【相続前の使途不明金:不法行為・不当利得の要件事実と立証責任(解釈整理ノート)】
1 相続前の使途不明金:不法行為・不当利得の要件事実と立証責任(解釈整理ノート)
相続において、被相続人名義の預金が相続開始前後に払い戻されていることがあり、これは「使途不明金問題」と呼ばれています。その解決手段は、相続人間の合意に至らない場合、最終的には、遺産分割とは別の訴訟で判断されることになります。
詳しくはこちら|相続における使途不明金問題の解決手続(遺産分割か訴訟の選択・平成30年改正対応)
本記事では、相続開始「前」の使途不明金について、主張立証責任がどのように分配されるのか(要件事実はどのように位置づけられるのか)ということについて整理しました。
2 不法行為構成における請求原因(原告の主張立証)
(1)不法行為の請求原因(要件事実)(前提)
不法行為の請求原因(要件事実)(前提)
(ア)原告の権利又は法律上保護される利益の侵害(イ)被告の加害行為及びこれについての故意又は過失(ウ)損害の発生及びその金額(エ)(イ)と(ウ)との相当因果関係
(2)不法行為構成における現実的な原告の主張立証事項
不法行為構成における現実的な原告の主張立証事項
(ア)被相続人の預貯金債権が存在したこと及びそれが引き出されたこと(イ)被相続人の預貯金債権を引き出したのが被告であること及び被相続人の預貯金の侵害について被告に故意又は過失があること
3 不法行為構成における払戻権限の要件事実上の位置づけ
(1)払戻権限の位置づけ・請求原因説
払戻権限の位置づけ・請求原因説
あ 見解の内容
「被告が引出権限を有していなかったこと」が請求原因であるとする見解
い 理由
不法行為における違法性(権利侵害)の要件は請求原因になるところ、被相続人の預貯金債権の引出によって被相続人の権利が侵害されるのは、引出者である被告に預貯金引出の権限がないからであり、違法性(権利侵害)を基礎付ける事実として必要である
預貯金債権の帰属者からの委託など、預貯金債権の帰属者以外の者が正当な権限により預貯金を引き出す事例が多々ある
不当利得に基づく請求と併合される場合が多いところ、法律上の原因の不存在(引出権限の不存在)が請求原因になることと平仄が合う
(2)払戻権限の位置づけ・抗弁説
払戻権限の位置づけ・抗弁説
あ 見解の内容
「被告が引出権限を有していたこと」が抗弁になるという見解
い 理由
預貯金債権の帰属者以外の行為により預貯金債権が消滅したという事実があれば、特段の事情のない限り違法性を肯定できるから、権限があったことが例外的な違法性阻却事由として抗弁になる
原告の所有物を被告が権原なく占有していることを理由とする不法行為に基づく損害賠償請求の場合、被告の占有権原の存在が抗弁であると解されていることと整合する
う 昭和32年最判→抗弁説方向
他人の土地を占有するものは、その占有を正当付ける権原のあることを主張立証しない限り故意過失の推定を受け不法占有の責めを免れないと判示し、占有者側に占有権原の主張立証責任を負わせる前提に立っている
※最一小判昭和32年6月27日(集民26号1145頁)
(3)事務管理の成立→抗弁
事務管理の成立→抗弁
(4)実務→両当事者の主張を踏まえて判断
実務→両当事者の主張を踏まえて判断
あ 見解の分布
裁判例では引出権限の要件事実上の位置付けを明示するものは存在せず、請求原因説又は抗弁説のいずれかが圧倒的多数を占めているわけではない
預貯金債権の帰属者以外の者によって預貯金が引き出されたという事実のみで原則として違法性を肯定し得るという見方をすれば抗弁説となり、預貯金債権の帰属者以外の者が正当な権限に基づいて預貯金を引き出す事例が社会的実態としてまま見受けられることを重視すると請求原因説と親和する
い 実務の傾向
実際の訴訟においては、引出権限の存否が真偽不明になるという事態はそれほど多くはなく、引出権限の内容や発生原因事実について引出者側にその説明を求めた上で、請求者側の反証も踏まえて判断するという形になることが多い(実務上は挙証責任論より事実確定の重要性が強調される)
