遺産分割協議の錯誤・詐欺|相手方の説明による誤信が取消しを分ける

1 遺産分割協議の錯誤・詐欺|相手方の説明による誤信が取消しを分ける

相続人の間で遺産分割協議がまとまり、協議書に署名押印したあとで、その前提が事実と違っていたと分かることがあります。遺言があったことを知らなかった、遺産の範囲や評価を誤解していた、他の相続人やその側の専門家の説明を信じていた、といった場面です。

本記事では、いったん成立した遺産分割協議を民法95条の錯誤・96条の詐欺によって取り消すための要件と、裁判所が実際にどこで判断を分けているかを説明します。

遺産分割協議が無効になる場面の全体像は、別の記事で説明しています。

成立した遺産分割協議が無効となる状況(多くのパターン)

協議がそもそも成立していないという筋は、成立した協議の取消しとは別のものです。別の記事で説明しています。

遺産分割協議の不成立|署名押印があっても全員の合意が無ければ成立しない

2 誤信の原因が相手方の説明なら取消しの方向、自分の思い込みなら維持の方向

先に全体を示します。

95条・96条の要件と、裁判所が傾く方向

あ 改正の前後=先に決まる関門

令和2年3月31日までに成立した協議は、錯誤があれば無効になります。令和2年4月1日以後に成立した協議は、取消しの対象になります。詐欺はどちらの時期でも取消しです。協議がいつ成立したかが決まらないと、以下の要件が満たされたときの効果も決まりません。

い 95条の要件=4つすべてが必要(かつ)

錯誤の事実があること、その錯誤が法律行為の目的と取引上の社会通念に照らして重要であること、動機にあたる錯誤であればその事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたこと、表意者に重大な過失がないことの4つです。どれか1つでも欠ければ取消しは認められません。順序は錯誤の事実から重要性、表示、重大な過失へと進み、錯誤の事実そのものが否定されれば残りは判断されません。

う 96条の要件=欺罔行為と因果(かつ)

故意に事実を隠すか、事実でないことを示して、それによって表意者が誤信して意思表示をしたことが必要です。説明をしたのが相手方以外の者(他の相続人の側の税理士など)であっても、相手方がその者と意を通じていれば、第三者の詐欺の規定を使わずに取消しが認められます。

え 95条と96条の関係=どちらか一方で足りる(または)

錯誤と詐欺は別の取消事由で、両方がそろう必要はありません。錯誤が認められた事件では、詐欺について判断されないことがあります。

お 裁判所が傾く方向

誤信の原因が相手方の不正確な説明にあるときは、取消し(令和2年3月31日までの協議では無効)の方向が強くなります。誤信が表意者自身の思い込みや調査不足にとどまるとき、または相手方が黙っていただけのときは、協議がそのまま維持される方向が強くなります。

か 決まっていないこと

法定相続分の誤解を、法律状態の錯誤と見るか、意思表示の内容そのものの錯誤と見るか、動機の錯誤と見るかは、文献と裁判例で分かれています。この違いは表示が必要かどうかに影響します。ただし誤信の原因が相手方の説明にある場合は、どの枠組みでも結論は変わりません。

3 95条・96条の文言=錯誤も詐欺も「取消し」で、無効ではない

錯誤と詐欺は、どちらも民法総則の意思表示の規定に置かれています。令和2年4月1日に施行された改正によって、錯誤の効果は無効から取消しに変わりました。改正後の条文は、錯誤を2つに分け、法律行為の基礎とした事情についての錯誤には表示を求め、表意者に重大な過失があるときは取消しを封じています。

条文

錯誤(民法95条)

意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

※民法95条1項

前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。

※民法95条2項

錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

※民法95条3項

詐欺の条文は、取り消すことができることを定めるだけで、何が詐欺にあたるかは書かれていません。相手方以外の第三者が詐欺を行った場合については、相手方がその事実を知っていたか知ることができたときに限るという制限が置かれています。

条文

詐欺(民法96条)

詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。

※民法96条1項

相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。

※民法96条2項

4 令和2年4月1日が境=それ以前の協議は無効、以後は取消し

協議が成立した時期で効果が変わります。錯誤による遺産分割協議が令和2年3月31日までに行われていればその協議は無効であり、同年4月1日以後に行われていれば取り消しうるものになります。取り消された行為は、初めから無効であったものとみなされます。

条文

取消しの効果(民法121条)

取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。

※民法121条1項

引用:文献・公開情報

令和2年4月1日の前後で、錯誤の効果が無効から取消しへ変わること

遺産分割協議に参加した相続人の意思表示に要素の錯誤があった場合、遺産分割は無効とされていたが、令和2年4月1日に施行される改正法(平成29年法律第44号)では、無効ではなく取り消しうるものとなった。
錯誤による遺産分割協議が令和2年3月31日までに行われていれば、その協議は無効であり、同年4月1日以降に行われていれば取り消しうるものとなる(民95条、121条)。

※田村洋三ほか編著『実務 相続関係訴訟 第3版』日本加除出版2020年p316〜317

5 遺産分割協議は契約の一種=意思表示の規定が適用される

遺産分割協議は、共同相続人の間で行われる契約の一種です。そのため、意思表示に関する民法総則の規定がそのまま適用されます。遺産分割の調停についても同じです。協議で合意に達した各当事者の意思表示について、心裡留保・虚偽表示・錯誤・強迫の規定が適用されることは、文献でも異論がないとされています。

引用:文献・公開情報

遺産分割協議は契約の一種で、意思表示に関する民法総則が適用されること

遺産分割協議は、共同相続人間で行われる契約の一種であるから、意思表示に関する民法総則の規定が適用される。
遺産分割の調停についても同様である。

※田村洋三ほか編著『実務 相続関係訴訟 第3版』日本加除出版2020年p316

引用:文献・公開情報

協議分割の意思表示に適用される規定の列挙

協議分割で合意に達した各当事者の意思表示については、心裡留保、虚偽表示、錯誤または強迫に関する民法の規定が適用される(星野・前掲論文373–374、菊池・前掲論文463–464、旧注民第25巻§907II4ウ〔山本〕。
ただし、いずれも錯誤と詐欺または強迫についてしか言及しない)。

※谷口 知平 (元大阪市立大学教授)・久貴 忠彦 (大阪大学名誉教授)編『新版 注釈民法(27)補訂版』有斐閣2013年 12月p392

引用:文献・公開情報

遺産分割協議に95条が適用されることに異論が無いこと

遺産分割協議にも民法九五条の規定が適用される(伊藤昌司・新版注釈民法(27)三五九頁)。

※『判例タイムズ主要民事判例解説882号』p162〜

6 95条の要件は4つで、1つ欠けても取消しは認められない

改正後の95条は、取消しに4つの関門を置いています。錯誤の事実があること、その錯誤が重要であること、法律行為の基礎とした事情についての錯誤であれば表示されていたこと、表意者に重大な過失がないことです。4つはすべて必要で、1つでも欠ければ取消しは認められません。

以下、関門の順に見ていきます。重要性については、遺言の内容と違う協議がされた場面を独立して取り上げます。

(1)錯誤の事実=誤信そのものが否定されれば先へ進まない

最初の関門は、誤信が実際にあったかどうかです。ここで否定されると、重要性や表示は判断されません。裁判例では、協議書の内容を理解していた、価格が実勢と離れていることを認識していた、脱漏した遺産は別途協議できるといった認定によって、誤信そのものが否定されています。

引用:判例

有効な遺言書だと誤信していたとは認められないとした例

原告及び被告Y2において、本件遺産分割協議の成立当時、そもそも本件覚書が法的に有効な遺言書であると誤信していたと認めることまではできず、この点をおいても、同人らにおいて、本件覚書の存在や内容に対する認識を重要な前提として本件遺産分割協議に応じたとも認められないから、錯誤無効ないし詐欺取消しの主張は理由がない。

