和解の心証開示の規律→求めに応じる義務はなく、甚だしければ違法
1 和解の心証開示の規律→求めに応じる義務はなく、甚だしければ違法
訴訟の途中で、裁判官から和解を勧められることがあります。そのとき、裁判所が事件をどのように見ているのか(心証)が示される場面もあります。
もっとも、心証を示すかどうか、どこまで説明するかについて、民事訴訟法は何も書いていません。本記事では、裁判官が和解を勧めるにあたって心証を開示すべき義務があるのか、当事者が開示を求めたときに応じなければならないのか、応じなかったときに何が起きるのかを説明します。
労働審判の調停の場で心証が開示される場面については、別の記事で説明しています。
労働審判の調停はどこまで解決できるのか|心証開示と調停の射程
和解の席で実際に示される心証をどこまで信用できるかは、別の記事で説明しています。
和解の心証開示の実情→バイアスは留保つきで否定、課題は伝わり方
2 学説は手続的規制論と手続的配慮義務論に分かれ、求めに応じる義務は否定
和解での心証開示をめぐる規律と、決まっていないこと
あ 規律の構成(手続的規制か手続的配慮義務か)
| 立場 | その立場の内容 |
|---|---|
| 草野芳郎氏 | 「手続的規制」ではなく、当事者の納得する和解手続を勧めるための手続的配慮義務と表現するのがよい。配慮義務違反が重大である場合は違法と評価されることもありうる |
| 山本和彦氏 | 訴訟上の和解の最大の課題は手続的規制の充実にある。和解において何がなされてはならないかという「和解手続論」の構築が、公法としての民事訴訟法に不可欠 |
| 垣内秀介氏 | 山本氏の提言を画期的と評価しつつ、強制の契機の存在を重視すべきであり、正当性を欠く和解勧試に基づいて成立した和解の効力も検討すべき |
い 開示を求められたときの義務(応じなければならないか)
当事者が心証開示を求めても、これに応じる手続的配慮義務はない(草野氏)。理由は2つ=応じないのは消極的態度を取っただけで積極的に誤った開示をしたわけではない/心証は口頭弁論終結時まで暫定的で、訴訟の進行により変動する。違法にならないのは当然で、そもそも不当の問題にもならない
う 開示すべき対象(何を開示するのか)
なぜその和解案を示すのかの理由を説明すべきである(草野氏)。開示すべき対象は和解手続のモデルで変わる=心証中心型では心証を開示すべきことになり、交渉中心型では双方の交渉を媒介した結果により和解案に反映した事情を開示すべきことになる
え 配慮を欠いたときの効果(不当か違法か)
原則は不当の問題にとどまり、違法の問題にはならない。程度が甚だしい場合は違法となる=裁判官が故意に誤った説明をした場合(双方の当事者へ個別に「共に敗訴する」との誤った心証開示を故意にした例)。違法と評価されれば和解の無効原因となるが、相手方が有効と信じて成立した場合や履行済みの場合など検討すべき課題が残る(草野氏)
お 和解勧試の範囲(勧試は何をすることか)
| 立場 | その立場の内容 |
|---|---|
| 伊藤氏 | 勧試の意味は、合意による解決を促すことと、合意の成立に役立つのであれば必要な範囲で心証を開示することの2点に限る。和解内容の形成そのものを裁判所が行う現在の実務は、本来の範囲を超えているのではないか |
| 加藤氏 | 民事訴訟法265条1項が当事者の共同の申立てを前提に裁判所へ和解条項を定めさせている以上、和解条件の形成についても裁判官に職責があると読めるのではないか |
か 交互面接と対席(心証開示をどう評価するか)
心証の開示がないまま交互面接方式(当事者を個別に呼ぶ方式)で異なる心証を開示するのは好ましくないといわれる。もっとも、各当事者へ開陳する心証が同一なら交互と対席で本質的に変わるのかという反問があり(伊藤氏)、心証開示だけでは和解は成立せず、交互でなければ和解勧試そのものが成り立たない場合があるという実情からの反論もある(大江氏・加藤氏)
交互面接と対席のどちらを原則とすべきかは、ここで見た文献からは決まらない=評価が分かれる
3 民事訴訟法89条1項→和解を試みる権限だけで、説明の中身は定めなし
和解について民事訴訟法が置いている定めは、裁判所が訴訟のどの段階でも和解を試みることができる、というものです。試みてよいという権限だけが書かれており、どのように試みるか、何をどこまで説明するかは、条文からは出てきません。心証を開示すべきかという問いは、この条文の外側で論じられてきました。
民事訴訟法89条1項の条文
裁判所は、訴訟がいかなる程度にあるかを問わず、和解を試み、又は受命裁判官若しくは受託裁判官に和解を試みさせることができる。
※民事訴訟法89条1項
4 和解勧試の手続的規制の要否→必要論と、配慮義務論からの疑問
心証を開示すべきかという問題は、和解の勧め方そのものに規律が要るかという、より大きな問いの一部として論じられてきました。ここでは、手続的な規制が必要だとする提言と、それに対して和解の実務を担う側から出された疑問を見ていきます。
(1)山本和彦氏→和解手続論=「何がなされてはならないか」の構築
