時効消滅した債権を自働債権とする相殺(民法508条)|要件=時効期間の経過前の相殺適状
1 時効消滅した債権を自働債権とする相殺(民法508条)|要件=時効期間の経過前の相殺適状
長く行使しないままにしていた債権は消滅時効にかかりますが、その債権と相手方の債権とが向かい合っていた時期があるときは、当事者は通常、両方が差引きで決済されたものと考えています。民法508条は、この場合に、時効によって消滅した債権を自働債権(相殺する側の債権)として相殺することを認めています。
ただし、同条が使えるのは「その消滅以前に相殺に適するようになっていた場合」に限られます。この状態を相殺適状といいます。
本記事では、民法508条の趣旨と要件、相殺適状をどの時点で判定するのか、そして同条が及ぶ範囲を説明します。
相殺の制度全体については、別の記事で説明しています。
2 結論——時効期間の経過前に相殺適状があれば相殺可・経過後に生じたなら不可
民法508条による相殺の可否
あ 民法508条で相殺できるか→時効期間が過ぎる前の相殺適状の有無で決まる
時効期間が過ぎる前に相殺適状になっていた→相殺できる。相殺適状になったのが時効期間が過ぎた後だった→相殺できない
い 「その消滅以前」の基準時→時効期間が過ぎた時
援用の時ではない。時効期間は過ぎたが援用はまだという時期に相殺適状になった場合も、相殺できない
う 受働債権の弁済期→現実に到来していることが必要
期限の利益を放棄できるというだけでは相殺適状にならない。放棄・喪失して弁済期が現実に来た時点で相殺適状になる
え 時効完成後に譲り受けた債権→自働債権にできない
譲り受けた側と相手方の間に相殺適状が一度もないため
お 連帯保証の主債務が時効で消滅→判例は連帯保証人に対する相殺を認める
認めるべきでないという学説もある
か 除斥期間が過ぎた債権→判例は民法508条の類推適用を認める
民法508条の適用はないという学説もある
き 時効で消滅したのが受働債権の側→時効の利益を放棄して相殺するのは自由
民法508条の問題ではない
3 民法508条の趣旨=決済されたという当事者の信頼の保護
この規定が置かれているのは、相殺適状にある債権を持っている者が、その債務関係はもう決済されたものと考えるのが通常であり、その信頼を保護する必要があるからだと説明されています。この趣旨は、同条の適用範囲を考えるときの手がかりとして使われています。
民法508条=時効により消滅した債権を自働債権とする相殺
時効によって消滅した債権がその消滅以前に相殺に適するようになっていた場合には、その債権者は、相殺をすることができる。
※民法508条
民法508条の趣旨=相殺適状にある債権の決済への信頼の保護
相殺適状にある債権を有する者は、ほとんどその債務関係が決済されたものと考えるのが常であるから、この信頼を保護しようとする趣旨である。
※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p1064
(1)民法508条=相殺の要件の規定・民法506条2項の遡及効による説明を否定
相殺の意思表示は、相殺適状が生じた時にさかのぼって効力を生じます(民法506条2項)。そうすると、時効で消滅した債権による相殺も、この遡及効の帰結として説明できるようにみえます。
しかし注釈民法は、わが民法が意思表示による相殺を採っていることから、相殺に供される債権は意思表示の時点で相殺の要件を満たしていなければならないとして、民法508条は相殺の要件に関する規定であって、遡及効から説明すべきではないとしています。
相殺の方法と効力そのものについては、別の記事で説明しています。
民法508条=相殺の要件に関する規定・遡及効からの説明を否定
しかし、わが民法は法上当然の相殺という制度をとらず、相殺の意思表示によつて効力が生ずるものとしているから、相殺の用に供せられる債権は相殺の意思表示の時に相殺の要件を充たしていなければならない。
すなわち、本条は相殺の要件に関する規定であつて、その効果として生ずる遡及効から説明すべきでない。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p424
(2)自然債務の概念による民法508条の基礎づけを否定
消滅時効にかかった債権は、債務者が援用すれば請求できなくなりますが、任意に弁済すればその弁済は有効です。そこで、消滅時効にかかった債務を自然債務の一種とみる見方があります。
もっとも注釈民法は、自然債務という観念には異質の要素が含まれていて問題を解明する手がかりにならないとし、民法508条の基礎づけも、他の自然債務への類推の当否も、この概念からは判定できないとしています。
消滅時効にかかった債務=一種の自然債務
しかも、消滅時効にかかった後の債権であっても、これを相殺に使うことができる(508条)。
このように消滅時効にかかった債務も一種の自然債務に属するとみられる(於保74頁、奥田92頁)。
※川井健著『民法概論3(債権総論)第2版補訂版』有斐閣2009年p49
自然債務の概念による民法508条の基礎づけを否定
