1 相続人への払戻と金融機関のコスト・リスク
2 相続人への払戻が無効となる具体例
3 無効な払戻の結果=2重払いリスク
4 債権の準占有者への弁済による金融機関の救済
5 債権の準占有者の弁済の適用のハードル
6 弁済供託による金融機関の救済
7 無効な払戻と真の権利者の対抗策
8 無効な払戻と不当利得返還請求権

1 相続人への払戻と金融機関のコスト・リスク

相続人は原則として,相続財産に含まれる預貯金の払戻を単独で請求できます。しかし,実務では金融機関が払戻に応じない傾向があります。
詳しくはこちら|相続人の預貯金払戻請求と金融機関の対応(全体)
その要因は,金融機関は払い戻すことについて法的なリスクを負うことにあります。本記事では,金融機関の負うリスクやコストについて説明します。
まずは金融機関の負うリスクやコストの全体をまとめます。

<相続人への払戻と金融機関のコスト・リスク>

あ 2重払いリスク

相続に関する状況(後記※1)によって
→払戻が無効と判断されるリスク(後記※2)がある

い 事務的コスト

一部のみの払戻を要することがある
正確に,誤りなく相続分などの把握,計算をする必要がある
→事務処理上の煩雑さが生じる

う 『紛争』に近寄らずの精神

やや広い意味において
払戻により相続紛争に巻き込まれるリスク
※半田吉信ほか『ハイブリッド民法5家族法 第2版』法律文化社p253
※床谷文雄ほか『現代相続法』有斐閣p95

この中でも『あ』の『具体的相続分』というところについて,さらに説明を加えます。
金融機関が,相続人に対し,相続割合分の預貯金を払い戻した場合,事後的に,払戻が無効となるリスクがあるのです。

2 相続人への払戻が無効となる具体例

相続人への払戻が無効となる状況の典型的な具体例をまとめます。

<相続人への払戻が無効となる具体例(※1)>

あ 遺産分割

具体的相続分に影響する事情の把握が困難である
例;相続人の範囲や寄与分・特別受益など
→遺産分割の結果(計算結果)の判断を誤る可能性がある

い 遺言の発見

払戻を実行した後に遺言が発見される
払戻を受けた者が預貯金を『承継していなかった』場合
→払戻は無効となる

う 遺言の無効判断

遺言に基づいて払戻を実行する
その後,訴訟で遺言が無効と判断された場合
→払戻は無効となる

え 被相続人への帰属の否定

相続人への払戻を実行する
預金がもともと被相続人に帰属していなかった場合
→払戻は無効となる

3 無効な払戻の結果=2重払いリスク

金融機関の払戻が無効となった場合,大きな負担が生じます。結果的に,2重に払うという過酷なことになります。これを2重払いのリスクと呼びます。

<無効な払戻の結果=2重払いリスク(※2)>

金融機関は『払戻をしていない状態』となる
→『真の債権者』に改めて支払う義務がある
2重払い・超過支払のリスクと呼ぶ

4 債権の準占有者への弁済による金融機関の救済

金融機関は払い戻すことによって2重払いのリスクを負います(前記)。これに対して,法律上の救済策があります。まずは本来無効な弁済を有効なものとして扱う規定についてまとめます。『債権の準占有者への弁済』と呼ばれるものです。

<債権の準占有者への弁済による金融機関の救済>

あ 前提事情

外見上,正当な権利者であると信じられる者Aへ弁済した
Aは真の権利者ではなかった

い 債権の準占有者への弁済の準用(※3)

Aが無権利者であることについて
弁済者が善意・無過失であった場合
→弁済は有効となる
※民法478条;債権の準占有者への弁済

5 債権の準占有者の弁済の適用のハードル

誤った払戻は,債権の準占有者への弁済の規定による救済が受けられることがあります(前記)。しかし,金融機関が善意・無過失であったと判断されるとは限りません。救済を受けるためにはハードルがあるのです。逆に,払戻の時点で工夫することにより,ハードルを下げることが望ましいです。これらの内容をまとめます。

<債権の準占有者の弁済の適用のハードル>

あ 現実的なハードル

債権の準占有者への弁済(前記※3)に関して
『善意無過失』と認定されないリスクが残る
※吉岡伸一『預貯金・貸金庫の管理をめぐる諸問題/新家族法実務大系3』新日本法規出版p162

い 過失の認定の例

払戻の後に遺言の存在が発覚した
→払戻の時点で遺言の存在に気付く可能性があった
→過失ありと判断される

う ハードルの回避策

払戻の際に次のような状況がある場合
→債権の準占有者への弁済の適用が確実となる
ア 払戻請求を認める判決が確定している
イ 法定相続人全員が承諾している
全員の印鑑証明書+実印があればより確実である

6 弁済供託による金融機関の救済

上記の方法以外で金融機関の払戻のリスクを回避する方法があります。供託するという方法です。これは,金融機関が過失なく,権利者を特定できないという前提条件があります。この判断によっては供託は無効となってしまいます。供託も万全なリスク回避策ではないのです。

<弁済供託による金融機関の救済>

あ 債権者不確知による弁済供託(前提)

次の『ア・イ』に該当する場合
→弁済供託ができる
=債務不履行責任が生じなくなる
ア 債務者が真の権利者を特定できない
イ 『ア』について債務者に過失がない
※民法494条;債権者不確知による弁済

い 相続人からの払戻請求への準用

相続人からの預貯金払戻請求について
『あ』に準じて弁済供託を認めることができる
※清水節『遺産分割の対象財産性(可分債権)/講座・実務家事審判法3』日本評論社p112

う 現実的なハードル

『あ』に準じた状況とは判断されないリスクがある
=弁済供託が無効となるリスク

7 無効な払戻と真の権利者の対抗策

無効な払戻がなされてしまった時の,金融機関の法的責任を説明してきました。ここで視点を変えて,本来の権利者の立場で考えます。
本来の権利者の取る方法は,ストレートに考えると,金融機関に払戻請求をすることになります。一方で,金融機関にはアプローチせず,無権利なのに払戻を受けた者に請求する方法もあります。
これらの対応策をまとめます。

<無効な払戻と真の権利者の対抗策>

あ 前提事情

真の権利者以外に預貯金の払戻がなされた
真の権利者は次の『い・う』の方法を取ることができる

い 金融機関に対する払戻請求

債権の準占有者への弁済(前記※3)に該当しない限り
→金融機関は真の権利者に支払う義務がある
=2重払い

う 払戻を受けた者への請求

払戻を受けた者Aは『真の権利者』ではない
→真の権利者からAに対して
『払戻した金銭』の引渡を請求できる(後記※4)

8 無効な払戻と不当利得返還請求権

真の権利者から,払戻を受けた無権利者への請求は判例で認められています。これを否定する考えもありましたが,排斥されました。この理論の内容をまとめます。

<無効な払戻と不当利得返還請求権(※4)>

あ 否定する主張

真の権利者は金融機関に払戻を請求できる(前記※2)
→『損失』がない
→不当利得返還請求権は認められない(という主張)

い 裁判所の判断

『あ』の主張は信義則違反である
→不当利得返還請求権が認められる
※民法703条
※最高裁平成16年10月26日

結論として,真の権利者は,金融機関への払戻請求と払戻の受領者への請求のいずれも可能ということです。