手続的な規制が必要だという提言は、山本和彦氏によるものです。和解は裁判制度という国家の仕組みの内側で行われる行為なのだから、その権力的な側面に常に配慮しなければならない、というのが出発点です。
山本氏の提言→手続的規制の充実が最大の課題
訴訟上の和解の現下の最大の課題はその手続的規制の充実にある。
訴訟上の和解の有用性は、実務・学界両者において原則的に承認され、和解を成立させるためには何をすればよいかという「和解技術論」の研究は進んでいる。
しかし、和解であってもそれが裁判制度という国家の権力装置の内部で行われる行為である以上、その権力的側面には常に配慮する必要がある。
その観点からは、和解において(いかにそれが和解成立に寄与するものであっても)何がなされてはならないかという「和解手続論」の構築が公法としての民事訴訟法にとって不可欠の課題と考えられる。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p500
山本氏は、規制は要らないとする3つの考え方をいずれも退けたうえで、規制の位置づけを、当事者の意思表示の真正を担保することに求めます。
手続的規制が必要な理由→位置づけ=意思表示の真正の担保
第一は、「合意による瑕疵の飲込論」とも称すべき考え方がある。
この考え方は、その手続過程がいかに不当なものであれ、最終的には両方の当事者がその結果に納得して合意されているから瑕疵は治癒されるとする議論である。
この飲込論は究極的には、当事者に対して手続的瑕疵をすべて飲み込むか、一部の手続でも気に入らない点があれば、和解自体を全体的に拒否してしまうかの二者択一を迫るもので硬直的であるとする。
一定の手続保障を規定して、手続に対する部分的な拒否権を当事者に付与しながら和解自体の話合いは進めていくのがより柔軟な手法である、と主張する。
第二は、和解の手続的規制がなくとも、事後的に錯誤無効などにより和解の効力を争う機会は与えられるので問題はないという考え方がありうる。
しかしながら、事後的に錯誤を証明することが困難であること、事後的に和解を覆すことは法的安定性を損なうから、可能な限り新たな法的状態が発生する前に、行為規範による対処を図るのがより望ましい規制方法であること、事後的に和解の効力を否定する方法では錯誤の非重大性や錯誤当事者の重過失の考慮により認められる場合が限定される可能性があること、から事後的な矯正手段の存在を根拠として手続的規制を否定するのは相当ではない。
第三に、実体上の和解契約については手続保障が不要なこととの均衡で訴訟上の和解についてのみ手続保障を要求することは正当化できないとする議論もありうる。
しかしながら、訴訟上の和解は、判決という強制権力を行使しうる裁判所が仲介してなされるものであり、制度必然的に当事者に対する間接的強制の契機が存在すること、和解調書には執行力という実体的和解契約にはない強い効力が認められていること、和解が失敗した場合の判決の可能性を念頭に置いて考察する必要があること、の特殊性があり、実体的和解との均衡論のみで、訴訟上の和解における手続的規制の必要性を否定するのは相当ではない。
規制の位置付けとしては、
「当事者の意思表示の合致という伝統的な和解の正当化根拠を維持しながら、その欠缺の恐れを手続保障により補充する」
という意味で、
「当事者の意思表示の真正を担保する」
という意義が与えられる。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p501〜502
(2)垣内秀介氏→強制の契機の重視・和解の効力の検討
この提言に対しては、垣内秀介氏が、基本的な問題意識を共有しながら、重点の置き方と検討すべき範囲について指摘しています。
垣内氏の指摘→強制の契機の重視・和解の効力の検討
垣内秀介助教授は、基本的には、山本和彦教授の前記提言を画期的なものと評価し、基本的な問題意識を共有するが、右提言にいう手続的規制の必要のうち、特に強制の契機の存在という点を重視すべきであるし、行為規範の面でとらえるだけでなく正当性を欠く和解勧試に基づいて成立した和解の効力をどう考えるべきかということを検討すべきである、と主張している。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p502
(3)草野芳郎氏の疑問→拒否権なしでも交渉で足りる・判決手続でも続く私的自治
和解の実務を担ってきた側からは、草野芳郎氏が疑問を示しています。まず、瑕疵を飲み込むという言い方そのものに違和感があるとします。
草野氏の疑問→瑕疵の「飲込」でなく「清算」
この断絶があるからこそ、過去を清算できるのであるから、瑕疵を飲み込むというよりは瑕疵を清算するという「合意による瑕疵の清算論」という表現の方が相応しいと思うものである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p503
次に、当事者に手続についての部分的な拒否権を与えるという構成についてです。
部分的な拒否権への疑問→拒否権がなくても交渉カードで足りる