※東京地方裁判所 2025-08-08 LLI/DB 判例秘書登載

引用:判例

価格が実勢と乖離していることを認識しながら署名したとされた例

原告としては、本件明細書に記載された本件各土地の価格が実勢価格とは相当程度乖離していることを認識しながら、それを踏まえて本件協議書に署名押印したものと考えるのが自然である。

※東京地方裁判所 2022-10-31 LLI/DB 判例秘書登載

引用:判例

脱漏した遺産は別途協議できるから効力に影響しないとした例

広尾物件や金塊2キログラムについては、別途、原告及び被告らとの間で被相続人の遺産への該当性等を確認した上で、遺産分割協議等を行うことが何ら妨げられるものではないから、広尾物件や金塊2キログラムの存在が、本件遺産分割協議書による遺産分割の効力に何ら影響を及ぼさないことは明らかである。

※東京地方裁判所 2022-05-30 LLI/DB 判例秘書登載

(2)重要性=取得額の差が大きければ通常人は応じないと評価される

2つめの関門は、その錯誤が法律行為の目的と取引上の社会通念に照らして重要かどうかです。裁判例は、錯誤がなければ取得額がどれだけ変わったかを具体的に比べ、その差を知っていれば通常人は協議に応じなかったといえるかで判断しています。

差が大きければ重要性が認められます。もっとも、差があっても、早く一定の金銭を得ることを優先して合意したという経緯が認定されると、重要とは認められないことがあります。金額の差そのものではなく、その差を知っていたら応じなかったといえるかが問われます。

相続税の見込みを誤ったことが錯誤になるかは、別の記事で説明しています。

遺産分割・相続放棄による高額相続税発生時の無効・取消(判例の適用基準)

引用:判例

取得額の差を知っていれば通常人は応じないとして要素の錯誤を認めた例

被告が民法九〇三条所定の相続分に従った遺産分割を希望すれば本件遺産分割協議の内容(被告の取得額は約四二〇〇万円)よりもはるかに多くの遺産(民法九〇三条に従った場合の被告の取得額は相続債務及び相続税を控除しても少なくとも約二億六〇〇〇万円)を取得できる可能性があることを知っていた場合には、通常人であれば本件遺産分割協議に応じることはないと解されるから、被告の錯誤は本件遺産分割協議成立に向けた意思表示の要素の錯誤というべきであり、被告の錯誤によって成立した本件遺産分割協議は民法九五条により無効である。

※東京地方裁判所 1999-01-22 判例時報1685号51頁

引用:判例

差があっても早期の取得を優先した経緯から重要性を否定した例

法定相続分に関する錯誤がなければ、原告の取得代償金額は2000万円以上増額することとなるものの、4255万8259円もの多額の代償金を速やかに取得している本件遺産分割協議において、原告の錯誤は、その目的や社会通念に照らして重要なものであると認めることはできない。

※東京地方裁判所 2024-01-11 LLI/DB 判例秘書登載

もっとも、この重要性を誰の目で測るかについては、取引の相手方の利益を考える必要がない場面だから、協議に臨んだ共同相続人集団にとっての重要性で足り、一般人を基準にした客観的基準を入れる必要はないという整理も示されています。

引用:文献・公開情報

重要性を測る基準=共同相続人集団にとっての重要性で足りるという整理

錯誤事項の重要性を判断するにあたり、遺産の分割協議に臨んだ共同相続人集団にとっての重要性を基準とすれば足り、一般人を基準にした客観的基準を(も)入れる必要はないというのが適切であろう。

※潮見佳男稿/谷口知平ほか編『新版 注釈民法(27)補訂版』有斐閣2013年 12月p294

(3)遺言を知らずにした協議=知っていれば応じなかった蓋然性で決まる

遺言で分割の方法が定められているときは、その趣旨は協議や審判を通じて可能な限り尊重されるべきものであり、相続人の意思決定に与える影響力は格段に大きいと評価されます。そこから、遺言の存在を知っていれば同じ意思表示をしなかった蓋然性が高いときは、要素の錯誤がないとはいえないという判断が導かれています。文献は、この判断を、動機の錯誤に取消しを認める新しい傾向を示唆するものと位置づけています。

