東京地判昭和54年11月13日|控訴の無断取下げと損害との相当因果関係
1 東京地判昭和54年11月13日|控訴の無断取下げと損害との相当因果関係
第1審で敗訴した当事者から控訴審の訴訟追行を委任された弁護士が、依頼者の一人の依頼を受けて、もう一人の依頼者に無断で控訴を取り下げました。控訴の取下げによって第1審判決が確定し、止まっていた競売が動き出したため、その依頼者は競売を阻止するために900万円を支払うことになりました。
その依頼者が、控訴を取り下げた弁護士と、取下げを依頼した者との双方に対して、900万円の損害賠償を求めたのが本件です。東京地方裁判所は、被告両名の責任原因を判断する前に、控訴審で原告が勝訴できたかどうかを検討し、勝訴できたとは認められないとして、相当因果関係を否定して請求を棄却しました。
本記事では、この判決が何を判断し、何を判断しなかったのかを、判決文にそくして説明します。
本件は、共同で受任した依頼者の意向が分かれたことから起きた事件です。同じように依頼者どうしの意向が分かれる場面では、依頼者の利益と他の依頼者の利益が相反する事件を受任してよいか、という別の問題も生じます。これについては、別の記事で説明しています。
依頼者相互間の利益相反|弁護士職務基本規程28条3号・受任の可否と辞任
2 結論——責任原因を判断せず、控訴取下げと出捐との相当因果関係を否定→請求棄却
この判決が何を判断したかを先にまとめます。いずれの行も、後述の各節で判決文を挙げて説明します。
東京地判昭和54年11月13日が判断したこと
| 争われたこと | 裁判所の答え |
|---|---|
| 無断で控訴を取り下げられた依頼者は、弁護士と取下げを依頼した者から損害の賠償を受けられるか | 受けられない。請求はいずれも棄却された |
| 裁判所は何から検討したか | 被告両名の責任原因を判断する前に、控訴審において原告の勝訴が確実であったか否かを検討した |
| 控訴取下げと900万円の出捐との間に因果関係を認めるための前提は何か | 控訴取下げがなければ原告が控訴審において勝訴できたこと |
| 控訴審で勝訴できたと認められたか | 認められなかった。連帯保証と根抵当権設定についての原告の自白が真実に反し錯誤に出たと認められるかが疑問であり、仮に自白の撤回が認められても表見代理の成立が肯定される可能性があったとされた |
| 無断で控訴を取り下げたこと自体の責任は判断されたか | 判断されていない。「その余の点について判断するまでもなく」として棄却された |
3 事案——根抵当権をめぐる債務不存在確認の控訴を、訴訟代理人が取り下げた
判決は当事者を訴訟上の地位と氏で呼びます。原告が土地の所有者、被告鈴木が原告の代理人として連帯保証と根抵当権設定をした者、被告甲野が控訴審の訴訟代理人となった弁護士です。原告と被告鈴木は、第1審でともに敗訴して、ともに控訴した共同の依頼者でもあります。
判決が認定した経過のうち、控訴の提起から取下げまでは次のとおりです。
認定した事実(第1審判決から控訴の取下げまで)
7 長野地方裁判所伊那支部は、昭和四四年一〇月一六日、昭和四〇年(ワ)第二七号事件について原告らの請求を棄却する旨の、昭和四一年(ワ)第一号事件について一二五〇万円の債務のうち九七八万三五七〇円につき支払債務の存在しないことを確認する旨の、判決を言渡した。
8 原告及び被告鈴木は、昭和四四年一〇月三一日、東京高等裁判所に対し、前項の判決のうち両名敗訴部分について控訴した(東京高等裁判所昭和四四年(ネ)第二五七三号事件)。
9 原告及び被告鈴木は、昭和四五年七月一六日ごろ、被告甲野に右控訴審における訴訟追行を委任した。
10 被告甲野は、昭和四九年一一月二六日、原告及び被告鈴木の前記控訴を取下げた。
11 その結果、前記の競売事件が続行されることになったので、原告は、訴外小野に対し、金九〇〇万円を支払って右競売を阻止した。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
委任から取下げまで4年以上が経っています。取下げによって第1審判決が確定し、止まっていた競売が動き出したため、原告は900万円を支払ってこれを阻止しました。この900万円が、本件で請求された損害です。
この事案は、弁護士の責任を扱った書籍にも取り上げられています。書籍のほうは当事者を記号で呼び、原告をX、被告鈴木をY1、被告甲野をY2としています。以下の引用も、それぞれの呼び方によります。
事案の概要と判決要旨
Y1は、Aから金銭を借り受け、X所有の不動産にY1を債務者、Aを債権者とする根抵当権を設定したところ、Aが競売の申立てをしたことから、X、Y1はAに対して債務不存在確認、抵当権設定登記の抹消登記手続を請求する訴訟を提起する等したが、B地方裁判所C支部はXらの請求を棄却する判決をし、控訴をし、弁護士Y2に控訴審における訴訟の追行を委任したところ、Y2は、Y1から控訴の取下げの依頼を受け、Xの意思を確認することなく、控訴を取り下げたため、XがY1、Y2に対して不法行為に基づき損害賠償を請求した。