その意味で当事者の希望が反映されることは当然であるが、それを手続に対する部分的な拒否権という手続的保障として構成することが柔軟であるかは疑問である。
和解交渉は必然的に提案と拒否の応酬であり、ゲームの理論でいう囚人のジレンマのように、呑むか呑まざるかで悩む局面の連続であり、拒否権がなくても全面拒否、部分拒否という交渉カードを使うことにより、妥当な合意に近づくというダイナミックスを持っているのである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p504
第三に、訴訟上の和解に特殊性があることは認めつつ、判決手続の段階でも私的自治が働いていることを重く見ます。
訴訟上の和解の特殊性→判決手続でも私的自治は続く
しかしながら、判決手続の段階に至っても当事者の意思により紛争解決できるという私的自治の原則が厳然として続いていることを軽視すべきではない。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p504
(4)草野芳郎氏の提唱=「手続的規制」でなく手続的配慮義務
そこで草野氏は、訴訟上の和解の特殊性に配慮する必要は認めながら、それを手続的規制と呼ぶことには疑問を示し、別の言い方を提唱します。
草野氏の提唱→手続的配慮義務・重大な違反は違法と評価されうる
和解勧試をする裁判官に当事者の納得する和解手続を勧めるための手続的配慮義務があると表現することの方がよいように思う。
そして、手続的配慮義務違反が重大である場合は違法と評価されることもありうるというべきである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p505
5 手続的配慮義務の内容=和解案の理由の説明・モデルごとの開示の対象
手続的配慮義務と呼ぶとき、裁判官は具体的に何をすることになるのでしょうか。求められる説明の中身は、和解手続をどういうものと見るかによって変わります。
(1)和解案を示す理由の説明義務→説明の程度は事案ごと
出発点は、当事者の側から手続について要望が出たときの扱いです。
手続についての要望→可能なものは配慮し意思を尊重
和解を勧試するに当たり、当事者の側から手続的規制を要求されたら、可能なものについては配慮し、その意思を尊重しなければならない。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p506
そのうえで、裁判所が和解案を示したり一定の方向へ導いたりする場面では、当事者が違和感や不信感を抱かないための配慮として、理由の説明が求められます。次の引用にある「当事者が裁判官の和解案や示した方向性について理由の説明をする義務がある」は原本のままで、「当事者に」の趣旨と解されます。
和解案を示す理由の説明義務→程度は事案により異なる
このときに、当事者に違和感、不信感を持たれないための手続的配慮として、当事者が裁判官の和解案や示した方向性について理由の説明をする義務があると考えている。
どの程度の説明をするかは事案により異なるが、なぜ、そういう和解案を示すのかを説明すべきである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p508
(2)心証中心型・交渉中心型=開示すべき対象が変わる2つのモデル
草野氏は、和解手続の本質を、判決手続の中で裁判官が媒介する当事者間の交渉と捉え、そこから2つのモデルを立てます。
和解手続の2つのモデル→心証中心型と交渉中心型
和解手続の本質を前記のとおりに考えると、理念的には
判決手続の中で裁判官が主宰する手続を中心に考えるモデル(心証中心型)
と
第三者である裁判官が媒介するところの交渉を中心に考えるモデル(交渉中心型)
が考えられる。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p498
どちらのモデルに寄せて手続を進めるかで、開示すべき対象が変わります。
開示すべき対象→心証中心型は心証・交渉中心型は反映した事情
心証中心型では、心証により和解案が形成されるのであるから、心証を開示すべきことになるが、
交渉中心型では、双方の交渉を媒介した結果により和解案に反映した事情について開示すべきことになる。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p508
6 心証開示を求められたとき→応じる手続的配慮義務はなし
ここまでは、裁判所の側から和解案を示すときに何を説明するかという話です。では、当事者の側から心証の開示を求められたときは、これに応じなければならないのでしょうか。草野氏は、2つの理由を挙げて、応じる手続的配慮義務はないとします。なお、これは一人の論者が示した解釈論で、この点を判断した判例は見当たりません。
心証開示を求められたとき→応じる手続的配慮義務はない
当事者が心証開示を求めている場合に、裁判官がこれに応じて心証を開示すべき手続的配慮義務があるのか。