引用:判例

遺言で定められた分割の方法が相続人の意思決定に与える影響力

相続人が遺産分割協議の意思決定をする場合において、遺言で分割の方法が定められているときは、その趣旨は遺産分割の協議及び審判を通じて可能な限り尊重されるべきものであり、相続人もその趣旨を尊重しようとするのが通常であるから、相続人の意思決定に与える影響力は格段に大きいということができる。

※最高裁判所 1993-12-16 最高裁判所裁判集民事 170号757頁/裁判所時報 1113号5頁/家庭裁判月報 46巻8号47頁/裁判所ウェブサイト/判例タイムズ 842号124頁/判例時報 1489号114頁/金融法務事情 1398号121頁/金融・商事判例 945号14頁

引用:文献・公開情報

この判決を新しい傾向を示唆するものと位置づける評価

遺言の存在を知らずにその趣旨と異なる遺産分割協議(§907)が行われた場合において、遺言を知っていれば、同様の意思表示をしなかったであろう蓋然性が高いときは、要素の錯誤がないとはいえないとした判決
(最判平成5・12・16判時1489号114頁)
などは、新しい傾向を示唆するものといえようか。

※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p208

(4)動機の錯誤でも、誤信の原因が相手方の説明なら表示は認められる

3つめの関門は表示です。意思表示の内容そのものではなく、その意思表示をするに至った動機に錯誤がある場合は、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限って取消しができます。動機が相手方に表示されていなければ、錯誤があっても取消しは認められません。

誤信の原因が相手方の説明そのものであるときは、動機はその説明の内容と同じものなので、当然に表示されていたと評価されます。逆に、相手方が黙っていただけで、表意者が自分の見込みを相手方に述べていなかった場合は、表示が認められません。ここでも、誤信が相手方の説明から生まれたのかどうかが分かれ目になります。

引用:文献・公開情報

動機の錯誤は、動機が意思表示の内容として表示されていれば95条が適用されること

問題は「動機の錯誤」(あるいは「縁由の錯誤」)である。
すなわち、意思表示の内容そのものには錯誤はないが、意思表示をするに至る動機において錯誤が存在した場合に、これを本条の錯誤といえるかが問題となる。
戦後の判例では、単なる動機ないし縁由の錯誤は「意思の欠缺」とはいえず、本条は適用されないが、その動機が意思表示の内容として表示されていれば、意思表示の内容の錯誤となり、本条が適用されると解されている
(最判昭和29・11・26民集8巻2087頁、最判昭和45・5・29判時598号55頁)。

※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p207

引用:判例

動機が相手方の説得内容そのものだから当然に表示されているとした例

本件錯誤に係る被告の動機は原告らが被告に本件遺産分割協議に応じるように説得した原告らの説得内容そのものであるから、被告の右動機は当然に原告らに表示されているものというべきである。

※東京地方裁判所 1999-01-22 判例時報1685号51頁

引用:判例

動機を表示して合意したとは認められないとした例

原告らがBの将来の生活費に不安があることを動機として表示した上で、本件分割協議に合意したこと及び原告らがBの将来の生活費に不安があることが本件分割協議の要素であることはいずれも認められず、他にこれらを認めるに足りる証拠はない。

※東京地方裁判所 2020-02-26 LLI/DB 判例秘書登載

(5)重過失=ほとんど故意に比肩する過失で、落ちる例は少ない

表意者に重大な過失があるときは、取消しは封じられます。もっとも、重大な過失は判例上容易には認められず、その立証責任は相手方にあると解されています。遺産分割では、代償金の算定の根拠となる遺産の価額について必要な調査を怠った事案で、ほとんど故意にも比肩すべき重大な過失があるとされた例があります。