この判決は、Xが控訴審において勝訴するとは認められないとし、控訴の取下げとXの主張に係る損害との間の因果関係を否定し、請求を棄却した。
※升田純著『なぜ弁護士は訴えられるのか』民事法研究会2016年 11月p133〜134
4 特徴——他の依頼者の意向を確認せず、同意を得なかったこと
同じ書籍は、この事案の特徴を5つに整理しています。
事案の特徴(升田による整理)
この事案は、弁護士が第1審で敗訴判決を受けた者らから控訴審における訴訟の追行を受任し、依頼者の一人から控訴の取下げを依頼され、控訴を取り下げたため、他の依頼者が弁護士に対して不法行為に基づき損害賠償を請求した事件である。
この事案は、弁護士の依頼者に対する弁護過誤の類型の事件である。
この事案の特徴は、
①弁護士が敗訴の当事者らから控訴審の訴訟事件を受任したこと、依頼者の一人から控訴の取下げを依頼されたこと
②他の依頼者の意向を確認せず、同意を得なかったこと
③弁護士が控訴を取り下げたこと(第1審判決が確定することになる)
④他の依頼者が弁護士、取下げを依頼者に対して不法行為責任を追及したこと
⑤控訴の取下げと依頼者の主張に係る損害との間の因果関係の存否が重要な争点になったこと
があげられる。
※升田純著『なぜ弁護士は訴えられるのか』民事法研究会2016年 11月p134
②が、複数の依頼者から受任している場面で問題になる点です。もっとも、後述のとおり、この判決は②の当否そのものを判断していません。
なお、引用中の④は、読点の位置が原文のままです。書籍の誤植と見られますが、直さずに引いています。意味は、前述の事案の概要(他の依頼者が、依頼者と弁護士の双方に対して損害賠償を請求した)から取れます。
5 判示——責任原因を判断する前に、控訴取下げがなければ勝訴できたかを検討する
この判決の判断の順序は、理由の二の冒頭に置かれています。
因果関係を肯定するための前提と、検討の順序
二 ところで、原告は、前記認定の控訴取下が原告に無断でなされたことを理由に、九〇〇万円の損害を被ったとして、被告両名に対して損害賠償の請求をしているものであるところ、右控訴取下と九〇〇万円の出捐との間に因果関係を肯定するためには、右控訴取下がなければ、原告が控訴審において勝訴できたことが前提とならなければならない。
そこで、被告両名の責任原因を判断する前に、まず、控訴審において、原告の勝訴が確実であったか否かについて、以下検討する。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
損害賠償を認めるには、控訴取下げがなければ原告が控訴審で勝訴できたことが前提になる——これがこの判決の立てた枠組みです。そのうえで、被告両名の責任原因を判断する前に、まず勝訴の見込みから検討すると宣言しています。責任があったかどうかを飛ばして、因果関係から入る順序です。
同じ書籍は、この判決の特徴を次のように整理しています。
判決の特徴(升田による整理)
この判決の特徴は、
①不法行為の因果関係が肯定されるためには、控訴取下げがなければ、依頼者が控訴審において勝訴できたことが前提であるとしたこと
②この事案では依頼者が控訴審において勝訴したであろうと認めるに足りる証拠がないとし、因果関係を否定したこと
③弁護士らの不法行為を否定したことがあげられる。
※升田純著『なぜ弁護士は訴えられるのか』民事法研究会2016年 11月p134
6 あてはめ——控訴審までの審理に現われた事実からは、勝訴したとは推認できない
勝訴の見込みは、前訴の記録に現われた事実から判断されています。争点は2つで、原告が連帯保証と根抵当権設定を承諾していたという自白を撤回できたか、撤回できたとしても表見代理が成立しなかったか、です。
(1)自白——真実に反し錯誤に出たと認められるかは疑問
原告は、前訴では根抵当権設定を承諾した事実を前提に、その意思表示が詐欺であると争っていました。無断で担保に入れられたという主張は、本件で初めて出てきたものです。
自白が真実に反し錯誤に出たと認められるか→疑問
右のような控訴審までの審理に現われた事実によれば、原告は、一四二番の五及び一七一番の土地を担保に提供することについて、被告鈴木に包括的な代理権を与えていたのではないかと窺れ、控訴審において、原告と訴外小野との間で連帯保証契約及び根抵当権設定契約が成立した旨の原告の自白が、真実に反し且つ錯誤に出たと認められるか否か、疑問であるといわざるをえない。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
判決は、包括的な代理権を与えていたのではないかと窺われるとして、自白の撤回が認められるかどうかを疑問としています。断定はしていません。
(2)表見代理——撤回が認められても成立が肯定される可能性→勝訴の推認は困難
さらに判決は、仮に自白の撤回が認められたとしても、という一段を置きます。
仮に自白の撤回が認められても→表見代理の成立が肯定される可能性
右の事実によれば、仮に前示自白の撤回が認められたとしても、被告鈴木は基本代理権を有し、訴外小野には権限ありと信ずべき正当の理由があった、すなわち、控訴審において表見代理の成立が肯定される可能性があったと認められる。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