当面の相殺との関係でいえば、自然債務は一般に相殺の自働債権とすることはできないが、時効により消滅した債権は例外である(我妻71)と述べるほかはないであろう。
したがつて、自然債務の概念によつては本条の基礎づけができないだけでなく、他の自然債務への類推の当否も判定できないのである。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p424
4 相殺適状の要件=双方の債務が弁済期にあること(民法505条1項)
相殺適状の要件は民法505条1項が定めており、同項は、双方の債務が弁済期にあるときに相殺ができるとしています。
もっとも、期限の利益は放棄することができます(民法136条2項)。そこで、受働債権(相殺される側の債権)に弁済期の定めがあってまだ到来していないときに、期限の利益を放棄すれば相殺できることと、放棄しないままでも相殺適状にあるといえるかは、別の問題になります。
民法505条1項=相殺の要件
二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
※民法505条1項
民法136条=期限の利益及びその放棄
期限は、債務者の利益のために定めたものと推定する。
※民法136条1項
期限の利益は、放棄することができる。ただし、これによって相手方の利益を害することはできない。
※民法136条2項
(1)受働債権の弁済期→現実の到来が必要・民法136条2項の放棄可能性では足りない
受働債権について期限の利益を放棄することができるというだけでは足りず、期限の利益の放棄または喪失等によってその弁済期が現実に到来していることを要します。
期限の利益の喪失については、別の記事で説明しています。
判決要旨|受働債権の弁済期→現実の到来が必要
既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというためには、受働債権につき、期限の利益を放棄することができるというだけではなく、期限の利益の放棄または喪失等により、その弁済期が現実に到来していることを要する。
※最高裁判所 2013-02-28 最高裁判所民事判例集67巻2号343頁/裁判所時報1574号52頁/判例タイムズ1388号101頁/金融・商事判例1418号28頁/判例時報2182号55頁/金融法務事情1972号89頁/LLI/DB 判例秘書登載
(2)受働債権の弁済期を要する理由=民法505条1項の文理・遡って消せない期限の利益
受働債権の弁済期の現実の到来を要するとされる理由は、二つあります。一つは民法505条1項の文理で、同項が「双方の債務が弁済期にあるとき」と定めていることから、受働債権についても弁済期の現実の到来が要件とされていると読めるというものです。
もう一つは、いつでも期限の利益を放棄できることを理由に相殺適状にあると解すると、債務者が既に享受した期限の利益を自ら遡及的に消滅させることになり、相当でないというものです。
受働債権の弁済期を要する理由=民法505条1項の文理・遡って消せない期限の利益
民法505条1項は、相殺適状につき、「双方の債務が弁済期にあるとき」と規定しているのであるから、その文理に照らせば、自働債権のみならず受働債権についても、弁済期が現実に到来していることが相殺の要件とされていると解される。また、受働債権の債務者がいつでも期限の利益を放棄することができることを理由に両債権が相殺適状にあると解することは、上記債務者が既に享受した期限の利益を自ら遡及的に消滅させることとなって、相当でない。
※最高裁判所 2013-02-28 最高裁判所民事判例集67巻2号343頁/裁判所時報1574号52頁/判例タイムズ1388号101頁/金融・商事判例1418号28頁/判例時報2182号55頁/金融法務事情1972号89頁/LLI/DB 判例秘書登載
(3)受働債権の弁済期の要否をめぐる学説=不要説・必要説
学説は従来二つに分かれていました。最高裁判所判例解説は、受働債権の期限の利益の放棄または喪失等を要しないとする見解を不要説、これを要するとする見解を必要説と呼んで整理しています。
不要説をとるものとして挙げられているのが、注釈民法の民法505条の注釈です。同書は、債務者は原則として期限の利益を放棄しうることを理由に、受働債権は必ずしも弁済期にあることを要しないと述べていました。
不要説=受働債権の期限の利益の放棄・喪失等を要しない
不要説は、債務者は原則として期限の利益を放棄し得るから、相殺適状にあるといえるためには、受働債権について期限の利益の放棄又は喪失等があることを要せず、受働債権は必ずしも弁済期にあることを要しないなどとする説である。
※山地修『〔3〕 1 既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというための要件 2 時効によって消滅した債権を自働債権とする相殺をするために消滅時効が援用された自働債権がその消滅時効期間経過以前に受働債権と相殺適状にあったことの要否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成25年度』法曹会平成28年11月25日p59