思うに、裁判官が心証開示に応じないというのは、消極的態度を取っただけで積極的に誤った開示をしたわけではないこと、及び、本来、心証というものは口頭弁論終結時の時点で確定すべきであり、それまでは暫定的なもので今後の訴訟の進行により変動するものであることを考慮すると、違法にならないことは当然として、そもそも不当ということにもならないと考える。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p508
7 配慮を欠いたときの効果→原則は不当にとどまり、甚だしければ違法
配慮をしなかったときに何が起きるのか。まず、和解を勧めるにあたって甚だしく配慮を欠く場合について、次のように述べられています。
甚だしく配慮を欠くとき→不当にとどまらず違法
裁判所の対応が甚だしく配慮を欠くときは、不当にとどまらず、違法の問題を生ずると解するべきである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p506
配慮義務違反の効果は、原則と例外に分けて立てられています。
配慮義務違反の効果→原則は不当・甚だしければ違法
手続的配慮をすることが相当な場合にそれをしないときは、不当の問題となり、違法の問題とは原則的にはならないが、その程度が甚だしい場合は違法の問題となると解すべきである。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p508
(1)甚だしい違反=双方に「共に敗訴」と故意に誤った心証を開示
どういう場合が甚だしいのか。挙げられているのは、裁判官が故意に誤った説明をした場合です。
甚だしい場合→双方に「共に敗訴」と故意に誤った心証開示
どういう場合が甚だしいかであるが、裁判官が故意に誤った説明をした場合が当たると考える。
例えば、裁判官が双方の当事者に個別に共に敗訴するとの誤った心証開示を故意にし、当事者がこれを信じて和解が成立した場合が考えられる。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p508
(2)違法と評価されたとき→和解の無効原因・残る検討課題
違法と評価された場合の効果は、成立した和解そのものに及びます。もっとも、割り切れない場面が残ることも併せて述べられています。
違法と評価されたとき→和解の無効原因・残る課題
裁判官が手続的配慮義務に違反し、違法と評価された場合には、和解の無効原因となると解すべきであるが、他方の当事者が有効であると信じて成立した場合や、履行がなされてしまっている場合など検討すべき課題は多く、単純に割り切ることは困難である。
※草野芳郎稿『和解技術論と和解手続論』/青山善充ほか編『民事訴訟法理論の新たな構築 上巻』有斐閣2001年p509
8 伊藤氏の和解勧試限定説→勧試は合意の促しと心証開示の2点
ここまでは、和解を勧める裁判官が何をすべきかという話でした。これに対して、和解を勧めること(和解勧試)の意味そのものを限定して捉える見解があります。伊藤氏は、勧試に含まれるのは2つだけだとします。
伊藤氏の和解勧試限定説→合意の促しと心証開示の2点
その上で、私が問題にしたいのは勧試の意味なのです。
勧試とは一体何か、
当事者に対して合意による解決を促すことが第1、
合意の成立に役立つのであれば、必要な範囲で心証を開示することが第2、
私は、この二つでいいと思っているのです。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p362
(1)実務への批判=裁判所が和解内容の形成まで引き受けている現状
この立場から見ると、現在の実務は勧試の範囲を超えていることになります。
現在の実務への批判→和解内容の形成は勧試の範囲を超える
ところが、現在の実務で一般的に行われている和解勧試の内容は、その先に進んで、例えば金銭請求訴訟であれば、期限の猶予を設定して、履行期をいつにするとか、どのくらいの割合で債務を免除するとか、つまり和解内容の形成そのものを裁判所がやっているわけです。
これは、本来の意味での和解勧試の範囲を超えているのではないかと思っています。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p362
(2)民事訴訟法265条1項からの反論→裁判所が和解条項を定める制度の存在
この限定説に対しては、制度の側から反論が出されています。当事者双方が共同で申し立てたときは、裁判所が和解条項そのものを定めることができる、という定めが現にあるためです。
民事訴訟法265条1項の条文
裁判所又は受命裁判官若しくは受託裁判官は、当事者の共同の申立てがあるときは、事件の解決のために適当な和解条項を定めることができる。
※民事訴訟法265条1項
加藤氏は、この制度があることから、和解条件の形成についても裁判官に職責があると読めるのではないかとします。
加藤氏の反論→265条は和解条件の形成の職責を窺わせる
手続構造の理解として、伊藤さんのように和解勧試を限定するという見解は、成り立つようにも思いますが、民訴法265条〔裁判所等が定める和解条項〕がありますね。
