遺産分割協議の不成立|署名押印があっても全員の合意が無ければ成立しない

1 遺産分割協議の不成立|署名押印があっても全員の合意が無ければ成立しない

相続人の全員が署名押印した遺産分割協議書があるのに、相続人の1人が「あんな協議はしていない」と言い出すことがあります。印鑑登録証明書が添えられ、登記まで済んでいることも珍しくありません。

このとき、署名押印のある協議書を覆す主張は3つに分かれます。協議そのものが成立していないというもの、成立したが無効だというもの、成立したが取り消せるというものです。本記事が扱うのは最初の1つで、遺産分割協議が「そもそも成立していない」と判断されるのはどのような場合かを説明します。

裁判例が不成立とした場面は、大きく2つに分かれます。1つは、相続人の全員が合意したとはいえない場面です。もう1つは、合意はあっても、それが今後の分割の目安を決めたにとどまる場面や、暫定的な合意にとどまる場面です。逆に、本人の署名押印で作られた協議書があれば、書かれたとおりの合意があったことが推認されるので、不成立を主張する側がその推認を覆すことになります。

2 協議書を覆す主張は3つ=不成立・無効・取消し(概要)

3つの筋は、要件も効果も違います。先に全体の位置を示します。

1つ目は、協議が成立していないという筋です。合意そのものが無いという主張で、本記事がこれを扱います。

2つ目は、協議は成立したが無効だという筋です。無効となる場面の一覧は、別の記事で説明しています。

成立した遺産分割協議が無効となる状況(多くのパターン)

3つ目は、協議は成立したが錯誤・詐欺で取り消せるという筋です。令和2年3月31日までに成立した協議は、錯誤があれば無効になります。要件と裁判所の判断の分かれ目は、別の記事で説明しています。

遺産分割協議の錯誤・詐欺|相手方の説明による誤信が取消しを分ける

相続人の1人が、内心では応じるつもりがないまま署名した場合の扱い(心裡留保)と、錯誤・詐欺との違いは、別の記事で説明しています。

相手方が用意した文書への署名|民法93条ただし書=真意でないと知り得たとき無効

3 民法907条1項は「その協議で」と書くだけ=成立の要件は条文に無い

遺産分割協議の根拠は民法907条1項です。共同相続人は「その協議で」遺産の全部または一部の分割をすることができると定めています。

条文は協議で分割ができると書くだけで、協議が成立するために何が必要かは書いていません。成立の要件は、裁判例が事案ごとに示しています。以下では、成立に何が必要かを述べた裁判例から順に見ていきます。

条文

遺産の分割の協議(民法907条1項)

共同相続人は、次条第一項の規定により被相続人が遺言で禁じた場合又は同条第二項の規定により分割をしない旨の契約をした場合を除き、いつでも、その協議で、遺産の全部又は一部の分割をすることができる。

※民法907条1項

4 相続人全員の合意が要件=1人でも合意していなければ全部が不成立

東京地方裁判所は、遺産分割協議の成立に必要なものを2つに分けて述べています。相続人の全員が一堂に会する必要はないこと、しかし相続人の全員が分割方法について合意したことが必要であることです。

引用:判例

協議の成立に必要なもの=一堂に会することではなく、全員の合意

遺産分割協議が成立するためには、相続人全員が一堂に会して協議をする必要はないが、相続人全員が、その分割方法について合意をしたことが必要である。

※東京地方裁判所 2013-06-06 LLI/DB 判例秘書登載

この事件では、相続税の申告と納税のために協議書が作られ、相続人の1人(原告)は、協議書に署名押印するにあたって、弁護士を立会人として、申告と納税が終わった後に改めて法定相続分を基礎に協議する旨の覚書を交わしていました。裁判所は、協議書に署名押印した事実があっても、協議書どおりに分割する合意は成立していないとし、全員の合意が必要であることから、協議は全体として成立していないと判断しました。

引用:判例

1人の合意が認められず、協議が全体として不成立とされた判断

そうすると、Bの遺産を本件分割協議書のとおり分割することに原告が合意していたとは認められないから、Bの遺産の分割方法について共同相続人全員の間で合意が成立したとは未だ認められず、B遺産分割協議は成立していない。

※東京地方裁判所 2013-06-06 LLI/DB 判例秘書登載

同じ1通の協議書について、別の相続人の合意は認められています。協議書の内容に不服を述べていた相続人も、その意味を確認せず、協議書に異議を述べないまま署名押印し、その後も改めての協議を求めていなかったことから、合意をしたと認定されました。口頭で不服を述べたことや、後で話し合おうと言われたことだけでは、合意の認定は覆っていません。分かれ目になったのは、書面(覚書)が残っていたかどうかです。

引用:判例

同じ協議書について、別の相続人の合意は認められた判断

被告Y1は、Aに対して、Aの発言の意味を確認したり本件分割協議書に異議を述べることのないまま本件分割協議書に署名押印した上、その後もAに対してBを被相続人とする遺産分割協議を求めていないことからすれば、Bの遺産について本件分割協議書の内容に沿った分割をするとの合意をしたと認められる。

