1 大学の教育上の措置のうち『一般市民法秩序』と関係するものは司法審査の対象となる
2 大学専攻科の修了認定は司法審査の対象とされる
3 退学処分・留年は司法審査の対象とされる
4 大学の単位認定自体は司法審査の対象外とされる
5 博士号等の認定における論文内容の判断は司法審査の対象外とされる
6 大学における『部分社会の法理』は国立と私立で異ならない
7 学位論文の不合格→指導教員の責任は原則的に否定される
8 法科大学院のレベル低下→留年を訴訟で回避作戦→認められず
9 法科大学院/一般の大学・大学院の違い|裁判例の射程は広くない

1 大学の教育上の措置のうち『一般市民法秩序』と関係するものは司法審査の対象となる

大学における教育上の措置の適否が司法審査の対象となるかどうかを説明します。
一般的に『団体の内部事項に関する行為』は司法審査の対象外とされています。
『部分社会の法理』と呼ばれる理論です。
別項目;司法権に該当するけれど,別の理由で対象外と解釈されるものもある

一方で大学における単位認定などについて一切裁判所が立ち入れないというのも不合理です。
この問題について,最高裁が次のように判断しています。

<部分社会の法理における司法権の限界>

あ 一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる事項

司法審査の対象とならない

い 一般市民法秩序と直接の関係を有する事項

司法審査の対象となる
※最高裁昭和52年3月15日

2 大学専攻科の修了認定は司法審査の対象とされる

大学の『修了認定』については司法審査の対象とされています。

<大学専攻科の終了認定×司法審査>

あ 司法審査の対象|結論

大学専攻科の終了認定は司法審査の対象となる

い 理由

『修了=卒業すること』が『大学に入学,通学することの目的』である
『卒業』ができないと『入学』した意味がない
=大学という公的施設を利用することを否定される
※最高裁昭和52年3月15日

結論として『修了認定・卒業の判断』については司法審査の対象となる,ということです。

3 退学処分・留年は司法審査の対象とされる

退学や留年(原級留置処分)についても司法審査の対象として認められています。

<退学処分・原級留置処分×司法審査・裁量権|基準>

あ 司法審査の対象

いずれも司法審査の対象となる

い 裁量権の範囲|基準

教育上やむを得ないと認められる場合に限られる
認定・判断については,特に慎重な配慮を要する

う 他の手段の検討

退学や原級留置処分を避けるための方法があったかどうかが重視される
例;レポート提出により『修学不足を補完』→退学・留年を避けられなかったかどうか
※最高裁昭和49年7月19日
※最高裁平成8年3月8日;エホバの証人剣道受講拒否事件

4 大学の単位認定自体は司法審査の対象外とされる

大学の単位認定自体は,司法審査の対象外とされています。

まず,卒業できるかどうかについては『一般市民法秩序』と関係する,と判断されます(前述)。
これを前提として『単位認定』次のような価値判断を行っています。

<最高裁の単位認定の性格の評価>

あ 『単位認定』が『卒業』と関係する程度

ア 『間接的』である
イ 『影響の程度が低い』

い 結論

『単位認定自体』は『一般市民法秩序』と直接関係しない
※最高裁昭和52年3月15日

結論として『単位認定自体』については司法審査の対象外,と判断しました。

5 博士号等の認定における論文内容の判断は司法審査の対象外とされる

(1)学位授与のフロー

一般的に大学院においては,課程の修了時に,単位認定+論文認定,を経て学位が授与されます。
大学院の学位とは修士(マスター)と博士(ドクター)です。
『博士論文』とは博士課程の最後で提出する論文ということです。
この論文の審査に合格すると,博士の学位が授与されるというフローになっています。