引用:文献・公開情報

重大な過失は容易に認められず、立証責任は相手方にあること

〔4〕表意者に「重大な過失」(重過失)があるということは、判例上、容易には認められない。
たとえば、実用新案の実物と称するものをみせられて実用新案権を買う約束をした者は、特許公報を精査しなくても重大なる過失があるとはいえない(大判大正10・6・7民録27輯1074頁)。
しかし、株式の売買譲渡を常業とする者が、ある会社の実権をその手中におさめようとして株式を買収する場合に、その会社の定款に株式の譲渡制限があるかどうかを調べなかったのは重大なる過失である(大判大正6・11・8民録23輯1758頁)。
なお、「重大な過失」の立証責任は相手方にあると解される
(大判大正7・12・3民録24輯2284頁)。

※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p211

引用:判例

遺産の価額の調査を怠ったことが重大な過失とされた例

控訴人が遺産の価額を誤認して本件調停による遺産分割の合意をしたことについては、表意者である控訴人にほとんど故意にも比肩すべき重大な過失があつたものと言わざるを得ず、控訴人の錯誤による右合意の無効の主張は許されない。

※東京高等裁判所 1984-09-19 東京高等裁判所判決時報民事35巻8~9号161頁/判例タイムズ544号131頁/判例時報1131号85頁/金融法務事情1095号42頁

7 96条の詐欺=事実を隠すか虚構して示すことで足りる

詐欺は、相手方の欺罔行為によって誤信し、その誤信によって意思表示をしたときに取消しを認める制度です。欺罔行為とは、故意に事実を隠すか、事実でないことを示すことをいいます。黙っていることも欺罔行為になりえますが、その場合は違法性を欠くとされることが多いとされています。

引用:文献・公開情報

欺罔行為の意義と、沈黙も欺罔行為になりうること

欺罔行為とは、故意に事実を隠蔽し、もしくは虚構して表示することである
(自己の行為能力に関する欺罔もこれに当たるかについて、§21〔4〕参照)。
したがって、沈黙も欺罔行為となりうる。
ただし、沈黙による詐欺は違法性((エ)の要件)を欠くとされる場合が多いであろうが、それは別問題である。

※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p213

沈黙がつねに詐欺になるわけではないのは、他人の不知や錯誤を知りながら自己の利益のためにそれを告げないことが、ある程度は個人の自由な行動の範囲として許されるからだと説明されています。

引用:文献・公開情報

欺罔行為の定義と、沈黙がつねに詐欺にならない理由

欺罔行為とは、事実に関し真実でない表象ないし判断を他人に生ぜしめる行為である。
積極的に虚偽の事実を陳述することのみならず、消極的に真実の事実を隠蔽することもまた欺罔行為となりうる。
(a)沈黙と詐欺
不作為とくに沈黙も欺罔行為となりうる。
相手方の不知を利用し、沈黙によって錯誤におとしいれるか、または、相手方が現に錯誤に陥っている場合に沈黙によってさらにその程度を深めることは、それ自体欺罔行為となりうる。
もっとも、社会生活においては、他人の不知や錯誤を知りつつ、自己の利益のため、これをその者に告げないことは、個人の自由行動の範囲内のものとしてある程度許容さるべきであるから、沈黙はつねに詐欺になるとはいえない。

※下森定稿/川島武宜ほか編『新版 注釈民法(3)』有斐閣2010年 10月p472〜473

(1)欺罔の有無=虚偽の事実を告げていなければ否定される

裁判では、相手方が何を告げたかで結論が分かれます。示した資料に事実が記載されていれば、虚偽の事実を告げたとはいえないとされ、評価の方法として適正なものを用いていれば、そもそも動機に錯誤があったとはいえないとされています。

引用:判例

借入明細書を示したことは虚偽の事実を告げたとはいえないとした例

上記銀行借入残高記載の金額が連帯保証債務であったとしても亡Aの負債である以上、本件借入明細書を示したことをもって、被告が原告X2に虚偽の事実を告げたということはできないから、被告の欺罔行為によって錯誤に陥り、原告X2が本件遺産分割協議に応じたということはできない。