基本代理権があり、相手方に正当の理由があったとして、表見代理が成立する可能性を認めています。自白の撤回が通っても、その先で負ける可能性が残るということです。
この2つを踏まえて、理由の二は次のように結ばれます。
控訴審で勝訴したと推認できるか→直ちに推認することは難しい
以上のとおり、前示1(一)で認定した被告鈴木の控訴審における供述は存在するが、同人の供述の信用性は必ずしも高くなく、また、原告が控訴審において前示1(二)で認定したと同趣旨の供述を行ったとしても、前示2及び3で検討したところに照せば、被告鈴木の控訴審における右供述及び原告本人が控訴審で行ったであろう供述によって、原告が昭和四四年(ネ)第二五七三号債務不存在確認請求控訴事件において勝訴したと直ちに推認することは難しく、他に原告が右控訴審において勝訴したであろうと認めさせるに足る証拠はない。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
「勝訴したと直ちに推認することは難しく、他に……認めさせるに足る証拠はない」という形です。勝訴しなかったはずだと認定したのではなく、勝訴したと認めるに足りる証拠が無い、という立て方になっています。
7 結論——その余の点について判断するまでもなく理由がないとして請求棄却
因果関係が認められない以上、責任原因を検討する必要はなくなります。
請求を棄却する理由
三 してみると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
「その余の点について判断するまでもなく」の一句が、この判決の射程を決めています。主文は次のとおりです。
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
※東京地方裁判所 1979-11-13 判例タイムズ409号126頁/判例時報957号63頁
8 評釈——依頼者の信頼・期待によっては不法行為責任が認められる余地
この判決の結論には、弁護士の責任を扱った書籍から疑問が呈されています。
因果関係の取り上げ方への疑問(升田による評価)
また、この関係の取り上げ方によっては、弁護士の過誤があっても、容易に弁護士の損害賠償責任が免責されることになり得るが、法律事務の高度の専門家である弁護士が依頼者に対して負う善管義務等の注意義務のあり方、弁護士に対する依頼者の期待侵害としても問題になり得るところである。
この判決については、依頼者の信頼・期待、事務処理の経緯等によっては、弁護士の不法行為責任が認められる可能性は相当にあるということができ、疑問がある。
※升田純著『なぜ弁護士は訴えられるのか』民事法研究会2016年 11月p135
因果関係の段階で切ると、弁護士に過誤があっても容易に責任を免れることになりかねない、という指摘です。そのうえで、この判決については、依頼者の信頼・期待や事務処理の経緯によっては不法行為責任が認められる可能性が相当にあるとして、疑問があるとしています。
9 決めていないこと——無断で控訴を取り下げたこと自体の違法性と、利益相反
この判決は、被告甲野が原告の意思を確認せずに控訴を取り下げたことが違法であったかどうかを判断していません。理由の二が「被告両名の責任原因を判断する前に」と述べ、理由の三が「その余の点について判断するまでもなく」と述べているとおり、責任原因は審理の対象から外れたままです。
同じ理由から、この判決を「複数の依頼者から受任した弁護士が、一方の依頼者の意向だけで手続を処分してよいか」を判断した裁判例として読むことはできません。掲載時に付された参照条文も民法416条だけで、弁護士法や弁護士職務基本規程は挙げられていません。
この判決から読み取れるのは、他の依頼者の同意を得ないまま手続を進めたことについて損害賠償を求めたとしても、因果関係の段階で退けられることがある、という限りのことです。
10 おわりに
責任があったかどうかを判断せずに因果関係で切るという順序は、賠償を求める側にとっては重い壁になります。控訴が維持されていれば勝てたはずだ、という主張を、前訴の記録から立証しなければならないためです。
依頼者どうしの意向が分かれる場面で生じるもう一つの問題——依頼者の利益と他の依頼者の利益が相反する事件を受任してよいか、相反が顕在化したら何をするのか——については、別の記事で説明しています。
依頼者相互間の利益相反|弁護士職務基本規程28条3号・受任の可否と辞任
本記事は一般的な説明です。個別の事案にそのまま当てはまるとは限らず、一見似ている事案でも、事情が異なれば結論は異なります。個別的事情により、法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。本記事でご説明したものと同様の問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。
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