているのにどうして無罪を」
木谷氏は、汚染が実際に起きた場面を自身の経験として注に書き残しています。高裁の陪席判事として関与した事件で、裁判長が口にした言葉です。
ロス疑惑事件の裁判長=日本中が有罪と信じている事件で無罪は言い渡せない
(23)私は、ロス疑惑事件の「殴打事件」に高裁の陪席判事として関与したことがあるが、当時の裁判長が「日本中が有罪と信じているこの事件で、どうして裁判所だけが無罪を言い渡せるのか。」と真顔で言われたのを忘れることができない。
私には信じられないことであるが、こういう考えの裁判官がやはりいることは否定できないように思われる。
※木谷明稿『氷見国家賠償等請求事件判決について』/『判例時報2261号』判例時報社2015年8月p19
5 当事者の言動→信頼を損なうと最低限の役割にとどまる・区別は偏頗
次に当事者の側の言動です。瀬木比呂志氏は、民事裁判官として部を持っていた当時、裁判所と当事者のやりとりについて書いています。信頼関係を決定的に損なう言動があった場合について、次のように述べています。
信頼を損なう言動→関与は最低限にとどまる
右のようなことが続けば、その後は、裁判官は、その当事者に対しては、裁判官に通常求められている最低限の役割を冷静に果たすだけとなることは多いであろう
※瀬木比呂志稿『裁判官、書記官、当事者のコミュニケーション、民事裁判官の役割』/『判例タイムズ1175号』2005年6月p48
もっとも瀬木氏は、同じ箇所で歯止めも書いています。対象になるのは相当ひどい水準の言動に限られ、ありがちな範囲のことで扱いを変えるのは偏頗だとしています。
通常の範囲の言動での区別=偏頗
(4)もっとも、右のような言動は、相当ひどいレベルのものを指しているのであって、性格がいくらか屈折しているとか、新米なのに生意気でわがままであるとか、たとえばそういった「ありがちな」範囲のことではない。
そのようなことで何らかの区別をするのはやはり偏頗というものであろう
※瀬木比呂志稿『裁判官、書記官、当事者のコミュニケーション、民事裁判官の役割』/『判例タイムズ1175号』2005年6月p48
6 判断する人の内面=もろさ・精神的自己規制
3つ目は、判断する人の側の事情です。瀬木氏は在官中に、裁判官を含む法律家の内面について書き残しています。まず、回復のつかまりどころの乏しさです。
個人の内面のもろさ=回復のつかまりどころの乏しさ
(4)個人の内面のもろさ個人の側を見ると、結局、内面のもろさ、ということが言えると思う。
世界は世界、自分は自分、自分には固有の場所がある。
そういう部分がないと、スランプや不調に陥ったときにそこから抜け出しにくいし、自己の内面に生き生きとした生命力を保っておくことも難しい。
ところが、法律家の場合には、たとえば精神的不調に陥った場合に、意外に回復のつかまりどころがないという印象が強いのである。
※瀬木比呂志稿『裁判官とそのあり方』/『判例タイムズ1195号』2006年2月p53
もう一つが精神的自己規制です。してはならないことの手前に、周囲との関係からしないほうがよいと思われることの線が引かれている状態を指しています。
精神的自己規制=必要以上の自己規制を生みやすい
よく言われる精神的自己規制の問題については、様々な定義が可能であるが、ごく簡単にいうと、「倫理的にしてはならないこと」(これは、本来各人がみずからの心に問うことである)の手前に、「周囲との関係からしないほうがよいのではないかと思われること」(これは、世間や周囲の目が基準になる)のラインが、心の中に細かく引かれているということであろう。
後者については、内面的な規範ではないから、その限界も、誰にもはっきりとは確定できないものであり、必要以上の自己規制を生みだす原因となりやすいものである。
※瀬木比呂志稿『裁判官とそのあり方』/『判例タイムズ1195号』2006年2月p54
7 在官中の判事が明かした不調=「意識していない死角」
瀬木氏はさらに、在官中に自身の体験を公表しています。判例タイムズ誌に載せた論考の冒頭で、次のように書いています。
筆者自身の不調=通院と入院の体験
筆者は、一九九四年の秋から翌年の春にかけての約二か月間、うつ状態で通院(東大病院)、さらに一か月間余の入院生活(森田療法による)を送り、幸い短期間で全快した体験を有している。
※瀬木比呂志稿『法律家の精神衛生についての一考察』/『判例タイムズ999号』1999年6月p6
そのうえで瀬木氏は、法律家の思考や価値観の硬さに、当人が気づいていない死角があるのではないかと述べています。
法律家の「型」の共通性=意識していない死角
つまり、後にも述べるように、思考や態度、人生観、価値観の硬さ、その「型」の共通性といった点で、私達法律専門家には、みずからの意識していない死角があるのではないか、それが、精神的不調発生
(自分について、また、他人について)
のメカニズムに深いところで関係しているのではないか
※瀬木比呂志稿『法律家の精神衛生についての一考察』/『判例タイムズ999号』1999年6月p8
8 裁判官に求められる能力=想像力・共感の力・人間知(参考)
ここまでは実際に働いている事情の話でした。参考として、瀬木氏が同じ連載で「どういう能力が望ましいか」を論じている箇所を挙げておきます。実情ではなく本来のあるべき姿を述べた部分で、本記事の主題からは外れますが、内面の話と表裏にあるため併せて引きます。
望ましい裁判官の能力=想像力・共感の力・人間知
第二に、想像力や共感の力を挙げたい。
これは、本連載で繰り返し述べてきた「視点の移動」、「複眼の視点」や、前記の「当事者の心や痛みをその立場に立って理解できる」能力にも関係してくる。
第三には、広い意味での人間知であろうか。
※瀬木比呂志稿『裁判官とそのあり方』/『判例タイムズ1195号』2006年2月p58
9 影響の受け止め方(筆者見解)
ここからは出典のない筆者の見立てです。筆者は、報道や当事者の言動と無関係に、記録だけで判断している裁判官が多数であると見ています。
ここで引いたものは、裁判官自身が例外として語ったものだと思われます。もっとも、例外だから起こらないということにはなりません。筆者は、記録に現れない事情で判断が動く余地を残さないことが、代理人の側でできることだと考えています。
10 おわりに
本記事では、裁判官の判断に影響しうるものとして語られてきた報道・当事者の言動・裁判官自身の内面を、それぞれの出典から見ました。いずれも裁判官自身の言葉で語られている点が共通しています。判断が誤りうること自体は、別記事で扱います。裁判官の判断の可謬性→当人が認める誤りの不可避・制度の前提は判断力への信頼
本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。
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