家族間の金銭管理という特性上、証拠の欠如だけで一律に請求を棄却することもない
例=日常的費用の領収書がなくても不自然ではないが、不動産購入など大きな支出には領収書の提出が期待される
4 不法行為構成における「損害」の位置づけ
(1)預貯金債権の消滅自体を損害と捉える見解
預貯金債権の消滅自体を損害と捉える見解
あ 見解の内容
預貯金債権の消滅それ自体を損害と捉えて、被告の引出により被相続人の預貯金債権が消滅した時点で損害の発生を肯定する見解
い 理由
預貯金の引出により直ちに損害が発生するという点で被害者保護に資する
払戻金の使途が証拠上明らかにならなかった場合でも損害の発生を認められる
う 平成23年最判
簡易生命保険契約の保険金受取人が、受取人の委任状を偽造するなどして権限なく保険金を受領した者に対し損害賠償請求した事案
保険金の使途等は問題とせず、保険金請求権の消滅自体が損害として捉えた
※最二小判平成23年2月18日(集民236号147頁)
(2)財産状態の実質的不利益を損害と捉える見解
財産状態の実質的不利益を損害と捉える見解
あ 見解の内容
預貯金債権の消滅だけではなく、払戻金の着服、私的流用、被相続人の意思に反する使途への使用などにより被相続人の財産状態に実質的不利益が生じたことが損害発生の要件であるとする見解
い 理由
引出権限が不存在であっても、払戻金が正当な使途に使用されるなどしていて被相続人の財産状態に実質的不利益が生じていない場合にまで損害の発生を肯定するのは法感情に反する
払戻金が被相続人の利益に使われた場合や凍結を避けるための引出については損害の発生が認められなくなり、被告が過酷な状況に置かれることが避けられる
現実の訴訟では払戻金の使途が争点となる例が多く、使途の争いをそのまま不法行為の成否の判断に取り込むことができる
(3)実務→統一的見解なし
実務→統一的見解なし
あ 見解の分布
伝統的学説においては、正当な受領権限を有しない者が債務者から弁済を受け、これによって債権が消滅した場合、その債権の消滅自体により債権者に損害が発生し、不法行為が成立するとされている
しかし、検討会等においては、預貯金債権の消滅=損害という捉え方について批判的な意見が少なくなく、実質的不利益説にも相当数の支持がある
預貯金債権の消滅=損害という捉え方が当事者の意識と乖離していることや、払戻金がその直後に被相続人名義の他の預貯金口座に預け入れられている場合(預け替えの場合)でも、引出行為の時点で損害は生じていることとなるが、このような預け替えの事実が明らかになれば賠償請求は撤回されるのが通例である点が指摘されている
い 実務の傾向
実務では、単なる無断引出が直ちに損害を構成するとは考えない傾向がある
自己の利益のために隠匿・費消した場合に限り損害が認められるとする考え方が優勢である。
例=被相続人の急病時にキャッシュカードで入院費を引き出す行為や、被相続人の口座間での預け替えは、無断でも社会通念上「損害」とは評価されにくい
5 不当利得構成における請求原因(原告の主張立証)
(1)不当利得の請求原因(要件事実)(前提)
不当利得の請求原因(要件事実)(前提)
あ 要件事実
不当利得返還請求権の要件事実は以下のとおりである
(ア)請求者が損失を被ったこと(イ)被請求者に利得があること(ウ)(ア)と(イ)との因果関係(エ)被請求者の利得に法律上の原因がないこと
い 類型論の存在
不当利得に関しては、給付利得、侵害利得等の類型に応じて独自の要件及び効果があるとする類型論が学説上唱えられている(要件事実の位置付けについて異論もある)
う 判例・実務の立場
判例及び実務は類型論を採用せず、不当利得の返還を請求する者において法律上の原因の不存在を主張立証すべきであると解している
※最二小判昭和59年12月21日(集民143号503頁)