※東京地方裁判所 2013-06-06 LLI/DB 判例秘書登載

5 持ち回りでもよいが、分割の内容の確定と各相続人への提示が要る

相続人が1か所に集まらず、協議書を順番に回して署名押印をもらう方法(持ち回り)でも、協議は成立します。ただし仙台高等裁判所は、持ち回りの場合に2つを求めました。分割の内容が確定していること、そして、その内容が各相続人に提示されていることです。

事案は、相続分不存在証明書を交付して持ち回りに応じた相続人が、他の相続人に関する協議の部分を知らされていなかったというものです。第一審は野辺地簡易裁判所、第二審は青森地方裁判所で、この判決はその上告審にあたります。協議の成立を認めた原判決は破棄され、事件は青森地方裁判所に差し戻されました。示されたのは成立に必要なものであって、この事案で協議が成立していたかどうかの結論は、差戻し後の裁判所が出すことになります。

引用:判例

持ち回りで協議をするときに必要なもの=内容の確定と各相続人への提示

相続人間において遺産分割協議が成立するためには、相続人全員の合意が要件であり、この合意が成立するためには必ずしも全員が一堂に会することは必要ではないが、全員が一堂に会せずに持ち回りで分割協議をなす場合は分割の内容が確定しておりそのことが各相続人に提示されることが必要であると解するのが相当である。

※仙台高等裁判所 1992-04-20 家庭裁判月報 45巻9号37頁/判例タイムズ 803号228頁/金融法務事情 1346号44頁/金融・商事判例 906号14頁

6 「一応のよるべき指針」にとどまる合意は分割の合意ではない

合意があっても、それが今後の協議の目安を決めたにとどまるなら、分割の合意があったとは扱われません。高松高等裁判所は、相続人が集まった最初の話し合いの議事録について、今後の協議の指針として合意したところを後日のために記載したにすぎないとして、遺産の中心である不動産について分割の合意が成立したことを意味しないと判断しました。

引用:判例

議事録の記載が一応の指針にとどまるとされた判断

一応のよるべき指針として合意したところを後日のために記載したにすぎず、遺産の中心をなす不動産である本宅について分割の合意が成立したことを意味するものではないと解される。

※高松高等裁判所 1973-11-07 家庭裁判月報26巻5号75頁/判例タイムズ303号171頁/判例時報748号66頁

広島高等裁判所も、葬儀の日に持参された書面に相続人3人が署名したものの、その内容は十分に協議されたものではなく、その後に一部内容を異にする遺産分割協議書が提示されて1人が署名押印を拒否したという経過から、まだ協議は成立していないと判断しています。署名そのものはあっても、内容について合意ができていなければ成立しません。

引用:判例

署名はあっても協議は成立していないとされた判断

右の経過に照らすと、右相続人三名の間において、未だ遺産分割協議は成立していないというべきである。

※広島高等裁判所 1994-03-08 家庭裁判月報47巻2号151頁/判例タイムズ870号242頁

7 暫定にとどまるかは、書面の形式と中身の両方で決まる

暫定的な合意にすぎないという主張が退けられた事件を見ると、何が見られているかが分かります。東京地方裁判所は、まず暫定をうかがわせる事情を挙げました。書面の表題が「覚えのこと」であること、押印がされていないこと、記載の内容では登記手続ができないこと、分割されていない遺産が対象から外れていることです。

引用:判例

暫定をうかがわせる事情=表題・押印の不在・登記手続に堪えないこと

本件協議書1の表題は「覚えのこと」であり、原告及び被告らの押印はされていないこと、その内容には、本件狛江市建物は被告Y2又はその配偶者の名義に、本件世田谷不動産は被告Y1及び/又はその配偶者の名義に変更するというものが含まれ、本件協議書1に基づき登記手続をすることはできないものであったこと、本件協議書1においては本件未分割遺産が分割の対象とされなかったことが認められる。

※東京地方裁判所 2023-10-12 LLI/DB 判例秘書登載

そのうえで、裁判所はこれらを覆す事情を挙げました。協議した結果に基づいて定めるものであることが書面に明記され、各条項から合意の内容を明確に読み取れることです。

引用:判例

合意の内容を明確に読み取ることができること

本件協議書1には原告及び被告らが協議した結果に基づき、A及びBの資産について定めるものであることが明記され、各条項からはその合意内容を明確に読み取ることができる。

※東京地方裁判所 2023-10-12 LLI/DB 判例秘書登載

さらに、主要な遺産がすべて分割の対象になっていること、対象から外れた遺産の価値が著しく低いこと、取得する内容が相続人の間で調整されていて合理的であること、本人が自ら署名して返送していることを挙げて、暫定的な合意にすぎなかったとは認められないと判断しました。書面の形式だけでも、中身だけでも決まらず、両方で決まります。

引用:判例

主要な遺産が対象であることから暫定的な合意を否定した判断

A及びBの主要な遺産である本件世田谷不動産、本件狛江市建物及び本件B預貯金はすべて分割の対象とされており、本件未分割遺産はいずれもその価値が著しく低廉であることからすると、これらを遺産分割協議の対象としなかったことをもって、本件遺産分割協議が暫定的な合意にすぎなかったとは認められない。