必要説=期限の利益の放棄又は喪失等があって初めて相殺適状
必要説は、受働債権の期限の利益の放棄又は喪失等があって初めて相殺適状になるとする説である。
※山地修『〔3〕 1 既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというための要件 2 時効によって消滅した債権を自働債権とする相殺をするために消滅時効が援用された自働債権がその消滅時効期間経過以前に受働債権と相殺適状にあったことの要否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成25年度』法曹会平成28年11月25日p59
不要説の原文=受働債権は必ずしも弁済期にあることを要しない
受働債権は必ずしも弁済期にあることを要しないものと解せられるであろう。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p396
5 民法508条「その消滅以前」=時効期間の経過前・援用の時ではない
民法508条の「その消滅以前」が、消滅時効期間が経過する前を指すのか、時効が援用される前を指すのかは、同条を使えるかどうかを分けます。時効期間の経過後に相殺適状になった場合、前者であれば同条は適用されず、後者であれば適用されるからです。
当事者の相殺に対する期待を保護するという民法508条の趣旨に照らし、消滅時効が援用された自働債権は、消滅時効期間が経過する以前に受働債権と相殺適状にあったことを要します。注釈民法も、両債権がかつて相殺適状になかったときは相殺を認めないとしており、要件事実マニュアルは、民法508条の相殺適状の成否を時効完成時を基準として判断するとしています。
民法508条の適用→時効期間の経過前の相殺適状が必要
そして、当事者の相殺に対する期待を保護するという民法508条の趣旨に照らせば、同条が適用されるためには、消滅時効が援用された自働債権はその消滅時効期間が経過する以前に受働債権と相殺適状にあったことを要すると解される。
※最高裁判所 2013-02-28 最高裁判所民事判例集67巻2号343頁/裁判所時報1574号52頁/判例タイムズ1388号101頁/金融・商事判例1418号28頁/判例時報2182号55頁/金融法務事情1972号89頁/LLI/DB 判例秘書登載
相殺適状が一度もなかったとき→相殺を認めない
(ア)相殺適状にある両債権は差引決済されたものと考える当事者間の信頼を保護する制度であるから、両債権がかつて相殺適状になかつたときは相殺を認めない。
たとえば、消滅時効完成後に発生した債権を受働債権として相殺することはできない。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p425
民法508条の相殺適状の成否→時効完成時が基準
時効消滅前の相殺適状(民508)の成否も、時効完成時を基準とする
※岡口基一著『要件事実マニュアル1 第5版』ぎょうせい2016年p288
(1)時効の効果の発生時期→判例は停止条件説(最判昭和61年3月17日)
この結論の前提になるのが、消滅時効の効果はいつ生じるのかという問題です。学説には、時効期間の経過により確定的に債権が消滅するとみる確定効果説と、援用があったときにはじめて効果が確定的に発生するとみる停止条件説があり、最高裁判所判例解説は、停止条件説が現在の通説であるとしています。改正債権法コンメンタールも、判例が停止条件説を採用しているとしています。
停止条件説=援用を停止条件として時効の効果が確定的に発生
時効完成によっては、権利の得喪という効果はいまだ確定的に生ぜず、援用があったとき、これを停止条件として、効果は確定的に発生し、逆に時効利益の放棄により時効の効果は生じないことに確定すると解する説である。
※柴田保幸稿/『最高裁判所判例解説 民事篇 昭和61年度』法曹会1989年p168
時効の効果の発生時期→判例は停止条件説
時効の効果の発生時期について、判例(最判昭61・3・17民集40巻2号420頁)は、債務者の時効の援用を停止条件として時効の効果が確定的に生ずるとする停止条件説を採用している。
※松岡久和・松本恒雄・鹿野菜穂子・中井康之編『改正債権法コンメンタール』法律文化社2020年 10月p516
(2)時効援用時説→民法508条の立法趣旨を逸脱・相殺を主張する者に過度の保護
停止条件説を前提にすると、債権が確定的に消滅するのは援用の時なので、民法508条の「消滅」も援用を意味すると解する余地がありました。最高裁判所判例解説は、昭和61年3月17日の判決の射程がこの場面にも及ぶと考えればそう解することもできたとしています。
そのうえで同解説は、時効援用時説をとると、債務者が援用しない限り相当古い債権でも自働債権として相殺できることになり、民法508条の立法趣旨を逸脱して相殺を主張する者に過度の保護を与える結果となって相当でないと述べています。
昭和61年判決の射程→時効援用時説もあり得た