※東京地方裁判所 2022-03-15 LLI/DB 判例秘書登載

引用:判例

固定資産税評価額も適正な評価方法だとした例

代償金の算定の基礎とする不動産の価格は、必ずしも時価を基準に評価しなければならないわけではなく、固定資産税評価額も、不動産の価格の評価の基準として用いられることは多く、適正な基準価格の評価方法の一つであるということができるのであって、そもそも動機に錯誤があったとはいえない。

※東京地方裁判所 2022-03-25 LLI/DB 判例秘書登載

(2)第三者の説明=相手方が意を通じていれば96条1項で処理される

説明をしたのが相手方ではなく、その側の税理士であった事案があります。裁判所は、相手方がその税理士と意を通じていたと認定して、第三者の詐欺の規定によらずに取消しを認めました。

引用:判例

相手方と意を通じた税理士による詐欺として取消しを認めた例

原告X1らの本件遺産分割協議における意思表示を被告と意を通じたCによる詐欺を理由に取り消したとの主張は理由がある。

※東京地方裁判所 2023-12-15 LLI/DB 判例秘書登載

8 法定相続分の誤解=文献と裁判例で枠組みが3つに分かれる

法定相続分を誤解したまま協議に応じた場合の位置づけは、文献と裁判例で分かれています。文献は、法律状態の錯誤として要素の錯誤になることが多いとしつつ、表意者の重過失が問題となる可能性を指摘します。これに対し、他の相続人が取得する遺産の内容は意思表示の内容そのものであるとして、動機の錯誤という枠組みを採らなかった裁判例があります。どの枠組みを採るかで、表示が必要かどうかが変わります。

引用:文献・公開情報

法定相続分の誤解を法律状態の錯誤として扱う整理

法定相続分を誤解したまま遺産分割協議に応じた場合、法律状態の錯誤として要素の錯誤となることが多いであろうが、表意者の重過失が問題となる可能性がある。

※田村洋三ほか編著『実務 相続関係訴訟 第3版』日本加除出版2020年p317

引用:判例

他の相続人が取得する遺産の内容は意思表示の内容であるとした例

遺産分割協議はどの遺産を誰がどの範囲で取得するかを相続人間で協議の上決定するものであり、他の相続人が取得する遺産の内容は本件遺産分割協議の意思表示の内容であるから、原告らの主張について動機の錯誤であるとする被告Y2らの主張は採用できない。

※東京地方裁判所 2019-04-25 LLI/DB 判例秘書登載

さらに、判例の中には動機の表示を問題にしないまま要素の錯誤を認めたものもあり、動機を相手方が認識していれば表示されたのと同じに扱えばよい、という理解も示されています。表示を要求するかどうかは、枠組みの選び方だけでなく、要求の強さの面でも一様ではありません。

引用:文献・公開情報

動機の表示を問題にしないまま要素の錯誤を認めた判例があること

夫が妻に離婚に伴う財産分与をするに当たり、譲渡所得税が課されないと誤信した場合に動機が表示されており錯誤が成立するとされる(最判平元・9・14判時1336・93)。
しかし、動機の表示を問題にしないまま要素の錯誤を認める判例もある(前掲大判昭10・1・29のほか、大刑判昭8・6・8新聞3573・7、大判昭18・6・3新聞4850・9、最判昭37・11・27判時321・17、前掲同昭40・10・8、後掲最判平14・7・11判時1805・56。
なお、その他の判例については、須永・前掲民法の判例〔2版〕18、谷田貝三郎「動機の錯誤」不動産取引判例百選〔増補:昭52〕16の指摘参照)。
なお、動機表示必要説によれば、動機を相手方が認識している場合には、動機が表示されなくても、表示されたのと同じに扱われることになろう。

※川井健稿/川島武宜ほか編『新版 注釈民法(3)』有斐閣2010年 10月p410

本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。

本記事の引用は、書籍・判例などの原文から範囲を選んで載せたものです。改行の位置は読みやすさのために当方で整えており、原文の改行と同じとは限りません。また、記号や外字の扱いにより、文字の一部が原文と異なって表示されることがあります。原文の段落の行頭にある字下げは再現していません。

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