(2)学位論文の内容の審査・評価は司法審査の対象外

最高裁は,論文の内容については,司法審査の対象外としています。
次のように判断しています。

学位論文の内容審査の特定,評価>

あ 論文審査の審査内容

論文内容の優劣
課程博士号を取得し得るに足りる程度の内容を有しているか否かの判断

い 評価

これは,大学の研究活動の本質である。
大学が専門的・教育的見地から決定すべき事項である。

要するに,論文内容の審査,評価については大学の裁量を大きく認めているということです。
結論として,学位論文の内容審査については司法審査の対象外と判断しています。

(3)論文受理/不受理の判断は,司法審査の対象とされるが,審査対象は限定的

論文の内容ではなく,受理する,しない,という判断については,また別の解釈となります。
ある程度形式的な判断,評価も含まれると考えられています。
一方で,大学の研究,教育活動の一環であることには変わりはありません。
あくまでも大学の裁量が大きいことは共通しています。
そこで,司法審査の対象とするが,介入の程度は最小限,というバランスに行き着きます。

論文受理の判断についての司法審査基準>

著しくその裁量を逸脱し,濫用と評価しうる場合でなければ,違法としない
※東京地裁平成16年6月22日

この点例えば他の学生は他論文の流用が見逃されている→自分だけ指摘されるのは不公平というケースもあります。
一般的には平等原則や比例原則の違反という発想になります。
ただし,これは行政処分に該当するものです。
論文審査では該当しません。
別項目;行政処分は比例原則,平等原則に違反すると取消ができる

6 大学における『部分社会の法理』は国立と私立で異ならない

以上のように,大学の教育上の事項については,司法の介入は謙抑的というスタンスとされます。
これについて,国立私立とで,特に違う扱い,解釈はなされていません。

<部分社会の法理×『国立/私立』大学>

『国立/私立』で異なる解釈は示されていない
※最高裁昭和52年3月15日

趣旨としては,私立大学であっても,公的な性格が強い,というところにあります。
私立であっても,大学設置の許認可制度,また,助成金の受給など,多くの公的な制度が適用されているのです。

7 学位論文の不合格→指導教員の責任は原則的に否定される

(1)『指導の有無』は司法判断の対象となる

博士論文が不合格になった事例について,学生が『指導教員の責任』を主張した判例があります。
これは『論文内容の審査』とは違います。
ストレートに司法の介入は謙抑的という方針が当てはまりません。
そこで,指導がなされたかどうかについて,裁判所が判断することとなりました。

(2)『実験』がない場合は『面談の有無』が『指導の有無』の判断の重要要素となる

ちなみにこれは文系の学科における事例です。
理系(特に工学系)であれば,『実験を通した指導』が重要なので,『指導の有無』が単独で問題なることは少ないです。
一方文系学科などは『実験』というものがありません。
そこで,『面談して指導を行ったかどうか』が判断の重要な事項とされます。

<大学・学位論文の不合格→『指導』不足の責任>

あ 事案

博士論文が不合格となった
学生が『指導教員の責任』を主張した

い 裁判所の判断|要点

学生は文系なので『実験』がなかった
→『面談して指導を行ったかどうか』が重視される

う 裁判所の認定|結論

指導教員は学生と面談して指導を行っていた
→指導教員の責任を否定した
※東京地裁平成19年11月9日

(3)学生の研究は自主的・自己責任が原則

逆に言えば,『学生が積極的に研究に取り組み,教員に質問をしていたのに教員が回答,指導を拒否した』という極端な事情がない限り,教員の責任は否定される傾向にあります。
つまり,研究の遂行については,学生自身の主体的な取り組み・学生自身の責任,ということが前提とされているのです。

8 法科大学院のレベル低下→留年を訴訟で回避作戦→認められず

法科大学院の学生が『原級留置処分』いわゆる『留年』となったケースです。
学生が提訴し『留年は無効+奨学金の継続支給』を主張しました。
レベル低下・経済的な負担増,という社会的な問題を反映した裁判例です。
前提部分で『司法審査の対象論』について判断されました。

<法科大学院×原級留置処分>

あ 事案

法科大学院に在籍する学生が『原級留置処分』をされた
学生は『処分の無効・奨学金の継続支給』を主張した

い 裁判所の判断|司法審査の対象論

法科大学院の第2学年に留置する処分
→学生には『卒業年次の遅れ』が生じる
→学費の負担増という不利益が生じる
→一般市民法秩序と直接の関係を有する
→司法審査の対象となる

