1 賃金は相殺が禁止されている
2 損害賠償金でも給料相殺は原則禁止となる
3 労働者の合意があれば相殺は有効となる|相殺契約
4 労働者の支払不履行;相殺以外の手段

1 賃金は相殺が禁止されている

給与(賃金)は,一般的に,労働者(従業員)の生活の糧となります。
日々の生活に直結します。
そこで,いろいろな保護が規定されています。

その典型的な規定が,相殺禁止です。
前借金による賃金の相殺は一般的に禁止されています(労働基準法17条)。
趣旨は,『労働者の生活の安定確保』とされています。

ただし,絶対的に例外なし,ということではありません。
労働者の希望や了解があれば問題ありません(後述)。

2 損害賠償金でも給料相殺は原則禁止となる

まず,労働基準法17条で禁止されているのは前借金と賃金の相殺です。
損害賠償金は規定されていません。
しかし,判例によって,『損害賠償金』も相殺禁止の対象とされています。

<賃金と『損害賠償金』の相殺禁止に関する判例>

あ 債務不履行による損害賠償金(民法415条)

関西精機事件
最高裁昭和31年11月2日;判例2

い 不法行為による損害賠償金(民法709条)

日本勧業経済会事件
最高裁昭和36年5月31日;判例1

う これらの判例の理由

労働基準法24条の『全額払いの原則』の趣旨
→『借入金』と『損害賠償金』で違いはない

3 労働者の合意があれば相殺は有効となる|相殺契約

前述のとおり,判例で『賃金と貸金・損害賠償金などの債権との相殺』は禁止されています。
ただ,禁止されているのは『雇用主からの一方的な相殺』のことです。
労働者も相殺に納得している,ということは想定されていません。
専門的には『相殺契約』『相殺合意』などと呼ばれる方式のことです。
この点,判例の中で,相殺契約について説明されているものがあります。

<賃金と他の債権との『相殺契約』>

あ 相殺が有効となる要件

ア 労働者が自由な意思に基づき相殺に同意した
イ 『自由な意思』と認められる『合理的な理由』が客観的に存在する

い 『自由な意思』の認定方法

『自由な意思』の認定・判断は,厳格かつ慎重に行う
※最高裁平成2年11月26日;日新製鋼事件

現実的に,相殺が『合理的理由あり』として有効となる場面はいくつもあります。

<賃金の『相殺契約』が有効となる実例>

あ 実例

雇用主が労働者から徴収する金銭について,労働者が『給与からの天引き』を希望した場合
《徴収金の例》
誤って送金してしまった金銭
旅行などの『積立金』

い 『相殺』の『合理性』

『労働者がいったん受領した後に払う』だと無駄な手間がかかる
この手間を回避することは労働者にとって有利である

このような場合は,後から『無効』と主張されないように,次のように工夫すると良いでしょう。

<相殺契約の『記録化』の工夫>

あ 書面化

『相殺契約書』などで労働者が『納得したこと』を記録にしておく

い 『徴収する金銭』の特定

どのような経緯で『徴収金』が生じたのか,についても明記しておく

う 労働者側のメリット

例;『給与全額受領した後に払う(戻す)という手間を省きたい』

4 労働者の支払不履行;相殺以外の手段

労働者が貸金を払わない,損害賠償金などを払わない,という場合でも雇用主は『賃金との相殺』ができません。
労働者が一切応じない,という場合に,雇用主の対応策を説明します。

(1)金銭の回収

このような場合,雇用主から給与の相殺は認められません。
そこで,一般的な債権回収手段として考えることになります。
労働者個人の財産を押さえる,ということになります。
ここで,給与(賃金)も労働者の財産です。
差押の対象となります。
給与の差押は可能なのです。
第三債務者イコール差押債権者(申立人)ということになります。
これ自体は禁じられていません。

なお,賃金の差押は,原則的にその4分の1が上限です。
大部分は不可侵部分(=生活維持に必須)として保護されています。
別項目;給与は4分の3,公的年金は全額が差押できない|差押禁止

なお,差押をするためには,債務名義が必要です。
別項目;債務名義には多くの種類がある
確定判決や仮執行宣言付支払督促が典型です。事前に貸金や損害賠償金を公正証書にしておけば,これも債務名義になります。
また,債務名義がないけど財産確保を急ぐ場合は,仮差押を行うことも1つの方法です。
別項目;仮差押

(2)懲戒の手続

最後に,債権回収から離れて,労使間での懲戒を適用することも考えられます。
例えば貸金を返さない,というケースでは仕事と関係ないという主張もあるでしょうけど,仕事を任せる上での信頼や職場の秩序と無関係というわけではないでしょう。
懲戒解雇などの重い処分は認められない可能性が高いです。
しかし,労働者の態度次第で,懲戒処分のうち,特に重いものでなければ認められるでしょう。

条文

[労働基準法]
(前借金相殺の禁止)
第十七条  使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。

 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。
2 賃金は、毎月1回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。ただし、臨時に支払われる賃金、賞与その他これに準ずるもので厚生労働省令で定める賃金(第89条において「臨時の賃金等」という。)については、この限りでない。

判例・参考情報

(判例1)
[最高裁判所大法廷昭和34年(オ)第95号破産債権確定請求事件昭和36年5月31日]
労働者の賃金は、労働者の生活を支える重要な財源で、日常必要とするものであるから、これを労働者に確実に受領させ、その生活に不安のないようにすることは、労働政策の上から極めて必要なことであり、労働基準法二四条一項が、賃金は同項但書の場合を除きその全額を直接労働者に支払わねばならない旨を規定しているのも、右にのべた趣旨を、その法意とするものというべきである。しからば同条項は、労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであつても変りはない。(論旨引用の当裁判所第二小法廷判決は、使用者が、債務不履行を原因とする損害賠償債権をもつて、労働者の賃金債権に対し相殺することを得るや否やに関するものであるが、これを許さない旨を判示した同判決の判断は正当である。)

(判例2)
[最高裁判所第2小法廷昭和29年(オ)第353号給料等請求事件昭和31年11月2日]
労働基準法二四条一項は、賃金は原則としてその全額を支払わなければならない旨を規定し、これによれば、賃金債権に対しては損害賠償債権をもつて相殺をすることも許されないと解するのが相当である。