(2)不当利得構成における現実的な原告の主張立証事項
不当利得構成における現実的な原告の主張立証事項
(ア)被相続人の損失(=預貯金債権の消滅)(イ)被告の利得(=被告による払戻金の取得)(ウ)(ア)と(イ)の間に因果関係があること(エ)被告に預貯金の引出権限が存在しないこと
6 不当利得構成における被相続人の損失・被告の利得の内容
(1)問題の所在→見解による結論の違い(問題の所在)
問題の所在→見解による結論の違い(問題の所在)
例=払戻金を被相続人のために使用し、あるいは被相続人に交付したから、被相続人に損失はなく、被告の利得もないという主張
「損失」や「利得」の判断の基準時が引出時であれば被告の主張は成り立たない
「損失」や「利得」を「実質的な不利益の有無」で判断するのであれば被告の主張は成り立つ
(2)不当利得構成における引出時説(債権消滅=損失)
不当利得構成における引出時説(債権消滅=損失)
あ 見解の内容
預貯金債権の消滅が被相続人の損失であり、預貯金の払戻金を受領したことが被告の利得であると捉える見解
い 使途不明金訴訟における要件事実
この見解によれば、払戻金を被相続人のために使用したという主張は、次のように扱われる
(ア)被相続人の被告に対する授権等の法律上の原因の存在(イ)事務管理による違法性阻却(ウ)被告の利得がその後に消滅したという抗弁
う 平成3年最判
約束手形の取立依頼を受けた銀行が、実際には当該手形が不渡りとなったにもかかわらず、誤って取立依頼者の預金口座に手形金相当額を入金し、払い戻した後、過誤に気付いて払戻金の返還を求めた事案において、払戻金の受領それ自体を利得と捉えた上で、その後に払戻金を第三者に交付するなどしたことについては利益の消滅の問題として扱っている
※最三小判平成3年11月19日(民集45巻8号1209頁)
え 伝統的学説
金銭の交付による不当利得の事例においては、金銭(払戻金)の受領自体が利得と捉えられている
(3)不当利得構成における実質的不利益説
不当利得構成における実質的不利益説
あ 見解の内容
払戻金の受領のみならず、その着服や私的流用など、被相続人の財産状態に実質的不利益が発生したことにより初めて被相続人の損失及び被告の利得が成立するという見解
い 使途不明金訴訟における要件事実
この見解によれば、払戻金を被相続人のために使用したという主張は、請求原因の否認として扱われる
(4)実務→統一的見解なし
実務→統一的見解なし
あ 見解の分布
仮に、払戻金の受領自体を利得と捉えるのであれば、それと対比される被相続人の損失というのは、預貯金債権の消滅それ自体と捉えるのが素直である
しかし、実務(検討会等)においては、預貯金債権の消滅=損失、払戻金の受領=利得と捉えることについては消極的な意見がかなりあった
い 実務の傾向
実務では、引出時ではなく個人的取得・費消の段階で利得が発生すると考える傾向がある
使途の合理性や状況に応じて柔軟に判断される
例=医療費や付添人費用は領収書の提示が期待されるが、古い入院では領収書がなくても不自然とされない
例=同居親族による日用品購入も、合理的関係性があれば領収書不要と判断されることが多い
7 参考情報
参考情報
森公任ほか著『弁護士のための遺産相続実務のポイント』日本加除出版2019年p315、316
本記事では、相続前の使途不明金:不法行為・不当利得の要件事実と立証責任について説明しました。
実際には、個別的事情により法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。
実際に相続における使途不明金に関する問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。

2021年10月発売 / 収録時間:各巻60分
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