う 裁判所の判断|『原級留置処分』の有効性

ア 前提
大学や大学院の合理的な教育的裁量に委ねられるべき事項である
イ 個別的事情の判断
権利濫用や裁量権の逸脱・濫用も認められない

う 裁判所の判断|結論

請求棄却
※東京地裁平成24年10月1日

この司法審査の上記判決では『他の大学との関係』についての言及はありません。

9 法科大学院/一般の大学・大学院の違い|裁判例の射程は広くない

上記裁判例の『裁量権の逸脱』の判断は,どこまで一般化できるのかについては曖昧です。
他の一般的な大学・大学院の場合も当てはまるかどうか,については言及がありません。
この点『大学・大学院』一般に該当する判断ではないと思われます。
法科大学院の特徴を前提とする判断と考えられるのです。

<法科大学院の特徴>

司法試験受験資格取得が目的である
一般の大学・大学院(研究大学院)とは異なる

なお,一般の大学の利用者=学生の実態も,現在では『就職のため』が大半です。
具体的には『大学名付きの学位を得る』ということが中間的目標です。
いわゆる『ディプロマ・ミル』『学位販売事業』という性格です。
詳しくはこちら|私立大学運営に『ユーザー=学生』が参加|教育バウチャー制度vs既得勢力

このように,法科大学院と一般の大学の違いは現実的には『変わらない』とも言えます。
解釈論に幅がある上に,この裁判例は下級審のものです。
再現可能性の程度はそこまで高くないと言えましょう。

判例・参考情報

(判例1)
[昭和52年 3月15日 最高裁第三小法廷 昭46(行ツ)52号 単位不認定等違法確認請求事件]
裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法三条一項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争ごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解釈に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である(当裁判所昭和三四年(オ)第一〇号昭和三五年一〇月一九日法廷判決・民集一四巻一二号二六三三頁参照)。そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。

(判例2;判例1の別の箇所)
[昭和52年 3月15日 最高裁第三小法廷 昭46(行ツ)53号 単位不認定等違法確認請求事件]
思うに、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学の利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的として設置されるものであり(学校教育法五七条)、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。
 論旨は、法令上専攻科修了なる観念は存在せず、したがつて、専攻科修了の認定というのも法令に根拠を有しない事実上のものであるから、専攻科修了の認定という行為は行政事件訴訟法三条にいう処分にあたらない、と主張する。しかしながら、大学の専攻科というのは、前述のような教育目的をもつた一つの教育課程であるから、事理の性質上当然に、その修了という観念があるものというべきである。また、学校教育法五七条は、専攻科の教育目的、入学資格及び修業年限について定めるのみで、専攻科修了の要件、効果等について定めるところはないが、それは、大学は、一般に、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等においてこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有するところから、専攻科修了の要件、効果等同法に定めのない事項はすべて各大学の学則等の定めるところにゆだねる趣旨であると解されるのである、そして、現に、本件富山大学学則においても、「専攻科の教育課程は、別に定めるところによる。」(六〇条)、「専攻科に一年以上在学し所定の単位を履修取得した者は、課程を修了したものと認め修了証書を授与する。」(六一条)と規定しているのであるから、法令上専攻科修了なる観念が存在し、専攻科修了の認定という行為が法令に根拠を有するものであることは明らかというべきである。そして、このことと、前述のように、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであつて、国公立大学における専攻科修了の認定、不認定は学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利に関係するものであることとにかんがみれば、本件専攻科修了の認定行為は行政事件訴訟法三条にいう処分にあたると解するのが、相当である。それゆえ、論旨は、採用することができない。
 論旨は、また、専攻科修了の認定は、大学当局の専権に属する教育作用であるから、司法審査の対象にはならないと主張する。しかしながら、富山大学学則六一条によれば、前述のように、一年以上の在学と所定の単位の修得とが同大学の専攻科修了の要件とされているにすぎず(ちなみに、大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)三二条によれば、大学の卒業も、四年以上の在学と所定の単位一二四単位以上の修得とがその要件とされているにすぎない。)、小学校、中学校及び高等学校の卒業が児童又は生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする優れて専門的な価値判断をその要件としている(学校教育法施行規則二七条、五五条及び六五条参照)のと趣を異にしている。それゆえ、本件専攻科の修了については、前記の二要件以外に論旨のいうような教育上の見地からする価値判断がその要件とされているものと考えることはできない。そして、右二要件が充足されたかどうかについては、格別教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではないから、司法審査になじむものというべく、右の論旨もまた、採用することができない。