もっとも、不確定効果説のうち停止条件説を採用したと理解されている前掲最二小判昭和61年3月17日の射程が本件のような場合にも及ぶと考えて、援用によって確定的に債権が消滅するから民法508条にいう「消滅」とは消滅時効の援用を意味すると解すれば、消滅時効を援用する以前に自働債権と受働債権とが相殺適状にあれば同条が適用されるという考えもあり得たところである
※山地修『〔3〕 1 既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというための要件 2 時効によって消滅した債権を自働債権とする相殺をするために消滅時効が援用された自働債権がその消滅時効期間経過以前に受働債権と相殺適状にあったことの要否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成25年度』法曹会平成28年11月25日p63〜64
時効援用時説→民法508条の立法趣旨を逸脱・過度の保護
実質的にみても、時効援用時説を採ると、自働債権の債務者が消滅時効を援用しない限りは相当古い債権であっても自働債権として相殺できることになり、民法508条の立法趣旨を逸脱して、相殺を主張する者に過度の保護を与える結果となり、相当でないように思われる。
※山地修『〔3〕 1 既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというための要件 2 時効によって消滅した債権を自働債権とする相殺をするために消滅時効が援用された自働債権がその消滅時効期間経過以前に受働債権と相殺適状にあったことの要否』/『最高裁判所判例解説 民事篇 平成25年度』法曹会平成28年11月25日p66
6 民法508条の適用範囲→譲受債権に及ばず除斥期間には類推
民法508条が及ぶ範囲は、相殺適状がかつて存在したかどうかという要件から導かれる部分と、条文の文言を離れて類推が問題になる部分に分かれます。以下では、場面ごとに見ていきます。
(1)時効完成後に譲り受けた債権→自働債権とする相殺を否定
すでに消滅時効が完成した他人の債権を譲り受けて、これを自働債権として相殺することは、民法506条・508条の法意に照らして許されません。注釈民法は、その理由を、譲り受けた側と相手方との間には相殺適状が一度も存在しなかったことに求めています。
最判昭和36年4月14日|時効にかかった譲受債権による相殺→否定
既に消滅時効にかかつた他人の債権を譲り受け、これを自働債権として相殺することは、民法五〇六条、五〇八条の法意に照らし許されないものと解するのが相当である。
※最高裁判所 1961-04-14 最高裁判所民事判例集15巻4号765頁/判例タイムズ119号22頁/判例時報260号15頁
時効完成後に譲り受けた債権→自働債権とする相殺を否定
消滅時効の完成した他人の債権を譲り受けても、これを自働債権として相殺することは許されない。
たとえば、甲が乙に対する丙の債権を譲り受け、乙の甲に対する債権と相殺を試みた場合、譲り受け以前(正確には債権譲渡の対抗要件を具備する以前)に丙の債権の消滅時効が完成していたときは、その相殺は無効である。
けだし、甲乙間には相殺適状が一度も存在しなかつたからである。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p425
(2)連帯保証の主債務が時効消滅→判例は相殺を肯定・学説は反対が多い
連帯保証人に対する債権と連帯保証人が持つ債権とが相殺適状になった後、主債務について消滅時効が完成し、付従性によって連帯保証人に対する債権も消滅した場合に、債権者が連帯保証人に対して相殺できるかは、判例と学説で評価が分かれています。
注釈民法によれば、大審院昭和8年1月31日の判決はこれを肯定しましたが、学説には判例に反対するものが多く、連帯保証人に対する債権の消滅は付従性の結果であって時効の直接の効果ではないことなどがその理由として挙げられています。
連帯保証の主債務が時効消滅→判例は肯定・学説は反対が多い
判例(大判昭8・1・31民集12・83)はこれを肯定し、その結果、連帯保証人が主債務者に対し求償権を有することになつても当然であるという。
判例を支持し、連帯債務も同様に解すべきであるとする見解もあるが(堂下芳一「民法第508条と連帯保証債務」新聞3668・3)、学説には判例に反対するものが多い(判批、松本正一・法と経済1巻2号435、東季彦・判民昭和8年度9事件評釈、柚木・下318、我妻325)。
反対の理由としては、①連帯保証人に対する債権の消滅は保証債務の附従性の結果であつて、時効の直接の効果でないこと、②債権者が連帯保証人に対する債務を負担したとき、これと主債務者に対する債権とが清算されたと考えたとしても、この信頼を保護することは、おそらく連帯保証人の予期に反し不公平であること、③主債務者の時効の利益を連帯保証人の有する求償権によつて実質的に奪い去る結果となり不当であること、等があげられている。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p425