あれがあるということは、和解条件の形成についても、裁判官に職責があることを裏面から窺わせるものではないかという反論が可能ではないでしょうか。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p366
9 交互面接と対席の評価→心証開示の扱いで逆転
心証を開示するかどうかは、和解を交互面接方式(当事者を個別に呼ぶ方式)で行うか、対席方式(双方を同席させる方式)で行うかという評価にも効いてきます。どちらが望ましいかは、心証開示をどう位置づけるかで裏返ります。
(1)心証開示のない交互面接での異なる心証の開示→好ましくない
和解の短所として挙げられてきたのが、心証の開示がないまま交互面接で当事者ごとに違う心証を示すことです。
和解の短所→心証開示がないまま交互面接で異なる心証
裁判所の心証開示がなくて、交互面接方式によって、異なる心証開示は好ましくないということが言われています。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p360
(2)当事者の要望=不利な心証は相手方のいる所では開示しない
もっとも、研究会で実務の側から出てきたのは、これとは別の実情でした。山本氏は、交互面接について指摘されていたことを次のように紹介します。
実務家の指摘→「あなたは負ける」を双方に言っているのではないか
そのときに実務家から出てきたのは、従来はそういう交互でやった場合に当事者のほうがあることないことを裁判官に言って、要するに相手方に不利なことを裁判官に吹き込むのではないかということが一つと、裁判官の側で両方に対してそれぞれ不利な心証を話して、「あなたは負ける、あなたは負ける」と両方に言って、和解をさせているのではないか。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p364
実際に聞いてみると、当事者が望んでいたのは別のことだったと述べます。
当事者の要望→不利な心証は相手方のいる所では開示しない
裁判官から心証を開示される場合も、自分に不利な心証だとすれば、相手方がいる所では開示してほしくない、自分にだけ不利なのだったら、自分だけに言ってほしい。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p364
(3)開陳する心証が同一なら、交互と対席は本質的に変わるのかという反問
これに対して伊藤氏は、交互面接であっても各当事者に示す心証が同じであるなら、対席で相手方がいて困るのはどういうことなのかと問い返します。
伊藤氏の反問→開陳する心証が同一なら交互と対席は変わるのか
そうだとすれば、交互方式であっても、裁判官が各当事者に対して開陳する心証は同一であるとすれば、対席方式で相手方当事者がいて困るというのは、どういうことなのでしょうか。
訴訟代理人の顔がつぶれるとか、あるいは相手が嵩にかかって攻めてきて、合意の成立が難しくなるとかという問題があるのでしょうか。
しかし、両当事者が裁判官の心証に関して取得する情報内容が同じだったら、交互だろうが対席だろうが、本質的に変わるのですかね。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p365
(4)大江氏の反論→心証開示だけでは和解は成立せず、交互でなければ成り立たない
代理人の立場からは、実情に即した反論が示されます。大江氏の指摘と、それを受けた加藤氏の整理です。
実情からの反論→心証開示だけでは和解は成立しない
両方がいる所で、「あなたは分が悪いから、少し考えたらどうですか」という心証開示だけだったら、和解は成立しないのではないですか。
加藤
大江さんの言われることがまさに実情ですから、和解勧試限定説に立つとしても、交互方式でなければその和解勧試そのものが成り立たない場合があるのではないかということです。
※大江忠ほか編『手続裁量とその規律』有斐閣2005年p365
10 おわりに
和解で心証を開示すべきかという問いに、条文は答えを置いていません。説かれているのは、当事者の納得する和解手続のための手続的配慮義務があるという立場からは、和解案を示す理由の説明は求められるものの、当事者が心証の開示を求めてもこれに応じる義務はなく、配慮を欠いたことが甚だしい場合にはじめて違法の問題になる、という規律です。
和解を勧めること自体の意味を限定して捉える見解からは、裁判所が和解内容の形成まで引き受けている現在の実務に批判が向けられており、交互面接と対席のどちらを原則とすべきかも決着していません。
共有物分割の訴訟で心証の開示がかけひきにどう効くかについては、別の記事で説明しています。
労働審判の調停で心証が開示される場面については、別の記事で説明しています。
労働審判の調停はどこまで解決できるのか|心証開示と調停の射程
本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。
本記事の引用は、書籍・判例などの原文から範囲を選んで載せたものです。改行の位置は読みやすさのために当方で整えており、原文の改行と同じとは限りません。また、記号や外字の扱いにより、文字の一部が原文と異なって表示されることがあります。