(判例3;判例1の別の箇所)
[昭和52年 3月15日 最高裁第三小法廷 昭46(行ツ)52号 単位不認定等違法確認請求事件]
大学の単位制度については大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)がこれを定めているが、これによれば(ただし、次に引用の条文は、いずれも昭和四五年文部省令第二一号による改正前のものである。)、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが(二八条)、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(二五条、二六条)、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(三一条)、右教育課程に従い大学に四年以上在学し所定の授業科目につき合計一二四単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(三二条)、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。所論は、現行法上又は社会生活上単位の取得それ自体が一種の資格要件とされる場合があるから、単位授与(認定)行為は司法審査の対象になるものと解すべきであるという。しかしながら、特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、そのような場合はいまだ極めて限られており一部に右のような場合があるからといつて、一般的にすべての授業科目の単位の取得が一般市民法上の資格地位に関係するものであり、単位授与(認定)行為が常に一般市民民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。そして、本件単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、上告人らはなんらの主張立証もしていない。
 してみれば、本件単位授与(認定)行為は、裁判所の司法審査の対象にはならないものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、結局、正当である。

(判例4)
[平成16年 6月22日 東京地裁 平15(ワ)15356号 損害賠償請求事件]
1 大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と研究を目的とする教育研究施設であって、その教育目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自立的、包括的な権利を有しているのであるから、大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象となるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は司法審査の対象からは除外されるというべきである(最高裁判所昭和46年(行ツ)第52号、同52年3月15日第三小法廷判決・民集第31巻第2号234頁参照)。
 これを本件についてみるに、原告は、原告が提出した学位論文は優れた内容のものであるから、法学研究科により受理されていれば、原告に博士号が授与されたのは明らかであり、博士後期課程を卒業することもできたはずであると主張するが、原告が提出した学位論文が、課程博士号を取得し得るに足りる程度の内容を有しているか否かについては、まさに教育・研究機関である大学の研究活動の本質にかかわる問題であり、各大学が、専門的・教育的見地から決定すべき問題であって、学位論文の優劣、原告が博士後期課程を修了するに足りる学識を備えていたか否か等は、裁判所の司法審査の対象とはならないものと解するのが相当である。そこで、被告による学位論文不受理が違法であるか否かについて判断するまでもなく、学位論文が受理されれば、当然に課程博士号が受理され、博士後期課程を卒業することができたことを前提とする原告の主張は採用することができない。
 2 もっとも、原告は、「必要な研究指導を受けた」という要件を満たさないことを主たる理由として学位論文を不受理とした被告の事務処理は違法である旨強調する。しかしながら、学位取得に必要な研究指導を受けたか否かは、各在学者に対する研究・教育活動の進展状況などに関する高度な教育的・専門的判断を前提とするものであって、本来、各大学の自主的判断にゆだねられるべき問題というべきであるから、同要件が論文内容に対して実質的審査を行うための形式的要件であり、同要件を充足したか否かに関しては裁判所の審査権が及ぶと解したとしても、各大学の自主的判断が最大限尊重されるべきものというべきであって、その判断が、著しくその裁量を逸脱し、濫用と評価しうる場合でなければ、違法であると解することはできないものというべきである。
 これを本件についてみるに、証拠(甲3、4、7、甲17の1、乙1、3、4)及び弁論の全趣旨によれば、原告の指導教授はB教授であり、原告は、平成10年9月下旬ころ、同教授から、原告が学位論文として考えている「事物の本性理論の構築条件」について、論点を明確にし、かつ、A元教授の指導も受け、その上で論文を持参するようにとの指導を受けたこと、原告は、同年10月ころから、法学研究科委員長、y大学学長、被告大学院事務長及び被告大学院長などに対し、電話をしたり、面会を求めたりして、「学位論文として早く審査を受けられるようにしてほしい。」との訴えを行い、さらに、B教授に対しては、早く学位請求書に承認印を押してほしいと要望を繰り返したため、B教授は、原告がこれ以上の同教授の指導を受け入れることはないものと判断し、A元教授と連絡をとった上、原告の学位請求の取扱いを、学位論文の審査に関する事項について審議決定する権限を有する法学研究科委員会の判断にゆだねることとし、原告の学位請求書に署名押印したこと、平成12年2月26日に開催された法学研究科委員会において、本件論文受理の可否等について意見交換後、同委員会委員長の提案により、例外的に投票に付すべきものとされ、投票の結果、出席者23名中、受理を可としたのは4名にすぎなかったことから、同委員会により、原告の学位請求は、不受理とすべきと判断されたことが認められるのであって、法学研究科委員会が本件学位論文の受理の可否を審議し、かつ、投票により決するという例外的取扱いがされてはいるものの、審査権限を有する同委員会の委員長がかかる取扱いを提案し、同委員会において了承されている以上、受理すべきか否か、すなわち受理の要件を充足するか否かについて、投票によって判断し、その結果として原告の学位論文を不受理とした措置が、法学研究科にゆだねられた裁量を明らかに逸脱したとまでは認められない。