(3)除斥期間が経過した債権→判例は民法508条の類推適用
除斥期間は、権利の行使を限定する期間という点では消滅時効と同じですが、当事者の援用を必要とせず、中断が認められず、遡及効がない点で異なります。民法508条は消滅時効についての規定なので、除斥期間が経過した債権を自働債権とする相殺に同条が及ぶかが問題になります。
注釈民法は、除斥期間には民法508条の適用がないとした大審院の判例を挙げ、学説も分かれているとしていました。我妻・有泉コンメンタールは、その後の判例が類推適用を認めているとしています。
除斥期間=援用も中断も遡及効もない点で消滅時効と異なる
(1)除斥期間の経過により消滅した債権を自働債権として相殺をなしうるか。
(ア)除斥期間は、消滅時効と権利の行使を限定する期間という点は等しいが、当事者の援用を必要とせず、中断が認められず、遡及効がない点において異なる。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p426
除斥期間が経過した債権→判例は民法508条の類推適用
判例は、除斥期間が経過した債権
(たとえば、改正前§637が定める請負契約の目的物に関する注文者の瑕疵修補に代わる損害賠償請求権)
についても、本条の類推適用がなされるとする
※我妻栄ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p1064
(4)受働債権が時効消滅→時効の利益を放棄して相殺するのは自由
民法508条が扱うのは、時効で消滅した債権を自働債権とする場合です。これに対して、受働債権の消滅時効がすでに完成しているときに、時効の利益を放棄して相殺することは自由です。我妻・有泉コンメンタールは、これを消滅時効の利益の放棄にあたるとしています。
受働債権が時効消滅→時効の利益を放棄して相殺するのは自由
受働債権の消滅時効がすでに完成しているとき、時効の利益を放棄して相殺することは、もとより自由である。
※磯村哲編『注釈民法(12)』有斐閣2013年 2月p425
7 債権法改正→民法508条は改正の対象から外れ改正前の規律が維持
平成29年の債権法改正の審議では、民法508条の見直しも議論されました。停止条件説を条文に織り込む方向で、中間試案は、債務者が時効を援用するまでの間は相殺できるものとする、という提案をしていました。
しかし改正債権法コンメンタールによれば、中間試案の公表直後に平成25年2月28日の判決が出たことの影響が大きく、パブリック・コメントでも反対意見が多かったため、同条は改正の対象から外され、改正前民法の規律が維持されることになりました。相殺の要件を定める民法505条についても、1項は改正されず、2項のみが改正されています。
中間試案の提案=債務者が時効を援用するまでの間は相殺可
債権者は、時効期間が満了した債権について、債務者が時効を援用するまでの間は、当該債権を自働債権として相殺をすることができるものとする。
ただし、時効期間が満了した債権を他人から取得した場合には、この限りでないものとする。
※松岡久和・松本恒雄・鹿野菜穂子・中井康之編『改正債権法コンメンタール』法律文化社2020年 10月p516
民法508条→改正の対象から外れ改正前民法の規律が維持
この最判平25・2・28の影響が大きく、中間試案のパブリック・コメントにおいても508条改正案に対する反対意見が多かったため、民法508条は改正の対象から外され、改正前民法の規律が維持されることになった
※松岡久和・松本恒雄・鹿野菜穂子・中井康之編『改正債権法コンメンタール』法律文化社2020年 10月p516
民法505条→1項は改正なし・2項のみ改正
本条1項については改正がなされず、2項のみ改正された。
※松岡久和・松本恒雄・鹿野菜穂子・中井康之編『改正債権法コンメンタール』法律文化社2020年 10月p518
8 おわりに
民法508条による相殺ができるかどうかは、自働債権の時効期間が経過する前に相殺適状が生じていたかどうかで決まります。相殺適状には受働債権の弁済期の現実の到来が必要なので、受働債権に期限の定めがある事案では、期限の利益を放棄または喪失した時期と、自働債権の時効期間が経過した時期の前後が決め手になります。
相殺の制度全体と、相殺が禁止される場合については、それぞれ別の記事で説明しています。
不法行為の損害賠償債権の相殺禁止(平成29年改正後民法509条)(解釈整理ノート)
本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。
本記事の引用は、書籍・判例などの原文から範囲を選んで載せたものです。改行の位置は読みやすさのために当方で整えており、原文の改行と同じとは限りません。また、記号や外字の扱いにより、文字の一部が原文と異なって表示されることがあります。
本記事の表示では、読点を「、」に統一しています(引用の原文が全角の「,」や半角の「,」である場合を含みます。ただし「1,000」のような桁区切りはそのまま表示しています)。