※東京地方裁判所 2023-10-12 LLI/DB 判例秘書登載

8 署名押印が本人のものなら協議書は真正と推定=合意の内容も推認される

協議書の署名が本人の自署で、署名欄の印影が本人の実印のものであれば、署名に応じた相続人が実印の押印を拒む理由はないとして、押印も本人がしたものと認められ、協議書は真正に成立したものと推定されます。

引用:判例

署名と実印の印影から押印を本人のものと認め、協議書の真正を推定した判断

あ 押印の認定

署名に応じた原告らが実印の押印を拒絶する理由はないから、本件遺産分割協議書の押印もそれぞれ原告らがしたものと認めるのが相当である。

※東京地方裁判所 2022-03-15 LLI/DB 判例秘書登載

い 真正の推定

本件遺産分割協議書は真正に成立したものと推定される。

※東京地方裁判所 2022-03-15 LLI/DB 判例秘書登載

協議書が本人の手で作られたこと自体を相続人の全員が認めている場合は、書かれたとおりの合意をしたことが推認されます。不成立を主張する側は、この推認を覆す事情を示すことになります。

引用:判例

真正な協議書から、記載どおりの合意を推認した判断

本件分割協議書が真正に成立したことは当事者間に争いがないから、原告ら、被告及びBが平成23年5月13日に本件分割協議書のとおりの合意をしたことを推認することができる。

※東京地方裁判所 2020-02-26 LLI/DB 判例秘書登載

9 遺産の内容や評価額が未確定でも特定性は欠けない=共有物分割との違い

遺産の範囲や評価額が決まっていないのに合意したのだから、意思表示の内容として特定性を欠く、という主張も退けられています。東京地方裁判所は、協議書の内容が、一方が特定の不動産を取得し、他方がその余の遺産を消極的なものも含めて全部取得するというものであることから、遺産の内容や評価額が明らかでなくても特定性を欠くものではないと判断しました。

引用:判例

遺産の内容や評価額が明らかでなくても特定性を欠かないとした判断

本件分割協議書の内容は、要するに、被告がAの遺産のうち本件土地1、同2の所有権及び本件建物の持分等を取得し、Bがその余の遺産を消極的なものも含め全部取得するというものであるから、Aの遺産の内容や評価額が明らかでなくても意思表示の内容として特定性を欠くものではない

※東京地方裁判所 2020-02-26 LLI/DB 判例秘書登載

この点は、共有物分割の協議との違いから説明されています。最高裁判所判例解説は、遺産分割協議を、遡及効のない共有物の分割協議とは異なり、民法909条本文に照らして相続の時に遡って権利の帰属をいわば創設的に定める、相続人間の一種特別の合意だと述べます。法定相続分と異なる分割を定めた場合でも、贈与や交換、売買などの行為が合わさったものとは見るべきではないという位置づけです。

引用:文献・公開情報

遺産分割協議は共有物分割の協議と異なり、相続の時に遡って帰属を定める一種特別の合意

遺産分割協議は、遡及効のない民法二五八条一項所定の共有物の分割協議と異なり、民法九〇九条本文(分割の遡及効)の規定に照らし、相続の時に遡って相続人らの遺産に対する権利の帰属をいわば創設的に定める相続人間の一種特別の合意であり

※河野信夫稿『遺産分割協議と民法五四一条による解除の可否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成元年度』法曹会1991年p6

条文

遺産の分割の効力(民法909条)

遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。

※民法909条1項

10 協議が成立すれば分割は終わり、残るのは履行だけ

協議が成立すると、遺産分割はそれで終わります。最高裁判所判例解説は、意思表示に錯誤・詐欺・強迫などの瑕疵がなく、他の無効事由もない場合には、遺産分割は瑕疵のない協議の成立とともに終了し、後は協議の内容に従った遺産の引渡しや登記手続といった履行の問題が残るだけになる、と述べています。

そのため、協議が成立していると判断された場面で残るのは、履行を求めることと、無効や取消しを主張することです。相続人の間で改めてやり直しの合意をしたときの課税と、協議に基づいてされた登記の抹消については、それぞれ別に説明しています。

遺産分割のやり直しで2重の課税となることがある

無効を理由とする抹消登記の可否と登記原因(無効や錯誤)

引用:文献・公開情報

瑕疵のない協議が成立すれば、残るのは履行の問題

遺産分割はその瑕疵なき協議の成立とともに終了し、後は協議内容に従った相続人間の遺産の引渡、登記手続等の履行問題が残されるのみとなる

※河野信夫稿『遺産分割協議と民法五四一条による解除の可否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成元年度』法曹会1991年p6

本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。

本記事の引用は、書籍・判例などの原文から範囲を選んで載せたものです。改行の位置は読みやすさのために当方で整えており、原文の改行と同じとは限りません。また、記号や外字の扱いにより、文字の一部が原文と異なって表示されることがあります。原文の段落の行頭にある字下げは再現していません。

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