【職場環境(過労やパワハラ)による自殺と労災・損害賠償の総合ガイド】
1 職場環境(過労やパワハラ)による自殺と労災・損害賠償の総合ガイド
日本における自殺者数は依然として高い水準にあり、特に就労者の自殺は深刻な社会問題となっています。1998年頃から自殺者が急増し、年間3万人を超える状況が長く続いており、職場環境における様々な負荷(過労、パワハラ、セクハラ)が労働者の精神的な健康に重大な影響を与えていることは明らかです。このような悲劇的な事態に対し、遺族への適切な損害賠償と支援を行うことは、法的にも社会的にも重要な意義を持ちます。また、同様の事案の発生を予防するためにも、職場環境と自殺に関する法的責任の所在を明確にすることは不可欠です。
2 職場環境による自殺に関する損害賠償請求の法的根拠
(1)労働契約法に基づく責任・安全配慮義務
労働契約法第5条は、使用者が労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする義務を明記しています。これは、単に労働災害の防止だけでなく、労働者の精神的な健康にも配慮し、快適な職場環境を整備する義務を含むと解釈されています。
具体的には、過重労働やハラスメントといった労働者の心身に過度の負担を与える可能性のある状況を放置し、それが原因で労働者がうつ病等の精神疾患を発症し自殺に至った場合、使用者はこの安全配慮義務に違反したとして、損害賠償責任を負う可能性があります。
(2)民法の規定に基づく責任
民法においても複数の規定に基づいて職場環境による自殺に関する損害賠償請求を行うことが可能です。
民法第709条(不法行為責任)は、故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負うと規定しています。職場環境において、使用者の故意または過失によって労働者が自殺に至った場合、遺族は使用者に対して不法行為に基づく損害賠償を請求することができます。
また、民法第715条(使用者責任)に基づき、職場における上司や同僚によるハラスメントが原因で労働者が自殺した場合、加害者である上司や同僚は被害者やその遺族に対して損害賠償責任を負い、さらに、使用者も使用者責任として損害賠償責任を負うことがあります。
さらに、民法第415条(債務不履行責任)においては、労働契約における安全配慮義務は契約上の付随義務とされており、使用者がこの義務を怠った結果、労働者に損害が発生した場合、使用者は債務不履行責任を負うことになります。
法的責任(損害賠償)の法的根拠については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|職場環境(過労やパワハラ)による自殺による損害賠償請求の法的根拠
3 労災・損害賠償が認められるための要件
(1)「強い心理的負荷」の概念
自殺が労災として認定されるためには、死亡した労働者が業務によって「強い心理的負荷」を受けていたと認められることが重要な要件となります。厚生労働省は、「心理的負荷による精神障害の労災認定基準」を定め、この「強い心理的負荷」の判断基準を示しています。
労災認定の主な要件は以下の3点です:対象疾病である精神障害を発病していること、対象疾病の発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められること、業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないことです。
(2)具体的な判断基準→過労、ハラスメント、精神的ストレス
「強い心理的負荷」の有無は、過労、ハラスメント、精神的なストレスといった具体的な要因に基づいて判断されます。
過労(過重労働)は、精神障害の発病に大きな影響を与える要因の一つです。労災認定においては、「過労死ライン」と呼ばれる目安があり、発病前1か月に100時間超、または2~6か月平均で80時間超の時間外労働があった場合、業務と発病の関連性が強いと判断される傾向があります。
ハラスメントについては、上司や同僚からの暴行やいじめ・嫌がらせなどが、心理的負荷の「強」と評価される具体的な出来事として挙げられています。特に、人格否定や業務上明らかに不必要な精神的攻撃、長時間にわたる厳しい叱責、無視などが該当します。
(3)精神障害と自殺の因果関係
業務による強い心理的負荷によって精神障害を発病した労働者が自殺した場合、原則として、精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、または自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害された結果であると推定され、業務起因性が認められます。
労災・損害賠償が認められる要件については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|職場環境(過労やパワハラ)による自殺の労災・損害賠償が認められる要件(実践アプローチ)
4 職場環境による自殺に関する過去の実例
(1)主要な裁判例の詳細な検討
職場環境による自殺に関する裁判例の中でも、特に重要な判例として電通事件が挙げられます。この事件では、大手広告代理店に入社した新入社員が、慢性的な長時間労働によりうつ病を発症し自殺に至りました。最高裁判所は、使用者は労働者の心身の健康を損なうことのないよう注意する義務を負うとし、会社側の安全配慮義務違反を認めました。
(2)裁判例における職場環境、請求された損害賠償、裁判所の判断の比較分析
他の裁判例と比較すると、職場環境の具体的な状況、請求された損害賠償の内容、そして裁判所の判断には様々な特徴が見られます。
過労による自殺に関しては、大阪地方裁判所平成30年3月1日判決では、飲食店の店長がうつ病罹患後に自殺した事案で、労災認定はされなかったものの、会社や役員に対する損害賠償が認められました。
ハラスメントによる自殺に関しては、福井地方裁判所平成26年11月28日判決では、上司によるパワーハラスメントが原因で従業員が自殺したとして、会社に8000万円を超える損害賠償が命じられました。
一方、安全配慮義務違反が否定された例もあります。労働環境を総合的に見て心理的負荷が「強い」とは認められないとして、遺族の請求が棄却された事例など、自殺の原因が必ずしも職場環境に起因すると断定できない場合には、損害賠償請求が認められないこともあります。