(判例5;判例1の別の箇所)
[昭和52年 3月15日 最高裁第三小法廷 昭46(行ツ)52号 単位不認定等違法確認請求事件]
大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、

(判例6
[平成19年11月 9日 東京地裁 平18(ワ)23809号 損害賠償請求事件]
 (2) 原告は,本件において,①被告は,原告の資格審査用論文の提出を管理する義務を怠ったこと,②被告は,博士論文について実質的な作成指導及び審査をする能力を有する教員によって指導委員会を構成するなどして指導体制を整備し,博士論文作成等について実質的な指導をするとともに,万一指導能力を有する教員を欠くに至ったときは直ちにこれを補充し,あるいは学生にその旨を告知して早期に転学するなどの対処をする機会を与える義務を怠ったこと,を被告の債務不履行と主張しているものと解される。
 そこで検討するに,まず,①については,そもそも成人である大学院生であればその学業についても自主的判断及び自己管理が求められると解するのが相当であり,博士論文作成については学生が自らの責任において必要な時期に作成・提出等を行うべきであるから,大学院としては博士論文作成手続に関する一般的な告知をすれば足りると解されるのであって,原告の主張するように個別の学生の論文提出管理まで行うことが被告の義務となると解することはできない。しかるところ,前記認定事実によれば,被告大学院は,原告に対し,『平成11年度履修案内』(乙1)やオリエンテーション(博士論文作成は博士後期課程修了の前提であるから,その手続についての説明もあったと優に推認できる。),掲示(乙2の1~2の6)により,博士論文作成手続に関する一般的な告知をしていたといえるから,被告にこの点に関する債務不履行を認めることはできない。
 また,②については,高度に学術的かつ自主的な運営が要求される大学院においては,その学生に対する指導内容等についても広範な裁量が認められると解されるところ,前記認定事実によれば,指導委員会やその構成教員らは,原告が論文を作成・提出するごとに,その論文作成に関して相当回数の面談等をしていたというのであり,原告の論文作成に関して面談したというのであればその内容が論文作成についての指導を含まないということは想定し難いのみならず,原告作成の論文に関して具体的な指示もされていることから,それらの面談等において論文作成に関する一定の指導がなされたと優に推認することができる。しかも,指導委員会は,原告の論文作成に資するために,これについての学外の研究者のコメントを求めた上でこれを原告に伝えるなどしている。これらの事実に照らすと,仮に原告の主張するように原告のディスカッションの申出を指導担当教員らが拒絶したことがあったとしても,それをもっておよそ原告に対する指導がなされなかったということができないことは明らかであって,被告が原告に対する指導に関して上記裁量を逸脱したとは到底認められないというべきであるから,この点に関する被告の債務不履行も認めることはできない。
 したがって,結局のところ,原告主張のいずれの債務不履行も認めることはできない。