過去の自殺に関する法的責任が判断された実例については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|過労やパワハラによる自殺の企業責任を判断した実例と分析(判例)
5 企業が賠償する損害の内容・算定方法
(1)治療費
死亡した労働者が精神疾患の治療を受けていた場合、その治療にかかった費用は損害賠償の対象となる可能性があります。これには、精神科の受診費用、カウンセリング費用、薬代などが含まれます。
(2)逸失利益
逸失利益とは、死亡した労働者が生存していれば将来得られたであろう収入のことです。逸失利益の算定方法は、一般的に「基礎収入 × (1 - 生活費控除率) × 就労可能年数に対応するライプニッツ係数」という計算式を用います。
(3)慰謝料
慰謝料は、死亡した労働者本人と遺族が受けた精神的な苦痛に対する賠償金です。慰謝料の金額は、事案の具体的な状況、使用者の過失の程度、被害者の苦痛の大きさ、遺族の構成などによって異なりますが、一般的に、死亡慰謝料の相場は、一家の支柱の場合で2800万円程度とされています。
(4)葬祭費と弁護士費用
死亡した労働者の葬儀にかかった費用も、損害賠償の対象となります。また、損害賠償請求のために弁護士に依頼した場合、その費用の一部も損害として認められることがあります。一般的に、認められた賠償額の1割程度が弁護士費用として認められることが多いです。
(5)損益相殺
労災保険から遺族補償年金や一時金、葬祭料などが支給された場合、これらの給付金は損害賠償額から控除されることがあります(損益相殺)。ただし、生命保険金は、被保険者が支払っていた保険料の対価としての性質を持つため、損益相殺の対象とはなりません。
自殺について企業に責任がある場合の、賠償すべき損害の内容や金額の算定方法については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|職場環境(過労やパワハラ)による自殺の損害賠償の金額算定方法と実例
6 労災申請・損害賠償請求の手続の流れ
(1)労働基準監督署への相談と労災申請
まず、職場環境による自殺が労災に該当する可能性がある場合、遺族は所轄の労働基準監督署に相談し、労災保険給付の申請を行うことを検討します。労災申請の手続きは、労働基準監督署の窓口で相談し、必要な書類を入手して作成・提出します。
(2)弁護士への相談
損害賠償請求を検討する場合、早期に労働問題に詳しい弁護士に相談することが非常に重要です。弁護士は、事案の詳細な状況を把握し、法的根拠や請求できる損害の種類、証拠の収集方法、手続きの流れなどについて専門的なアドバイスを提供してくれます。
(3)会社との交渉と訴訟の提起
弁護士に依頼した場合、通常はまず会社との間で損害賠償に関する交渉(示談交渉)が行われます。交渉がまとまれば、示談契約を締結し、損害賠償金が支払われることになります。
会社との交渉がうまくいかなかった場合や、会社が損害賠償請求に応じない場合は、裁判所に対して損害賠償請求訴訟を提起することになります。訴訟は、一般的に長期間にわたることが多く、判決までに平均2~3年程度かかることもあります。
(4)時効
損害賠償請求には時効があります。安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求の時効は、権利を行使できることを知ってから5年、または権利を行使できる時から10年のいずれか早い方です。不法行為に基づく損害賠償請求の時効は、損害および加害者を知ってから5年です。
労災申請や損害賠償請求の手続の流れについては、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|職場環境(過労・パワハラ)による自殺の労災申請・損害賠償請求の手続の流れ
7 自殺を予防するため企業の義務や対策
(1)安全で健康的な職場環境の整備
企業は、労働契約法第5条に基づき、労働者が安全かつ健康に働くことができるように配慮する義務があります。具体的には、定期的なストレスチェックの実施、ハラスメント対策の徹底、長時間労働の削減と適切な労働時間管理、メンタルヘルスサポート体制の構築、職場復帰支援の充実、管理職や従業員へのメンタルヘルスに関する教育・研修などが求められます。
(2)法的責任
企業がこれらの予防対策を怠り、その結果として労働者が自殺した場合、安全配慮義務違反として損害賠償責任を問われる可能性があります。企業は、労働者のメンタルヘルスケアを経営上の重要な課題として捉え、積極的に予防対策に取り組むことが、法的責任を回避し、労働者が安心して働ける環境を作る上で不可欠です。
企業が自殺を予防する義務があることや、予防策の内容については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|過労・ハラスメントによる自殺を予防する企業の義務・予防策
8 海外における過労・ハラスメント自殺の予防策
海外においても、職場環境による自殺は深刻な問題として認識されており、損害賠償や労災認定に関する制度や事例が存在します。
アメリカでは、労働災害補償制度があり、業務に起因する精神疾患による自殺も補償の対象となる場合があります。ただし、過失責任主義が原則であるため、使用者の故意または重過失を立証する必要がある場合もあります。
オーストラリアでは、長時間労働が問題視されており、労働組合が時短や残業代の支払いを要求するキャンペーンを展開しています。過労死や過労自殺に関する研究も行われており、日本と同様に、労働時間とメンタルヘルスの関連性が議論されています。
日本においては、電通事件以降、過労自殺に対する企業の責任がより明確に認識されるようになり、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求が認められるケースが増加傾向にあります。しかし、海外と比較すると、損害賠償額の水準や、ハラスメントに対する法的規制の整備など、まだ課題も残されています。
海外で行われている過労やハラスメント自殺の予防策については、別の記事で詳しく説明しています。
詳しくはこちら|海外における過労やハラスメント自殺の予防策・日本との比較
本記事では、職場環境による自殺と労災・損害賠償について説明しました。
実際には、個別的事情により法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。
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